静寂の調律
ハヤブサが放った雷鳴のような排気音が、運河の静寂を暴力的に引き裂いた。
青白い電光を纏いながら、朔夜は狭隘な遊歩道を弾丸のように駆け抜ける。アリスが示した音の空白を突き、泥と廃棄物の包囲網を力技で突破した。
「馬鹿な……あんな不安定な場所で、あの重量車を全開にするだと!? 物理法則を無視している!」
ヘンリーの絶叫が背後で遠ざかる。
だが、怪異の本尊も黙ってはいない。水底から数艘の放置されたナロウボートが、まるで見えない巨大な手に操られるように浮上してきた。それらは不気味な軋み声を上げながら、朔夜の行く手を阻むように運河を横切り、遊歩道を塞ぐ巨大な「盾」となった。
「……っ、う……サクヤ、これ……っ」
背後でアリスが呻き、朔夜の肩を強く掴んだ。その指先が小刻みに震えているのが、厚いライダースジャケット越しにも伝わってくる。
「アリス、どうした!」
「音が……ひどすぎるわ。ボートの錆びた隙間から、何かが無理やり這い出してくるような……。世界中の嫌な音が、全部ここに集まったみたい……頭が、割れそう……」
アリスは顔を歪め、朔夜の背中に額を押し当てた。
彼女の鋭すぎる感性は、ボートに染み付いたヘドロの臭気や、捨てられた人々の執念を「物理的な不協和音」として受け止めていた。それは脳を直接かき乱すような、拒絶反応を伴うノイズだった。
「くる……くるわ! すべてが爆発するような、一番ひどい音が!」
アリスが必死に耳を塞ぎ、朔夜の背にすがりつく。
目の前のボートが生き物のように歪み、中からヘドロと鉄屑が混ざり合った巨大な頭部が形成される。それは運河に捨てられたすべての負念を凝縮したような、醜悪な化身だった。
「……アリス、俺がその音を止めてやる。そのためのタイミングを教えろ!」
「……今! すべての不協和音が、真ん中の赤いボートに集まったわ……叩いて、サクヤ!!」
その瞬間、朔夜はハヤブサのフロントタイヤを、横たわるボートの舷側へと叩きつけた。
衝撃の瞬間に真鍮の歯車を臨界まで回し、車体全体の慣性エネルギーを「雷法」へと変換する。
「……沈め。ここは、お前の居場所じゃない」
朔夜が放電した稲妻は、フロントフォークを伝わり、ハヤブサを起点として水面へと放射状に広がった。
ドォォォォォン! という、地響きのような爆鳴。
水伝いに走った高電圧が、怪異の核を内側から焼き切り、実体化していた廃棄物をただの泥へと還していく。
水柱が上がり、泥の雨が降る中、朔夜はピタリとハヤブサを停止させた。
片足で車体を支え、荒い息をつく。
ハヤブサのエンジンは、過負荷に耐え抜き、再び深く、重厚なアイドリング音を刻み始めていた。
遅れて追いついてきたヘンリーは、泥まみれのスーツで呆然と立ち尽くしていた。彼のタブレットには、もはや計測不能な異常数値のログだけが虚しく踊っていた。




