ミッドナイト・クルージング ―夜を裂く和音―
祭りの賑わいを背に、鎮守の森の出口に差し掛かると、辺りは一転して心地よい静寂に包まれた。
朔夜の背中からは、エレーナの規則正しい寝息が聞こえてくる。慣れない和装での「戦闘」と、その後の飽食がたたったのだろう。朔夜は彼女が落ちないよう、慣れた手つきでくい、と背負い直した。
「……重くない? サクヤ」
隣を歩くアリスが、覗き込むように顔を寄せてくる。
「これくらい、リッターバイクの押し歩きに比べれば羽みたいなもんだ。……それより、お前こそ足は大丈夫か。下駄なんて非合理な履物で、よくあれだけ動けたな」
「不思議ね。サクヤが走っている時は、痛みを忘れてたみたい。あなたの『音』が、迷いなく真っ直ぐに響いていたから」
アリスがそう言って、朔夜の空いた方の腕に、そっと自分の腕を絡めた。
浴衣越しに伝わる彼女の確かな体温。それは朔夜にとって、どんな術式よりも深く、内側から自分を肯定してくれる熱だった。かつて一人で走っていた夜道とは違う。今の朔夜の隣には、自分の「音」を誰よりも理解し、愛してくれる調律師がいる。
「サクヤ」
アリスが歩みを止め、絡めた腕に少しだけ力を込める。
「さっき、あなたが鈴を壊した時の音……すごく力強くて、でも、私には分かったわ。あれ、私とエレーナを守るための、とっても優しい和音だったでしょ?」
「……お前の耳は、随分と都合のいい響きを拾うようにできてるんだな」
朔夜はわざとらしく顔を背けたが、浴衣の襟元から覗く耳の先が、隠しようもなく赤くなっているのをアリスは見逃さなかった。
「いいえ、調律師の耳は嘘をつかないわ。……ねぇ、サクヤ。こっち向いて?」
アリスが朔夜の浴衣の袖を軽く引き、その瞳をじっと見つめる。
真夏の夜空よりも澄んだその瞳に射抜かれ、朔夜は観念したように視線を戻した。アリスは至近距離で、いたずらっぽく、けれど深い愛を込めて微笑む。
「私は、今のサクヤの音が大好きよ。鋭くて、情熱的で……誰よりも温かい。今は、私たちが一緒に奏でるこの幸せな音しかないんだから」
アリスは一歩距離を詰めると、朔夜の胸にそっと額を寄せた。
その瞬間、朔夜の心を満たしていたのは、もはや過去の残像などではない。腕の中で甘い匂いをさせている女性の熱と、背中で眠る小さな命の重み――。今、この瞬間の「正解」だけが、彼の世界を完璧に満たしていた。
「……全くだ。お前には、敵わないな」
朔夜は、エレーナを背負っていない方の腕で、アリスの肩を強く抱き寄せた。
「言っておくが、俺の音を管理できるのはお前だけだ。責任取って、一生隣で調律し続けろよ」
「ええ、喜んで。……あ、今の音。すごく甘くて、素敵な響きがしたわ」
「……気のせいだ。行くぞ。冷えた缶コーヒーでも飲まないと、やってられん」
朔夜は照れ隠しに、けれどアリスの歩幅に合わせてゆっくりと歩き出す。アリスはその隣を、離れないように幸せそうに寄り添って歩く。
夜道に響くのは、二人の重なる足音と、エレーナが握る鈴の小さな音。
二人が奏でる和音は、夏の夜の静寂を祝福するように、どこまでも続く未来へと響いていった。




