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神速の陰陽師 〜ロンドン事件簿〜  作者: 風花
第十一章:カナル・サイレンス ―浮かぶ墓標と、水の不協和音―
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水面の不協和音

 ロンドン北部に張り巡らされたリージェンツ運河。かつて産業革命を支えたこの水路は、今や観光客の遊覧船や、ボートを住居とする者たちの静かな隠れ家となっている。しかし、リトル・ヴェニスと呼ばれるエリアの端、街灯の届かない暗がりに差し掛かると、空気は一変して重く湿ったものへと変わった。

 朔夜はハヤブサを、歩くほどの速度で進ませていた。

 右側には古びた倉庫のレンガ壁が迫り、左側にはガードレールも何もない、濁った運河の縁がすぐそこに迫っている。遊歩道トーパスの幅は二メートルに満たず、路面は雨上がりの泥と苔で滑りやすい。

 一三〇〇ccの巨体にとって、ここは本来バイクで入り込む場所ではない。わずかなふらつきが即座に水没へと繋がる。朔夜はニーグリップを極限まで締め、半クラッチとリアブレーキをミリ単位で調整しながら、巨大な出力を抑え込んでいた。


「……土御門、速度が遅すぎる。私の電動スクーターのメーターは時速五マイルも示していない。予定より一五分も遅れているぞ。無駄な燃料を焚く前に、効率という言葉を辞書で引いたらどうだ?」

 背後から、静かな電動スクーターで追随するヘンリーの声がインカムを叩く。彼はこの場所の危険性も、朔夜がどれほど高度なバランス制御を行っているかも理解せず、ただ手元のタブレットの時間を確認して不満を漏らしている。

「うるさいな。……ここはバイクの道じゃない。お望みの『効率』とやらで水に落ちたくはなけりゃ、黙ってついてこい」

 朔夜が毒づいたその時、後ろに乗るアリスの体が、微かに強張ったのが伝わってきた。

 彼女は朔夜の肩越しに、闇が沈む水面を凝視している。

「サクヤ、止まって……。音が変わったわ」

 ハヤブサのアイドリング音を背景に、アリスは耳を澄ませる。彼女の鋭すぎる感性は、運河に蓄積された負の感情を、不協和音として拾い上げていた。

「……泥をかき混ぜるような音。それに、古い鉄が錆びて剥がれ落ちるような……。悲鳴じゃないわ、これは『重なり』。捨てられたゴミや、忘れられた人たちの溜息が、水底で一つの塊になってうごめいている」

「ゴミの塊、だと?」

 朔夜がライトを水面へ向ける。そこには、不法投棄されたショッピングカートや錆びた自転車、泥にまみれたタイヤが、まるで一つの巨大な多足生物のように絡み合い、ゆっくりと浮上してくる様があった。

 運河の「澱み」が霊的な核を持ち、周囲の廃棄物を取り込んで実体化した怪異――。

「不気味な現象だが、所詮は物理的な残骸の集積だ。土御門、局の支給品である高周波焼却弾を使え。無駄な術式で時間を浪費するな」

 ヘンリーはあくまで「事務的」に命令を下す。だが、アリスの声は震えていた。

「ダメ、そんなものじゃ効かない! 根っこはもっと深い……ボートの下、水底の泥の中に、もっと大きな『核』が鳴り響いている。……サクヤ、来るわ!」

 ドプン、と嫌な音がして、水面から廃棄物の腕が突き出した。

 錆びた鉄パイプとヘドロで形成されたそれは、驚くべき速さで遊歩道のヘンリーへと襲いかかる。

「なっ……!?」

 ヘンリーが呆然と立ち尽くす中、朔夜はハヤブサのフロントを強引に跳ね上げた。

 狭い道でのウィリー。それは回避ではなく、攻撃のための機動だ。

「……ヘンリー、お前の言う『効率』ってのは、現場を壊すことか?」

 朔夜の指先で、青白い火花がパチパチと爆ぜる。土御門流・雷法が、ハヤブサの点火系を介して、闘志とともにスパークし始めていた。


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