表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神速の陰陽師 〜ロンドン事件簿〜  作者: 風花
第六章:メモリー・オブ・チェリーブロッサム ―薄紅の追憶と、招かれざる刺客―
21/23

冷たい伝言

 アリスが楽器店のカウンターで九条と対峙していたその時、ガレージの朔夜は、ハヤブサのフロントフォークを磨く手を止めていた。

 胸の奥で、嫌なざわつきが消えない。まるで、かつて自分を縛り付けていた土御門の「結界」の中に、再び引きずり込まれるような感覚。

「……アリス、遅いな」

 彼女が去ってから三十分以上が経過していた。紅茶の入っていたマグカップは、既に温もりを失っている。朔夜はライダースを羽織ると、重い腰を上げた。


 楽器店の中には、重苦しい沈黙が立ち込めていた。

 九条は懐から一通の封筒を取り出し、それを指先で弄びながらアリスを見つめている。

「……サクヤは、本来こちら側の人間だ……ですって?」

 アリスは震える声を抑え、毅然と男を見返した。

「彼は、誰の所有物でもないわ。彼自身が、自分の意志でこのロンドンを選んだの。……その『音』を聴けば分かる。彼は今、必死にここで生きようとしている」

「生きようとしている、か。皮肉なものですね」

 九条は鼻で笑い、封筒をカウンターに置いた。

「彼がここで自由を享受すればするほど、日本に残された者がその『ツケ』を払わされる。……例えば、彼の弟の蓮真のように。不完全な兄を持った弟は、今や土御門本家の厳しい監視下にあり、次期当主としての重圧に心身を削っている」

「……蓮真、くん?」

「サクヤが土御門の名を捨てきれない理由はそこにある。……アリスさん、彼にこの手紙を。そして伝えてください。『逃亡の時間は終わった。弟を救いたければ、春が終わるまでに答えを出せ』と」

 九条が背を向け、店のドアに手をかけたその時。

 カラン、というベルの音と共に、ドアが外から荒々しく開かれた。


「――何の答えだと?」

 現れたのは、逆光を背負った朔夜だった。

 その瞳は、凍てつく冬の海のように鋭く、殺気立っている。

「……お久しぶりですね、朔夜様。いえ、今は『サクヤ』でしたか」

 九条は、動じることなく薄笑いを浮かべた。

「ロンドンの空気は随分と甘いようだ。……あの欠陥品と蔑まれていた男が、今や一丁前に女を守る騎士のつもりですか?」

「九条。……相変わらず、へどが出るようなこえだな。土御門の犬が、何の用でここまで嗅ぎ回りに来た」

 朔夜の一歩が、店内の空気を物理的に圧縮する。

 しかし九条は、慣れた手つきで懐から小さな「鈴」を取り出した。それは、土御門の術式を込めた通信用の呪具。

「用件はアリスさんに預けました。……蓮真様が、あなたに会いたがっていますよ。……物理的に動けなくなる前に、ね」

 朔夜の表情が、一瞬で凍りついた。

 「蓮真がどうした」と問い詰める前に、九条は煙のように気配を消し、霧の向こうへと消えていった。


「サクヤ……!」

 アリスが駆け寄り、彼の腕を掴む。

 朔夜の身体は、ハヤブサの冷たいフレームのように強張っていた。カウンターに置かれた一通の手紙。そこには、幼い頃に二人で交わした、彼らだけの隠し紋が刻印されていた。

「……アリス。……あいつが、何かお前に言ったか」

 朔夜の声は低く、震えていた。

 アリスは、九条が残した「捨ててきた家族」という言葉が、どれほど深く朔夜の心に楔を打ち込んでいるかを痛感した。

「……蓮真くんのこと。……サクヤを連れ戻すための道具に、彼を使おうとしているみたい」

 朔夜は手紙を掴み、力任せに握りしめた。

 春のロンドン。アーモンドの花が舞う穏やかな午後は、終わりを告げた。

 日本から届いたのは、拒絶ではなく、逃げ場を奪うための呪縛。

 愛車でどこまで遠くへ逃げても、血という名の鎖が、容赦なく彼の背後から伸びていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ