第63話 金の顔
三十日と書いた途端、紙の顔が変わった。
菜々さんが机に見積もりを並べている。
可搬電源。
照明。
密閉箱。
棚材。
封印紙。
帳面。
鍵箱。
数字が並ぶだけで、運用の話だったものが、急に誰が払うのかという話になる。
「初期費用は、こちらで出します」
菜々さんが言った。
「全額ですか」
「仮運用分はね。ただし、寄付にはしない」
「寄付じゃない?」
「寄付にすると、物の所有が村へ移ったように見える。逆に、こちらが全部握っているようにも見える。どちらにも読めて弱い」
僕は見積もりの横に新しい見出しを書いた。
『仮運用費用負担』
初期設置。
山ノ上電源設備負担。
消耗品。
記録に基づき精算。
破損・紛失。
終了確認後に協議。
「協議って弱くないですか」
「最初から賠償って書くと、誰も使わなくなる」
菜々さんは即答した。
「仮運用では、壊れた時に責めるより、壊れ方を見る方が大事」
昼の会合で予算の紙を出すと、空気は予想通り重くなった。
側近の男は、見積もりを見てすぐ言った。
「民間が初期費用を負担するなら、山ノ上電源設備の備品ということですか」
「仮運用中は、山ノ上電源設備の所有です」
僕は答えた。
「ただし、使用は運用帳に基づきます」
「所有者が使用ルールも作る」
「使用ルールは会合で確認します」
言いながら、自分でも少し苦しいと思った。
所有している側が紙を作っている。
その事実は消せない。
年配の男が言った。
「村のための物なら、村が買った方が分かりやすい」
「分かりやすいです」
僕は認めた。
「でも、今すぐ村の予算に入れると、年度、名目、管理部署、全部が必要になります。仮運用までに間に合いません」
松原さんが、そこで小さく頷いた。
「村の予算に入れるなら、費目が要るね。備品なのか、防災なのか、施設管理なのか。そこが決まらないと、帳面で止まる」
金を出す方が正しい。
でも、正しい金は遅い。
今は、止めないための仮運用だ。
「では、山ノ上電源設備が所有し、村側は使用する。そういう整理ですね」
「仮運用中は、そうです」
「正式運用時は」
来ると思っていた。
「所有、保管、使用を分けて再整理します」
僕は答えた。
その場で、新しい表を出した。
『所有・保管・使用 整理表』
所有者。
保管者。
使用者。
記録者。
閉鎖確認者。
「一番強いのは所有者に見えます」
僕は言った。
「でも、この村では保管者と閉鎖確認者も強い。物を持っていても、置く場所を握られれば動かない。使っても、終わったことにしてもらえなければ次へ進まない」
側近の男は、表を見て言った。
「保管者が曖昧です」
「はい。だから、管理線として書いています。人名は裏で持ちます。前に出す表では、役割を出します」
年配の男が、少し不満そうに言った。
「責任者が見えない」
「責任者は必要です。ただ、一人にまとめると、その一人が止まった時に全部止まります。だから、確認点ごとに責任を分けます」
「責任を薄めているようにも見える」
「薄めないために、記録を分けています」
僕は運用帳を横へ置いた。
「持出、返却、終了確認。それぞれで名前か確認印が残ります。一人の責任者が全部を背負うのではなく、動いた場所ごとに責任が残る形です」
松原さんが、そこで口を開いた。
「一人の責任者って、便利なんだよ。あとで聞く相手が一人で済むからね。でも、その人が覚えてないと言えば終わる。帳面に残すなら、一人にまとめない方が残る」
側近の男は、その言葉には反論しなかった。
会合の終わり際、大滝が遅れて入ってきた。
珍しく、何も言わずに紙だけを受け取る。
「所有者は山ノ上電源設備か」
「仮運用中は、です」
僕が答えると、大滝は表を見たまま言った。
「金を出す者が、村の最低機能を握る形に見える」
重い言葉だった。
「そう見える危険はあります」
「危険じゃない。そう見える」
部屋の空気が固くなる。
菜々さんは何も言わない。
僕が答える場面だった。
「だから、使用と記録を分けています。所有者が勝手に出し入れする形にはしません」
「それでも、物はそちらの物だ」
「はい」
「なら、正式運用ではそこをどうするか出せ」
大滝は表を畳んだ。
「仮運用は読んだ。次は、正式運用の時に村が何を持ち、何を持たないのかを書け」
それは反対ではなかった。
でも、次の宿題はさらに重かった。
夜、僕は『正式運用時整理』という見出しを打った。
村が持つもの。
山ノ上電源設備が持つもの。
共同で確認するもの。
誰も単独で持たないもの。
最後の欄を書いた時、少し手が止まった。
誰も単独で持たないもの。
それは、たぶん記録のことだった。
記録を誰か一人が握ると、また元に戻る。




