絡みつく緑の呪詛
ハイゲイトの森の深部へ進むにつれ、空気は粘り気を帯び、ライトの光さえも緑色の霧に拡散されて届かなくなった。道のアスファルトは至る所で割れ、太い木の根が血管のようにのたうち回っている。ハヤブサが放つ青白い「雷鳴」の火花だけが、この異様な空間を切り裂く唯一の灯火だった。
「……サクヤ、気をつけて。森の『音』が、さっきから私たちを包囲してるわ」
後部座席のアリスが、朔夜の腰に回した手に力を込める。彼女の耳には、風に揺れる葉の音とは明らかに異なる、何万もの小さな口が囁き合うような不気味なノイズが聴こえていた。
「ああ、分かってる。妖精どもが、俺たちのハヤブサを分解して中身を覗きたがってるらしい」
朔夜はスロットルを一定に保ちながら、左手でタンクに刻まれた術式の一部をなぞった。組み込まれた真鍮の歯車がチキチキと高速で回転し、プラグから放たれる火花の電圧がさらに高まっていく。
その時、前方の茂みから、太い茨の蔦が巨大な触手のように飛び出してきた。
「――っ!」
朔夜は瞬時にハヤブサを深くバンクさせ、これを回避する。だが、蔦は生き物のように空中で軌道を修正し、執拗にハヤブサのリアタイヤを狙って襲いかかってきた。
「土御門流・雷法――『迅雷』!」
朔夜がスロットルを鋭く煽ると、マフラーから青い稲妻が噴き出し、迫りくる蔦を一瞬で炭化させた。しかし、一房の蔦を焼いたところで、周囲の木々からは無限に等しい数の触手が次々と伸びてくる。
「キィ、キキキッ!」
霧の奥から、歪んだ笑い声が響いた。現れたのは、木の皮を継ぎ接ぎしたような皮膚を持つ、子供のような姿の怪異――森の守護者を自称する古い精霊たちだった。彼らの瞳は回路基板のような緑色の光を放ち、その指先からは、最新の電子機器を狂わせる強力な磁場が放たれている。
「サクヤ、右から来る音が重い! 避けて!」
アリスの叫びと同時に、右側の立ち木が意志を持ったかのように倒れ込んできた。朔夜はハヤブサを反対側に引き倒し、地面を擦るような限界の低さでその下を潜り抜ける。
「……チッ、きりがないな。アリス、変電所まではあとどれくらいだ」
「この先の谷を越えたところ……。でも、そこだけ音が『真っ黒』に塗り潰されてる。……誰かが意図的に、森の力を一点に集めてるみたい!」
アリスの言葉に、朔夜は眉をひそめた。単なる妖精の悪戯ではない。何者かがこの森の霊的な力を利用し、ロンドンの電網を物理的に食い荒らそうとしているのだ。
「……ハヤブサの心拍が乱れてる。アリス、頼むぞ」
「了解……! ――共鳴開始!」
アリスが目を閉じた。彼女は、ハヤブサのシートやステップ、そして自分を支える朔夜の背中から伝わる「振動」へと、意識を深く沈み込ませた。
ピストンの上下やバルブの開閉が作る機械的なリズム。その中の一箇所だけ、森の磁場に干渉されて「音が濁り、もたついている部分」を彼女の感性が鋭く捉える。
(……サクヤ、右の奥のほうが重い! 音が少しだけ後ろにズレてるわ!)
「――そこか!」
アリスが感じ取った「音の淀み」を、朔夜が瞬時に「特定の気筒における点火タイミングの遅れ」と判断する。彼はタンクの術式を通じて霊力を流し込み、磁場の干渉を強引に上書きして火花を早めた。
パパパパパンッ!
ハヤブサの排気音が、不協和音を脱して透き通った高音へと昇華される。銀色の車体を包む稲妻はより激しく輝き、周囲の蔦を寄せ付けない「絶対的な結界」を作り出した。
「これならいける……。いくぞ、アリス! 迷宮をぶち抜く」
朔夜がギアを蹴り込み、フルスロットルで加速する。緑の闇の中、一条の青白い雷光が、森の王座が待つ変電所へと突き進んでいった。




