精密なる暴走、あるいは調律された一撃
神社の境内は、もはや祝祭の場ではなく、剥き出しの戦場と化していた。
破裂した提灯から飛び散った火花が、参道の砂利をかすかに照らす。人々の悲鳴は、神輿から溢れ出す泥のような闇が放つ「音」に飲み込まれ、アリスの耳にはそれが世界を切り裂く絶望的な不協和音となって突き刺さっていた。
「サクヤ、今! 闇の層が薄くなった……三時の方向から、鈴の音が一番高く響く瞬間に飛び込んで!」
アリスが鋭く叫ぶ。彼女はエレーナを自分の背後に庇い、震える足を地面に踏みしめていた。術など使えない彼女にできるのは、ただ信じることだけだ。自分の耳が捉えた「音」という名の設計図。そこに、最速の出力を叩き込める男の力を。
朔夜は浴衣という名の「不自由」を強引に捩じ伏せるように、両脚に爆発的な霊力を流し込んだ。
「了解だ。……道を開けろ、雑魚どもが」
朔夜が地を蹴った瞬間、空気が物理的に破裂した。
神速。
その移動速度は、人の動体視力を遥かに凌駕している。朔夜にとっての戦闘は、二輪のエンジンの回転数をレッドゾーンまで叩き込み、一気にトップギアまで繋ぐ作業に近い。加速によって生じる圧倒的なGと風圧。彼はその中心にありながら、帯から引き抜いたスマホの画面をチラリと一瞥した。
「磁場は限界突破、アプリは死んだか。――なら、アリスの耳の方がよっぽどマシだな」
朔夜は鼻で笑い、右手に持った符術を指先に挟んだ。
陰陽道において、符術とは本来、悠長な詠唱と舞いによって自然界の事象を操る「鍵」である。だが、朔夜の使い方はその真逆だ。彼は伝統を「非効率」として切り捨て、内燃機関の爆発力を霊力の加速器として代用する。
「土御門の旧弊な術式なら、この規模を祓うのに三分はかかるが……」
朔夜は、のたうつ闇の壁に向けて最短距離の突進を開始した。
「出力を力業(物理)で代行し、アリスが調律すれば、三秒で済む」
神輿から伸びる闇の腕が朔夜を捉えようとするが、彼は減速しない。それどころか、両脚の霊力回路を限界までオーバーロードさせ、強制的な「点火」を繰り返す。
「『雷撃・一ノ型――八咫烏』!」
咆哮と共に、朔夜は指先の符を弾いた。
放たれた符は、朔夜が踏み込む際の爆発的な衝撃波と共鳴し、巨大な光の鳥へと変貌した。それは繊細な呪術ではなく、霊力を物理的な質量を伴う「光圧」へと変え、雷光の如き速度で貫く一撃。
キィィィィーン、という耳鳴りのような余韻。
八咫烏の閃光は、朔夜の進路を阻む闇の壁を容易く食い破り、その奥に潜む「核」へと直撃した。
だが、核である鈴は、数百年の怨念を吸い込んで赤黒く脈動し、朔夜の術を強引に弾き返そうと震える。
「――チッ、焼き付きかよ。しつけぇな」
朔夜は眉一つ動かさず、至近距離まで肉薄した。
神輿の屋根。そこで震えている金色の鈴は、今や周囲の音を吸い取っては「呪い」の衝撃波として吐き出していた。普通、この距離でその音を浴びれば、術者の精神は内側から粉砕される。
「サクヤ、ダメ! その音を直接浴びちゃ……!」
「ああ、うるせぇな。調律の狂ったエンジンかよ」
朔夜は脳を直接削られるような苦痛に対し、さらに深い不快感をあらわにして口角を上げた。彼にとって、この「狂い」は恐怖ではない。ただの「直すべき欠陥」に過ぎないのだ。
朔夜は、鈴の放つ衝撃波を霊力の防壁で強引に押し返し、そのまま素手で、真っ赤に熱を帯びた鈴を掴み取った。
「――あちぃ。……だが、これで終わりだ」
ジィィ、と肉が焼けるような音がする。だが、朔夜は構忘、鈴の内部に向けて「最速の霊力循環」を逆流させた。
それは、複雑な回路を解くような繊細な作業ではない。
過負荷による強制的な回路破壊。
_ 朔夜が握る鈴に、全身の霊力を一点集中で叩き込む。逃げ場を失った呪いのエネルギーが、鈴の器の中で行き場を失い、自壊を始める。
「アリス、エレーナ、耳を塞いでろ!」
朔夜の言葉が終わるか終わらないかのうちに、白銀の光が爆発した。
物理的な破壊と霊的な洗浄が同時に炸裂し、のたうっていた闇の残渣が、一瞬にして蒸発していく。
朔夜の手の中で、鈴が粉々に砕け散り、その破片が砂利の上に降り注いだ。
静寂が訪れる。
先ほどまでの阿鼻叫喚が嘘のように、境内は再び、夏の夜の湿度を孕んだ静けさを取り戻していた。
朔夜は、焦げた浴衣の袖を乱暴に戻し、焼けた手のひらを一瞥して、短く吐き捨てた。
「……五分、予定より遅れたな。牛串の屋台、閉まってなきゃいいが」
その言葉を聞いて、アリスは力が抜けたようにへたり込んだ。
術は使えない。けれど、彼女の「調律」が、朔夜という荒ぶる暴力を「正解」へと導いたのだ。
エレーナが、アリスの背中から顔を出し、朔夜の方へと駆け寄る。
「サクヤ! かっこよかった! 花火みたいにキラキラしてた!」
「キラキラじゃねぇよ、ただのオーバーヒートだ」
朔夜は、エレーナの頭に不器用な手つきで触れ、そのまま視線をアリスへと向けた。
そこには、いつもの冷徹な合理主義者としての顔ではなく、パートナーへの確かな信頼が、夜風に溶けるように一瞬だけ宿っていた。
「アリス。助かった。……お前の耳がなきゃ、今頃は神社の境内ごと吹き飛ばしてるところだった」
「……お礼を言われるのは嬉しいけど、もう少し自分の体も大事にして、サクヤ」
アリスは、震える膝を押さえながら立ち上がり、朔夜の焼けた右手をそっと取った。
術は使えない。けれど、彼女の指先が触れると、朔夜の荒れ狂っていた霊力の残響が、不思議と凪いでいく。
「さあ、サクヤ。約束の牛串、まだ開いてるか見に行きましょう。エレーナもお腹空いたわよね?」
「うん! 私、かき氷も食べたい!」
騒動の余韻が残る中、朔夜たちは人々の視線を気にも留めず、再び祭りの灯りの中へと戻っていく。
最速で問題を解決し、残りの時間は「家族」との時間を楽しむ。
それが、土御門朔夜という男の、最も合理的で、最も不器用な「愛」の形だった。




