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神速の陰陽師 〜ロンドン事件簿〜  作者: 風花
第十章:リッパー・ノイズ ―亡霊の銀刃と、午前二時の残響―
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ミッドナイト・チェイス ―五芒星の結界―

 午前二時十五分。ベーカー街から飛び出したハヤブサは、深夜の幹線道路を東へとひた走っていた。

 メーターパネルには時速百六十キロを超える数字が刻まれ、ヘルメット越しに伝わる走行風は、すでに物理的な衝撃となって朔夜の首を圧迫している。だが、彼はスロットルを緩めるつもりはなかった。

 背中には、アリスが身を伏せていた。彼女の身体を通じて、ハヤブサのフレームの振動が直接朔夜の霊力と融け合っていく。

『……サクヤ、来るわ! 四時の方向、屋根の上!』

 アリスの声が、ヘルメット内のインカムではなく、直接脳の奥底で響く。

 朔夜は反射的にハヤブサを左へ倒し込んだ。直後、彼らが一瞬前までいた空間を、銀色の閃光が音もなく切り裂いた。建物のレンガを削り取った刃が、火花だけを残して霧に消える。

「一箇所目はハンブリー・ストリートか……!」

 かつての惨劇の舞台。そこには今、霧の密度を異常なまでに高めた「杭」が打ち込まれていた。

 一つ、また一つと、アリスの耳が捉える「音の欠落」を辿り、朔夜はロンドンの夜を駆け抜ける。

 二箇所目、三箇所目。

 ハヤブサがその地点を通過するたび、カウルに組み込んだ真鍮の回路が、アリスの心音に同調して高周波を放つ。それは「沈黙」という名の結界に楔を打ち込み、奪われた音を無理やり呼び戻す、荒々しい調律だった。

「アリス、気分はどうだ!」

『……最悪よ! ロンドン中の『悲鳴』を一人で聴かされているみたい……。でも、わかるわ。リズムが見える。あいつが次にどこで刃を振るうか、その呼吸が!』

 二十三歳の彼女が持つ、音楽家としての誇り。それが、押し寄せる怨念の嵐の中で、朔夜の走りを支える「精密なレーダー」へと変質していた。

 だが、四箇所目の「ダフィールド・ヤード」を通過した瞬間、事態は急変した。

 

 不意に、ハヤブサの周囲から一切の光が失われた。街灯も、ビルの明かりも、ハヤブサ自身のヘッドライトさえもが、不自然なほどの黒い霧に呑み込まれたのだ。

「視界を封じたか……!」

 朔夜はブレーキレバーに指をかけたが、アリスが背中で叫んだ。

『止まらないで、サクヤ! 視界じゃない、これは『光の音』を消されただけ! 脳に直接、私の聴いている『旋律』を流し込むわ。……私を信じて、そのまま開けて!!』

 その瞬間、朔夜の脳内に、極彩色に輝く「音の地図」が展開された。

 前方のガードレールの反響、アスファルトの継ぎ目が発する微細なリズム、そして右前方から迫る、死神の足音代わりの「無音」。

「……ああ、信じてるよ。アンタの耳は、世界で一番正確なんだろ!」

 朔夜は全閉近くまで落としていたスロットルを、一気に再び全開へと叩き込んだ。


 視界はゼロ。漆黒の闇の中を、時速二百キロ近い速度で突っ走る狂気の沙汰。だが、朔夜の頭の中では、アリスの奏でる「調律」が、ガードレールの位置からマンホールの段差まで、完璧な解像度で描写していた。

 キィィィィィィィン!!

 真横を、切り裂きジャックの刃が掠める。

 だが、朔夜は一ミリの迷いもなくハヤブサをバンクさせ、暗闇の中で「見えない刃」をダンスするように回避した。

「ラストだ! 五箇所目、ミトレイ・スクエア!」

 五芒星の最後の頂点。そこへ辿り着けば、ロンドン塔を中心とした「沈黙の円」を逆回転させることができる。

 ハヤブサが広場に突入した瞬間、五つの地点を結ぶ霊力のラインが限界まで膨れ上がった。

 ドォォォォォォン!!

 ハヤブサのマフラーから、青白い稲妻と共に、これまで蓄積してきた「音」が一気に解放された。

 霧が焼き切れ、視界が戻る。

 そこには、五芒星の完成を阻まれ、苦悶の形相で霧に溶けていく数多の影があった。

 だが、アリスの顔は晴れなかった。彼女は朔夜の背中で、絶望に満ちた声を漏らす。

『……違う。……サクヤ、まだよ。あいつ、わざと頂点を捨てたわ。……音を、全部一つの場所に集めるために!』

 アリスが指差した先。

 テムズ川の向こう、闇に沈むロンドン塔の最上階から、これまでの比ではない、天を突くような「黒い沈黙」が立ち昇っていた。

 殺人鬼の正体――土地の記憶の化身は、五芒星という贄を喰らい、今、完全な「音の終焉」へと至ろうとしていた。

「……最後の一仕事だな」

 朔夜はハヤブサのステップを強く踏み込み、テムズ川沿いのハイウェイへと進路を向けた。

 朝日までは、あと一時間もない。

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