不協和音(ノイズ)の増幅
「サクヤ、来るわ! 音が――真っ黒に塗りつぶされていく!」
アリスが鋭く声を上げたのと同時だった。
境内の喧騒を貫いて、鼓膜を直接針で刺すような不快な高音が響き渡る。楽しげだった笛の音は、喉を潰された獣の断末魔のような不協和音へと変貌し、祭りの熱気を一瞬で氷つかせた。
御仮屋に安置された古い神輿の影から、ヘドロのような闇が染み出し、無数の「手」となって参道を歩く人々へ這い寄る。
「アリス、エレーナを連れて下がってろ。……ったく、祭りの最中にメンテナンス不足の神を呼び出すんじゃねぇよ」
朔夜は帯から引き抜いた符術を二枚、両指の間に挟み込み、一気に霊力を流し込んだ。
彼の術式には、伝統的な陰陽師が重んじる優雅な所作など微塵もない。それは、エンジンの点火タイミングをミリ単位で追い込み、爆発的な出力を生み出す二輪整備士の思想そのものだ。霊力を「効率」という名の型に押し込め、最短距離で対象を粉砕する暴力へと変換する。
「サクヤ、危ない!」
エレーナの悲鳴が上がる。
神輿から溢れ出した闇が、巨大な蜘蛛のような形を成し、背後から朔夜を飲み込もうと跳ねた。
だが、朔夜は振り返りもしない。
「――遅い」
一言。
朔夜が地を蹴った瞬間、その姿が視界から消えた。
神速。
爆ぜるような衝撃波が参道の砂利を巻き上げ、朔夜は闇の塊の「中枢」へと一瞬で肉薄した。手に保持した符術が、スパークプラグが放つ火花のように青白く爆ぜる。
「っらぁ!」
叩きつけられたのは、繊細な呪術ではなく、霊力を物理的な質量へと叩き変えた無骨な一撃だ。
ベチャリ、と嫌な音がして闇の蜘蛛が地面にめり込む。だが、怪異は霧散することなく、周囲の闇を吸い込みながらさらにその肥大化していく。参道の提灯が次々と破裂し、逃げ惑う人々が転倒し、阿鼻叫喚のノイズがさらに怪異を太らせていく。
「サクヤ、違うわ! それはただの排気音よ! その怪物の『核』は、まだ神輿の中――一番調律が狂った鈴の音の中にある!」
人混みの外縁で、エレーナを抱き寄せたアリスが叫ぶ。
術は使えずとも、彼女の耳は万物の振動を音として捉える。彼女には見えていた。のたうつ闇の巨体は単なる霊力の残渣であり、真の「発信源」は、神輿の屋根で震える、錆びついた金色の鈴であることを。
「核はあの鈴か。……チッ、面倒な。アリス、ピンポイントでラインを指定しろ。障害物ごと最短でぶち抜く」
朔夜は浴衣の裾を膝まで捲り上げ、神速を維持したまま、アリスの「導き」を待った。
それは、世界で唯一アリスにしかできない、朔夜という剥き出しの暴力に「正解」を与えるための調律だった。




