熱帯夜のピットストップ
狂乱の余韻が残る境内を抜け、朔夜たちはようやく祭りの中心部へと戻ってきた。
先ほどまでの怪異による不協和音は、朔夜が放った「雷撃・一ノ型――八咫烏」の物理的な衝撃と共に霧散し、今は再び、どこか間の抜けたような平和な囃子が夜風に揺れている。
「……サクヤ、手、見せて」
アリスが心配そうに、朔夜の右手を覗き込んだ。
真っ赤に熱を帯びた鈴を素手で掴んだ代償は、彼の掌に痛々しい火傷の痕を残していた。朔夜は「これくらい、焼き付いたマフラーに触れるよりマシだ」と強がって見せたが、その指先がわずかに震えているのを、アリスの耳は見逃さなかった。
「強がりはいいから。……エレーナ、あそこのかき氷屋さんで氷をもらってきてくれる? サクヤの手を冷やしたいの」
「うん、わかった! 一番大きいの買ってくるね!」
エレーナが金魚の袋を揺らしながら、人混みの向こうへ走っていく。その後ろ姿を見送ってから、アリスは朔夜の隣に腰を下ろした。
神社の隅にあるベンチ。そこは祭りの喧騒から少しだけ外れた、暗がりの特等席だった。
朔夜は帯の間に差し込んでいたスマホを取り出し、画面に走ったわずかなヒビを忌々しげに見つめた。
「……結局、磁場センサーも物理的に逝ったか。ロンドンの局に送って修理させるのも面倒だな」
「それより、自分の手の修理が先でしょ。サクヤはいつもそう。最短距離で問題を解決するのはいいけど、そのために自分が受けるダメージを計算に入れてないわ」
アリスの声は、ピアノの低音部のような、静かで重みのある響きを孕んでいた。彼女は朔夜の掌をそっと自分の両手で包み込む。術も使えない、特別な力もないただの調律師の指先。けれど、そのひんやりとした感触は、朔夜の内側で暴走し続けていた霊力の残滓を、不思議と穏やかに凪がせていく。
「ダメージを計算してたら、速度は出せねぇよ。……お前の耳がラインを見つけた。俺はそこをぶち抜いた。それだけで、この件の解決としては満点だ」
朔夜は不器用に視線を逸らし、浴衣の袖を弄んだ。
「……それに。エレーナが泣くような事態にならなきゃ、それでいい」
その言葉に含まれた微かな熱量に、アリスは小さく微笑んだ。徹底した合理主義を装いながら、その根底にあるのは、大切なものを守るための、極めて非合理な情熱だ。
そこへ、山盛りのイチゴかき氷を抱えたエレーナが戻ってきた。
「サクヤ、アリス! これ、すごく冷たいよ!」
「ありがとう、エレーナ。……ほら、サクヤ。これを保冷剤代わりにして。終わったら食べていいから」
アリスにかき氷を押し付けられ、朔夜は「食い物で遊ぶな」と文句を言いながらも、冷たい容器に火傷を当てて、ふぅ、と長い息を吐き出した。
火照った肌を冷やす夜風。かき氷の甘い匂い。遠くで響く太鼓の音。
ロンドンでの殺伐とした任務の帰り道、深夜のワインディングを独り走る時間も悪くはないが、こうして誰かの「音」を隣に感じながら過ごす日本の夏も、それほど悪くないと思えた。
「……よし、冷却完了だ。屋台が閉まる前に、牛串を買いに行くぞ。エレーナ、次はチョコバナナか?」
「チョコバナナ! あと、お面も欲しい!」
立ち上がった朔夜は、もう一度だけ、スマホを帯に差し込み直した。
磁場は安定し、世界は正しい調律を取り戻している。
あとは、この平穏な「非合理」を、祭りの終わりまで楽しむだけだった。




