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神速の陰陽師 〜ロンドン事件簿〜  作者: 風花
第二十三章:リターン・トゥ・フォグ ―霧の都の再起動(リブート)―
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不協和音のスクランブル

 翌朝。ロンドンを包み込む霧は昨日よりも濃く、街の輪郭を曖昧に書き換えていた。

 朔夜は、昨夜のうちに完璧な調整セットアップを終えたハヤブサのエンジンを始動させた。ガレージ内に、低く地響きのようなアイドリング音が充満する。銀色のボディが、わずかな照明の下で鋭く光を反射した。

「サクヤ、準備はいい? インカムの接続を確認するわ」

 フルフェイスのヘルメット越しに、アリスの透き通った声が響く。彼女はガレージの管制デスクに座り、ロンドン全域の「霊的音域」をモニターしていた。

「いつでもいい。……エレーナはどうした。掃除の続きでもさせておけと言ったはずだが」

「それが、蓮真様から返信が来たみたいで……。スマホを抱えたまま、幸せそうな顔で固まっちゃってるわ」

「……チッ、色恋沙汰にうつつを抜かして、調律を乱すなと言っておけ」

 朔夜が忌々しげに吐き捨てると、インカムの向こうでアリスがくすりと小さく笑ったのが分かった。

「あら。日本で私に『一生隣で調律し続けろ』なんて言ったのは、どこの誰だったかしら? 私たちの『和音』が、今のあなたの速さを支えているんでしょう?」

「…………っ。それはそれだ。理屈を混ぜるな」

 ヘルメットの中で、朔夜は顔が熱くなるのを自覚した。アリスには彼の動揺など、呼吸の乱れ一つで筒抜けなのだ。

「ふふ、ごめんなさい。でも、心配いらないわ。エレーナは術こそ使えなくても、蓮真様から頂いたお守りのおかげで、今は驚くほど精神が安定しているの。彼女が穏やかだと、私の聴覚センサーに混じる感情のノイズも減るわ。……間接的だけど、彼女なりにあなたを支える準備はできているみたいよ」

「……勝手にしろ。行くぞ」

 朔夜は照れ隠しにスロットルを大きく煽り、誤魔化すようにハヤブサを霧の中へと滑り込ませた。

 だが、直後。アリスの声が、耳元で急激に緊張を帯びる。


「――サクヤ、止まって! 正面、三〇〇ヤード先。信じられない……街中の車両の『排気音』が一斉に狂い始めたわ!」

 霧の奥から、異常な金属音が響き渡った。

 無人のはずの最新型スマートカーや大型トラックが、まるで意思を持った獣のようにタイヤを鳴らし、制御を失って暴走を始めたのだ。それらは一様に、電子制御系がデジタル化された怨念に汚染されたかのような、耳を刺す高周波を発していた。

「デジタル変換された霊的ウイルス……局の報告書通りか。反吐が出るぜ」

 朔夜は即座に左手で印を結び、ハヤブサのタンクに貼られた強化符を起動させた。

「サクヤ、左から二台、右の路地から大型の一台が来るわ! 十時の方向、三秒後に不協和音のピークが来る!」

「見えてる。アリス、そのままノイズの『核』をトレースしてろ」

 朔夜はハヤブサのギアを蹴り込み、神速の領域へと踏み込んだ。


 暴走する黒いセダンが、正面から朔夜を押し潰そうと加速してくる。衝突のコンマ数秒前、朔夜は車体のわずかな振動を読み取り、ハヤブサを極限まで寝かせた。銀色の閃光が、巨大な鉄の塊の隙間を、髪の毛一本分の余裕で通り抜ける。

「一ノ型――八咫烏」

 すれ違いざま、朔夜が放った雷撃を帯びた符が、セダンのコントロールユニットに吸い込まれた。

 青白い火花が散り、暴走していた車両は沈黙して力なく壁に激突する。だが、霧の奥からは、さらに多くの「咆哮」が近づいていた。

「……アリス、このノイズの源流を叩くぞ。この街の最速が誰か、ガラクタ共に教えてやる」

 霧を切り裂き、銀色のハヤブサがさらに加速する。

 ロンドンの静寂は、今、完全に瓦解しようとしていた。


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