破魔の咆哮と最長の帰路
袋小路に、リッターエンジンの重低音が地響きのように鳴り渡る。
追い詰められた首無し騎士が、断末魔のような無声の咆哮を上げ、長大な鎌を振り上げた。霊的な冷気が渦巻き、石畳の表面に薄い氷の膜が張っていく。
対する朔夜は、左手でクラッチを握り込み、右手でスロットルを静かに煽った。
彼の指先に挟まれた蓮真の符が、マシンの放つ強烈な光を増幅し、物理的な質量を伴うほどの光圧を放ち始める。
「土御門の術式は、本来なら舞いと詠唱に三分を要するが……」
朔夜は冷徹に呟き、ギアをローに叩き込んだ。
「火力を内燃機関で代行し、照準をデジタルで演算すれば、三秒で済む」
騎士が鎌を振り下ろすと同時に、朔夜はクラッチを弾いた。
猛然とフロントを持ち上げ、ウィリー状態で突進する鉄の馬。そのヘッドライトの光軸に乗せて、朔夜は指先の符を弾き飛ばした。
「『神速・一ノ型――八咫烏』!」
放たれた符は、高回転のエンジン音と共鳴し、巨大な光の鳥へと変貌した。
それは騎士の鎌を容易く弾き飛ばし、鎧の胸元にある「核」へと直撃する。物理的な衝撃と霊的な破壊が同時に炸裂し、袋小路を白銀の閃光が埋め尽くした。
キィィィィン、という耳鳴りのような余韻。
光が収まったとき、そこには首無し騎士の姿も、朽ち果てた馬の影もなかった。ただ、砕け散った石畳の破片と、騎士が纏っていた煤のような霧が、風に溶けて消えていくところだった。
朔夜は静かにエンジンを切った。
静寂が戻った路地に、パキン、パキンと熱を持ったマフラーが冷えていく音が響く。
「……仕事終了だ」
ヘルメットを脱ぎ、乱れた黒髪をかき上げる。
スマホを操作し、局の専用アプリに「目標完全消滅」のステータスをアップロードした。直後、報酬の振り込み予定通知と、アビゲイルからの「被害状況を報告せよ」というヒステリックなメッセージが並んで表示される。
朔夜はそれらを一瞥すると、迷わずゴミ箱アイコンへスワイプした。
「報告は後回しだ。……今の俺には、それ以上に重要な任務がある」
彼は再びスマホを操作し、今度は交通ナビではなく、詳細な等高線と風景写真がリンクしたツーリングマップを開いた。
現在地から自宅のガレージまでは、最短で十五分。
しかし、朔夜が設定したルートは、北へ大きく迂回し、ロンドン郊外の丘陵地帯を抜ける、三時間を超える遠回りだった。
「日の出まで、あと三時間弱。……間に合うな」
彼はガレージの惨状を思い出した。引き裂かれたシャッター、オイルまみれの床、そして愛車についた小さな傷。
合理的に考えれば、一刻も早く帰宅して清掃と修繕に取り掛かるべきだ。だが、今の朔夜の心には、土御門の家名も、局の仕事も、壊された日常の苛立ちも、すべてを走行風の中に置き去りにしたいという、猛烈な「非合理的欲求」が渦巻いていた。
再びエンジンを始動させる。
今度の排気音は、先ほどまでの攻撃的なそれとは違い、どこか落ち着いた、旅の始まりを告げるリズムを刻んでいた。
「帰りは……北へ回る。朝飯は、排気音の響かない静かな村のパブがいい」
朔夜はギアを上げ、深夜のロンドンを走り出した。
街灯のオレンジ色がヘルメットのシールドを次々と流れていく。
背中には、日本にいる弟、蓮真の温かな符がまだ一枚、守りのように残っている。
神速の陰陽師が、一人のライダーに戻る時間。
朝焼けに染まるコッツウォルズを目指し、彼は夜霧の迷宮を脱出した。
第一章:ベーカー街のデッドエンド ―首無し騎士と鉄の馬― 完




