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神速の陰陽師 〜ロンドン事件簿〜  作者: 風花
第十二章:ホワイト・クリフ ―断崖の疾走と、海鳴りのアリア―
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海風の不協和音

 ロンドンから南へ約二時間。高速道路の単調な直線が終わり、A23号線からブライトンの街へと滑り込む。石造りの伝統的な建物と、いかにもリゾート地らしいカラフルな装飾が混ざり合う街並みを抜けると、視界は一気に「青」に支配された。

 海岸線沿いの国道、A259号。

 左手には、滑らかな曲線を描いてどこまでも続くグリーンの丘陵。右手には、陽光を粉々に砕いてきらめくドーバー海峡。

 ハヤブサの防風スクリーンの向こう側に飛び込んでくる、色彩の暴力に近いほどの開放感に、朔夜はわずかにスロットルを緩めた。ギヤをトップに入れ、三〇〇〇回転に満たないゆったりとした鼓動で、海沿いのリズムに身を任せる。


「……空気が、とっても澄んでいるわ。ロンドンとは全然違う、透き通った青い音がする」

 アリスの弾んだ声が、ヘルメット内のインカムを通じて耳元に響いた。彼女は朔夜の肩越しに、流れる海を眩しそうに見つめている。潮騒、そして遮るもののない風の音――街の澱んだ不協和音をすべて洗い流すような自然の響きに、彼女の強張っていた心も、ようやく解けていくようだった。

 大型バイク特有の安定感は、強烈な海風さえも心地よい抵抗に変えてくれる。朔夜は、自分の腰に回されたアリスの手が、先ほどよりもリラックスしているのを感じて、心中で小さく安堵していた。このまま、何事もなく目的地まで走れればいい。そう願っていた。


 だが、白亜の断崖――セブン・シスターズへの入り口が近づくにつれ、その「澄んだ音」の中に、場違いなノイズが混じり始めた。

「……え?」

 アリスの短い呟きとともに、腰の手に力がこもる。指先が、ライダースジャケットの生地をぎゅっと掴んだ。

「サクヤ、聞こえる? ……何かが、空から降ってくるみたい。カモメの鳴き声とは違う、もっと、硬くて……重い回転音」

 朔夜はヘルメットのシールド越しに、雲ひとつない青空を見上げた。そこには白い鳥たちが数羽、優雅に風に乗っているだけで、飛行機の影一つない。

 しかし、アリスの耳には届いているのだ。かつてこの海空を戦場に変え、白亜の断崖を最後の光景として海へ沈んでいった者たちの、癒えぬ残響が。

「……プロペラの音だわ。一つじゃない、何十、何百という塊が、空を埋め尽くしている。若者たちの笑い声……それに、激しい咳き込みのような不規則な金属の爆発音。サクヤ、これ……機械が泣いている音だわ」

 アリスの声が、徐々に恐怖と緊張を帯びていく。


 その瞬間、真夏のような陽光が届いているはずの空間に、肌を刺すような氷点下の風が吹き抜けた。ハヤブサの多機能メーターが激しく明滅し、デジタルの数字がデタラメに踊り始める。

「磁気が狂ってるな。……アリス、前を見ろ。あの『霧』が普通に見えるか?」

 晴天の水平線から、不自然なまでに白い、まるで意思を持っているかのような濃霧が、驚くべき速さで崖を駆け上がってきていた。それは単なる気象現象ではない。過去の記憶が現在を侵食し、海鳴りに乗って呼び寄せられた「空の怪異」の予兆だった。

「来るわ……! サクヤ、気を付けて。この音……誰かを、自分たちを連れて行ってくれる『先導機』を探している……!」

 朔夜は無言で左手のスイッチを操作し、ハヤブサの出力をフルパワー・モードへと切り替えた。

 一三〇〇ccのエンジンが、低く、攻撃的な唸りを上げる。

 平和な休暇を塗り潰すように、はるか上空から「急降下」してくる目に見えない影。そのプロペラが空気を切り裂く不快な震動が、ついに朔夜のハンドルにも伝わり始めていた。

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