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支配域の管理論〜ドミネーション・マネジメント  作者: nov


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第60話 閉じてきた人


 集会所の机の上には、昨日の最後に打った紙が一枚だけ残っていた。


 『終了確認表』


 見出しの下は、まだ空白だった。

 白いままの紙は、書きかけの紙より少しだけ強く見える時がある。

 何も決まっていないのに、そこだけ決めなければならないことだけは分かっている。


「今日は、松原さんですね」


 僕が言うと、菜々さんは頷いた。


「ええ。始める紙は、もうこっちで切れる。でも、閉じる紙は、閉じてきた人に聞いた方がいい」


 松原和枝。

 保全会の会計の裏側で、終わったことにする紙を扱ってきた人。

 大滝側の実務担当。

 そういう名前の出方ばかりしていた。


 ただ、昨日から少しだけ見え方が変わっていた。

 敵としてではなく、終わらせ方を知っている人として。


「行く前に、何を聞くか絞りましょう」


 菜々さんが言った。


 僕は空白の下へ、三つだけ書いた。


 返却物確認。

 破損確認。

 記録の閉鎖。


「補充は?」


 あやかが、土間から聞いた。


「入れたいです」


「でも、最初から入れると広がるわね」


 菜々さんは、少し考えてから言った。


「補充は閉鎖後の次回準備。終了確認そのものとは分けましょう」


 僕は、補充を別の欄へ移した。


 次回準備。


 終了確認表。

 次回準備表。


 また紙が分かれる。

 でも、今回はその理由が分かった。

 終わったことを確認する紙と、次に備える紙は違う。

 混ぜると、終わっていないのに次の話が始まる。



 松原さんの家は、集会所から少し下った道の奥にあった。

 庭先には、雪囲いを外したばかりの細い竹が束ねて置かれている。

 玄関の横には古い郵便受けがあり、角の塗装が剥げて、下の金属が黒く見えていた。


 呼び鈴を押す前に、あやかが小さく言った。


「怒らせないでね」


「怒らせるつもりはないです」


「黒部くん、つもりがなくても紙で怒らせる時あるから」


 否定できなかった。


 松原さんは、少し待ってから出てきた。

 灰色のカーディガンを羽織り、髪は後ろでまとめている。

 表情は固くない。

 でも、こちらを家の中へ入れるかどうかを、玄関先で一度測っている目だった。


「山ノ上の紙の話?」


 最初からそこだった。


「はい」


 僕が答えると、松原さんは僕の持っている封筒を見た。


「今度は何を増やすの」


 言い方はきつくなかった。

 ただ、かなり正確だった。


「増やすというより、閉じる紙を作りたいんです」


「閉じる紙」


 そこで、松原さんの目が少しだけ変わった。


「入って」



 茶の間は、きちんと片づいていた。

 棚には古いファイルが何冊か立っていて、背表紙には年だけが書かれている。

 平成二十九。

 平成三十。

 令和元。

 その数字の並びだけで、何かが長く続いてきたことが分かった。


 僕は、『終了確認表』の空白を見せた。


「開けるところまでは、かなり紙になってきました。鍵箱、開封記録、持出記録、返却記録。でも、返ってきたあと、何をもって終わりにするかがまだありません」


 松原さんは、紙を手に取った。


「返却記録があるんでしょ」


「あります」


「なら、返ってきたで終わりじゃないの」


 試されている感じがした。


「それだと、戻った物が使える状態か分かりません」


 僕は答えた。


「破損していた時、誰が確認したか。次に出せるか。記録を閉じた時刻はいつか。そこがないと、返ったことだけが残ります」


 松原さんは、しばらく黙って紙を見ていた。


「それを、誰に聞いて作ろうと思ったの」


「松原さんです」


「どうして」


「終わったことにする帳面を扱ってきた人だからです」


 言ってから、少しだけまずかったかと思った。

 終わったことにする。

 それは、責める言い方にも聞こえる。


 でも、松原さんは怒らなかった。

 代わりに、紙を机へ置いた。


「終わったことにするのは、悪いことじゃないよ」


 静かな声だった。


「終わらせないと、次のことが始められないからね」


 その言葉で、部屋の空気が少し変わった。

 僕は、知らないうちに、閉じることを少し悪いものとして見ていたのかもしれない。

 曖昧に閉じる。

 なかったことにする。

 そういう方ばかりを見ていた。


 でも、終わらせること自体は必要なのだ。


「ただし」


 松原さんは続けた。


「何を見て終わりにしたかが残ってないと、あとで全部おかしくなる」


 僕は頷いた。


「そこを聞きたいです」



 松原さんは、棚から古いファイルを一冊取ってきた。

 背表紙には、令和元、とだけ書かれている。

 中身を開くと、領収書のコピーと、手書きのメモと、短い確認印が並んでいた。


「これは、草刈り機の修理」


 松原さんは、一枚の紙を指で押さえた。


「支出の紙だけなら、払ったで終わる。でも、戻ってきた草刈り機が動いたかどうかは別」


「確認したんですか」


「したよ。最初の頃は」


 最初の頃。

 その言い方が少し引っかかった。


「途中から、確認欄がなくなっているんですね」


 僕が言うと、松原さんは僕を見た。


「よく見てるね」


 褒められた感じではなかった。


「なくしたのは、私」


「どうしてですか」


「面倒だから」


 あまりにも簡単に言われて、僕は一瞬返せなかった。


 松原さんは、少しだけ苦笑した。


「正確に言うと、確認する人がいなくなった。書く欄だけ残って、誰も見なくなった。空欄が増えると、帳面全体が弱く見える。だから消した」


 それは、かなり現実だった。

 必要だから欄を作る。

 でも、埋まらない欄は、紙そのものを弱くする。

 正しさだけでは続かない。


「じゃあ、終了確認表も、欄を増やしすぎると弱くなりますね」


「そう」


 松原さんは即答した。


「見ない欄は作らない。見られる欄だけにしな」


 その言葉は、かなり重かった。

 ここまで僕たちは、止まる場所が見えるたびに紙を増やしてきた。

 でも、閉じる紙は逆かもしれない。

 閉じる時には、続けられる少なさが要る。



 僕は、その場で『終了確認表』の下に、欄を三つだけ書いた。


 返却物。

 状態。

 閉鎖確認。


 松原さんは、それを見て首を振った。


「状態、じゃ広い」


「広いですか」


「広い。書く人が迷う」


「じゃあ、どうすれば」


「使える。使えない。要確認。この三つ」


 すぐに答えが返ってきた。


「状態を書くんじゃなくて、次に出せるかで切る」


 僕は、欄を書き直した。


 返却物。

 次回使用。

 閉鎖確認。


 次回使用。

 可。

 不可。

 要確認。


「それなら、見られる」


 松原さんが言った。


「破損確認は?」


 菜々さんが聞いた。


「破損って書くと、誰が壊したかの話になる」


 松原さんは、すぐに返した。


「最初に見るのは、次に使えるかどうか。壊した話は、その後でいい」


 それは、かなり大きかった。

 破損確認と書くと、責任の話に寄る。

 次回使用と書くと、運用の話に残る。


「閉鎖確認は、誰がしますか」


 僕が聞くと、松原さんは少しだけ考えた。


「返却した人じゃない方がいい」


「別の人」


「そう。返した人と閉じる人が同じだと、見たことにならない」


 また、役割分離だった。

 ここでも同じ構造が出てくる。

 開ける人。

 運ぶ人。

 受け取る人。

 閉じる人。


「でも、人数を増やしすぎると続きません」


「だから、いつも別人じゃなくていい。返却者以外の確認者。そう書けばいい」


 僕は、そのまま書いた。


 閉鎖確認者。

 返却者以外。


 松原さんは、ようやく少しだけ頷いた。



 帰り際、松原さんは玄関で僕たちを止めた。


「一つだけ言っておく」


 声が少し低かった。


「閉じる紙を作ると、昔の閉じ方も見えるようになるよ」


 僕は、すぐには答えられなかった。


「それは、保全会の帳面のことですか」


「そう聞こえたなら、そうなんだろうね」


 松原さんは、表情を変えなかった。


「でも、昔の紙を責めるために作るなら、私は手伝わない」


 その言葉は、はっきりしていた。


「責めるためではありません」


 僕は答えた。


「止めないために作ります」


 松原さんは、しばらく僕を見ていた。


「なら、終わらせ方を雑にしないことだね」


 それだけ言って、玄関の戸を閉めた。



 集会所へ戻る頃には、外の光が少し傾いていた。

 ストーブの上のやかんが小さく鳴っている。

 僕は机に座り、すぐに『終了確認表』を打ち直した。


 返却物。

 返却者。

 次回使用。

 可。

 不可。

 要確認。

 閉鎖確認者。

 返却者以外。

 閉鎖時刻。


 それから、別の紙を作った。


 『次回準備メモ』


 補充。

 修理。

 再確認。


 終了確認表には入れない。

 閉じた後に、次の準備として残す。

 その方が、終わりと次が混ざらない。


「だいぶ減りましたね」


 あやかが、横から紙を見て言った。


「減りました」


「松原さん、怖かった?」


「怖いというより、速かったです」


 何を残すか。

 何を消すか。

 どこを欄にすると紙が弱くなるか。

 そこを判断するのが速かった。


 菜々さんは、終了確認表を見ながら言った。


「いいわね。閉じる紙になった」


「まだ足りない気もします」


「足りないくらいでいい。閉じる紙は、埋まらない欄を作った時点で弱くなる」


 松原さんと同じことを、菜々さんも言った。

 たぶん、ここは本当にそうなのだ。


 始める紙は、止まる場所を潰すために細かくする。

 閉じる紙は、続けるために絞る。


 同じ運用の紙でも、強さの作り方が違う。



 夜、最後に僕は『終了確認表』の右上へ版数を書いた。


 案〇・一。


 その横に、小さく一行だけ足す。


 『閉じた後に、次を始める』


 開ける紙。

 持ち出す紙。

 返す紙。

 閉じる紙。


 ようやく、山ノ上保管場所の一回分の流れが見え始めていた。

 でも、それと同時に、松原さんの言葉も残っている。


 閉じる紙を作ると、昔の閉じ方も見えるようになる。


 この紙は、山ノ上のためだけでは終わらないのかもしれない。

 村が今まで何を終わったことにしてきたのか。

 そこへ、少しずつ線が伸び始めていた。


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