最速の再起動(リブート)
ロンドンの迷宮のような路地裏を、銀色のハヤブサが矢となって貫く。
背後では、汚染されたスマートカーたちが互いに衝突し、炎上しながらもなお、朔夜を追おうと異形の咆哮を上げ続けていた。
「サクヤ、聞こえる? 暴走の指向性が強まっているわ。ノイズの『核』は、この先三マイル地点……旧市街の地下、中央管理サーバーの冷却棟に潜伏している!」
「……地下か。神速の領域には狭すぎるが、掃除するにはちょうどいい。アリス、振り落とされるなよ」
「ええ、あなたの背中で、一番いい『音』を聴かせてもらうわ」
朔夜の背に回されたアリスの腕に力がこもる。二人の鼓動とハヤブサのピストンリズムが、ひとつの完璧な旋律へと編み上げられていく。
その時、インカムに割り込むようにエレーナの弾んだ声が飛び込んできた。
『サクヤ! 蓮真様から新しいメッセージが届いたわ! 「お守りには共鳴の術式を組んであります。それを介して、少しだけ僕の力を兄さんに」だって!』
「何だと……?」
刹那、朔夜の腰に下げられた符術ケースと、ガレージにいるエレーナの胸元の守護符が、時空を超えて同期した。白く清廉な霊力が、冷たいロンドンの霧を黄金色に染め上げる。
「あの野郎……。術も満足に使えないエレーナを中継地点にして、直接俺にバックアップを送りやがったか」
実弟・蓮真の、繊細ながらも揺るぎない力がハヤブサのエンジンへと流れ込む。
アイドリングは一段と鋭い高音へと変わり、ハヤブサは物理的な限界を超えた「神速」のその先へ――。
「アリス、聞こえるか。今から最短距離で突っ込む。……その『耳』で、俺の道を導け!」
「ええ! あなたの最速に、一瞬の狂いも生じさせないわ!」
朔夜は冷却棟のシャッターを、一ノ型・八咫烏を纏わせたハヤブサの前輪で粉砕した。
深淵のような暗闇の奥、サーバー群に絡みついた黒い怨念の塊――霊的ウイルスが、防衛のために一斉に電子触手を伸ばしてくる。
だが、朔夜はハヤブサを止めることも、アリスを下ろすこともない。人車一体、文字通り「弾丸」となって、ウイルスの核心部へと突き進む。
「終わりだ。ロンドンのノイズは、ロンドンの『調律』で片付ける」
朔夜は片手でハンドルを抑え込み、もう一方の手で蓮真から託された力を一気に解放した。
「――土御門流・奥義、雷霆・九十九神!」
アリスが朔夜の背中で捉える「敵の核心となる不協和音」へ向かって、雷撃の指向性が収束する。黄金の雷火が、アリスとハヤブサを包み込むようにして、地下空間を埋め尽くす不浄なサーバー群を浄化の光で焼き尽くした。
断末魔のような電子音と共に、デジタル領域の汚染は一瞬で霧散し、暴走していた地上全ての車両が、糸の切れた人形のように沈黙した。
数分後。
静寂が戻った地下棟に、朔夜がゆっくりと歩ませるハヤブサの足音だけが響く。
「サクヤ、お疲れ様。……ノイズは完全に消えたわ。街の呼吸が、正常に戻っていくのが聴こえる」
背中から降りたアリスが、少し上ずった呼吸のまま朔夜に微笑みかけた。
「ああ……。だが、休暇明け早々、残業が過ぎたな。蓮真のバックアップがなけりゃ、アリス、お前をここまで安全に運べたかどうか怪しい」
朔夜はヘルメットを脱ぎ、乱れた髪を無造作にかき上げた。
スマホを取り出すと、エレーナから「蓮真様に『大成功!』って送っておいたからね! あと、今度ロンドンに来る時の観光プランも送っちゃった!」というスタンプまみれのメッセージが届いている。
朔夜はそれを一瞥した後、短く「助かった、蓮真」とだけ打ち込んで、再びアリスに手を差し出した。
「帰るぞ。……淹れ立てのコーヒーと、食事の用意を頼む。今夜はゆっくり『調律』し直さなきゃならん」
「ふふ、喜んで。私たちのガレージで、最高の和音を準備しておくわ」
アイランドブルーのミニと、銀色のハヤブサ。
神速の陰陽師・土御門朔夜。彼のロンドンでの「日常」が、今、完全に再起動した。




