表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神速の陰陽師 〜ロンドン事件簿〜  作者: 風花
第十一章:カナル・サイレンス ―浮かぶ墓標と、水の不協和音―
45/73

効率的な無礼

 ベーカー街の裏路地。重厚な鉄扉の奥にあるガレージに、似つかわしくない革靴の音が響いた。

 カチッ、カチッ、と。

 それは手入れの行き届いた、だが路面の感触を一切楽しまない、無機質で事務的な歩調だった。

 ハヤブサのサイドスタンドを立て、チェーンの汚れを拭き取っていた朔夜は、顔を上げることなくその音の主を察した。

「アビゲイルじゃないな。……誰だ」


「王立怪異対策局、監察官のヘンリー・ウェストウッドだ。土御門朔夜、君の『活動実績』の再評価に来た」

 現れたのは、仕立ての良いネイビーのスーツを隙なく着こなした男だった。彼はガレージの油の匂いに不快そうに眉をひそめると、中央に鎮座する銀色のハヤブサを、値踏みするように一瞥した。

「……アビゲイルが君を高く評価している理由は理解しかねるな。実績は場当たり的な退魔が数件。この程度の案件一件に対し、並の公務員の年収を優に超える報酬を支払うのは、組織として非常に非効率だ」

 ヘンリーが振るったファイルには、王立機関から振り込まれた莫大なポンドの記録が並んでいた。

 人智を超えた怪異との接触は、文字通り命を削る作業だ。一歩間違えば魂ごと食い破られるリスクの対価として、局は「たった一度の成功で、その後数年は一切の労働を必要としない」ほどの破格の報酬を保証している。

 だが、この役人は知らない。その報酬の大半が、この銀色の巨体を維持するための「供物」に消えることを。ハヤブサに組み込まれた特注の真鍮パーツ、高純度の霊的触媒、そして過酷な術式行使に耐えうる最高級の油脂類――。

 それでもなお、手元に残る余剰分を朔夜は堅実に積み立てている。それはいつか訪れるかもしれない「静かな隠居生活」のためか、あるいはアリスたちとの未来への備えか。彼にとっての貯金とは、リスクを背負う者としての冷静な防衛策でもあった。


 ちょうど奥から、二人の気配を察したアリスが顔を出したところだった。彼女はヘンリーを一目見て、眉をひそめて朔夜に囁いた。

「……サクヤ、気をつけて。この方の音……壊れたメトロノームみたいに、うわべだけの数字を刻んでいるけれど、中身が空っぽでひどく空鳴りしているわ」

 アリスの評価を無視し、ヘンリーはファイルを広げた。

「本題に入ろう。リトル・ヴェニスからリージェンツ運河にかけたエリアで、失踪事件が頻発している。警察の手には負えん。局の特殊車両はあの狭い遊歩道には入れない。そこで、君のその……『鉄屑スクラップ』を、機動ユニットとして採用することにした」

「鉄屑、だと?」

 朔夜の手が止まる。

 一三〇〇ccのエンジンが奏でる咆哮も、真鍮の回路が導く精緻な術式も、この男にとってはただの「経費コスト」の対象でしかないのだ。

「そうだ。本来ならもっと小型の電動バイクで十分な任務だが、アビゲイルが君を推すのでな。……ただし、今回は私が同行し、君の作業効率を厳密に監視させてもらう。準備ができ次第、出発したまえ」

 ヘンリーは土足でガレージの奥、朔夜の居住スペースにまで踏み込もうとした。その瞬間、アリスがすっとその前に立ちふさがった。

「失礼ですが、ウェストウッド様。ここから先は、サクヤと私にとって、外の『不協和音』から耳を守るための大切な場所なんです。公用の方は、どうぞ表でお待ちください」

 その声は穏やかだったが、絶対に譲らないという鉄のような意志がこもっていた。ヘンリーは鼻を鳴らし、「これだからフリーランスは……」と毒づきながら扉の外へ去っていった。


 静かになったガレージで、朔夜は深く溜息をつく。

「……悪いな、アリス。あんな奴の依頼、受けるつもりはなかったんだが。……だが、提示された額は、こいつのエンジンを一度完全にバラして組み直した上で、予備の触媒を買い溜めしても釣りが来る。受ける価値はある」

「いいのよ、サクヤ。あの人の言うことは、何もかも的外れだわ。あなたのハヤブサは、誰よりも優しく、正しい音で鳴っているもの」

 アリスは微笑み、ハヤブサのカウルをそっと撫でた。

「……見せてあげましょう。あの『空っぽ』な人には到底真似できない、あなたの、本物の価値を」

 朔夜は無言でヘルメットを被り、グローブのベルクロを締め直した。機械を数字でしか見ない役人に、言葉で説明するつもりはない。ただ、圧倒的な走りの事実で黙らせればいい。

 親指がスターターを押すと、銀色の巨体が重厚な、だが寸分の狂いもない心拍音を刻み始めた。

「……行くぞ、アリス。奴が追いつけない場所へな」

 サイドスタンドを跳ね上げ、朔夜は夜のロンドンへとハヤブサを滑り出させた。その背中は、莫大な報酬と、それを管理する冷静なプロの矜持を背負っていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ