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支配域の管理論〜ドミネーション・マネジメント  作者: nov


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第59話 鍵の二系統


 集会所の鍵を開ける音が、いつもより大きく聞こえた。

 金属が少し引っかかって、二度目でようやく回る。

 その小さな抵抗だけで、昨日から考えていたことがそのまま戻ってきた。


 鍵は、開けば終わりではない。

 開かない時に、全部が止まる。


 僕は小部屋の机に、昨日作った紙を並べた。


 『山ノ上保管場所(案)』

 『鍵箱開封記録』

 『開錠線 二系統案』


 最後の一枚は、まだ見出しだけだった。


 集会所側開錠線。

 坑口側開錠線。


 その二行の間に、思ったより大きな溝がある。

 主鍵と予備鍵なら、村にも分かりやすい。

 でも、それだと主が中心で、予備は後ろに回る。

 止まった時にだけ思い出される鍵になる。


 僕たちが作りたいのは、そうではなかった。


「今日の説明、かなり言葉を選ぶわよ」


 菜々さんが、紙の端を揃えながら言った。


「鍵を増やす話にされますよね」


「される。だから、最初にそこを切る」


 僕は頷いて、紙の上に一行足した。


 『鍵の数ではなく、開ける線を分ける』


 書いてみると、少し固い。

 でも、今日はこれを外せない。


「もっと村の言葉にした方がいいかもね」


 あやかが、土間から言った。


「どう言えばいいですか」


「集会所で止まった時の鍵と、坑口で止まった時の鍵、かな」


 それは分かりやすかった。

 ただ、少し危ない。

 場所に寄せすぎると、鍵の所在の話に戻る。


「じゃあ、説明ではそれを使います。紙では開錠線にします」


「また二層だ」


「二層です」


 笑いながら言ったけれど、実際それが必要だった。

 村の前で通る言葉。

 あとで戻れる言葉。

 それを分けないと、どちらかで止まる。



 午前中、僕たちは吉岡さんの家へ向かった。


 坑口の家の前は、まだ日が当たりきっていなかった。

 古い石垣の隙間に白い霜が残っていて、歩くと細かく崩れる。


「鍵の話だね」


 吉岡さんは、僕たちを見るなり言った。


「はい。二系統にしたいんですが、説明の仕方で迷っています」


 彼は、玄関脇の低い台に腰を下ろした。

 僕が紙を見せると、しばらく黙って読んでから、集会所側開錠線の文字を指で押さえた。


「これは、集会所に鍵を置くって意味に読まれる」


「やっぱり、そう見えますか」


「見えるね。坑口側も同じだ。場所の名前がつくと、その場所の人間が握るように見える」


 そこは盲点だった。

 発生場所で分けているつもりだった。

 でも、読む側からすれば、鍵を持つ場所に見える。


「じゃあ、どう書けばいいですか」


 吉岡さんは少し考えた。


「発生側、でいいんじゃないか」


「発生側」


「集会所側で困りごとが出た時の線。坑口側で出た時の線。鍵の置き場所じゃなくて、最初に動く方向だ」


 なるほどと思った。

 鍵をどこに置くかではなく、どこで発生した時にどの線を使うか。

 そこを先に書けば、場所の支配から少し離せる。


 僕は紙へ書き直した。


 集会所側発生時開錠線。

 坑口側発生時開錠線。


「長いですね」


「長いけど、誤解は減る」


 吉岡さんは、そこで少しだけ笑った。


「短くする紙と、誤解させない紙は違う」


 それは、昨日からの流れそのものだった。


「もう一つ」


 吉岡さんは、鍵箱開封記録を見た。


「開ける時だけじゃなくて、開けなかった時も残した方がいい」


「開けなかった時?」


「連絡が入った。でも、別の線で先に開いた。そういう時に、動かなかった方が黙って消えると、あとで変な話になる」


 それも、かなり現場だった。

 鍵は開けた時だけが記録ではない。

 開けなかった線も、なぜ開けなかったか残しておく。

 そうしないと、誰かが動かなかったことだけが噂になる。


「未開封理由欄を足します」


 僕が言うと、吉岡さんは頷いた。


「それなら、二系統が喧嘩しにくい」



 昼前、宮本さんの家にも寄った。


 彼女は縁側で古い封筒を整理していた。

 僕たちが鍵の紙を見せると、最初に言った。


「鍵が二つあると、なくす理由も二つになるよ」


 その言い方は笑っていたが、内容は笑えなかった。


「そこが一番言われそうです」


「言われるよ。鍵は少ない方がいいって、みんな思ってるからね」


「でも、一つだと止まります」


「止まる」


 宮本さんは、あっさり頷いた。


「昔も、鍵持ってる人が法事で出てて止まったことがある」


 また、口の中だけに残っていた実例だった。


「その時はどうしたんですか」


「隣の家から脚立を借りて、裏の窓から入った」


 あやかが、少しだけ笑いそうになって、すぐ止めた。

 僕も笑えなかった。

 それは早いのかもしれない。

 でも、今の紙に乗せられる動きではない。


「それは、記録に残ってないですよね」


「残ってないよ。残せる話じゃないもの」


 宮本さんは、封筒を置いた。


「だから、鍵を二つにするのは分かる。でも、二つあることをみんなに言いすぎると、今度は鍵を借りに来る人が増える」


「借りる」


「ついでに開けて、ついでに置く。そういうのが始まる」


 昨日の「倉庫化」と同じだった。

 鍵があると、開けられる場所になる。

 開けられる場所になると、用途が増える。


「じゃあ、鍵を持つ人を前に出さない方がいいですね」


 菜々さんが言った。


「そう。前に出すのは、開ける条件。誰が持つかは、別に管理した方がいい」


 宮本さんは、そこで僕の紙を見た。


「それと、鍵は貸さないって書きな」


「貸さない」


「開ける人が開ける。鍵だけ渡さない。そこを曖昧にすると、すぐ広がる」


 僕はすぐに書いた。


 鍵の貸出不可。

 開錠役が現地で開錠。


 かなり強い文言だった。

 でも、必要だった。

 鍵を貸すと、開けた記録と使った人が分かれる。

 そこからまた口の中に戻る。



 午後の小会合は、前回と同じ小部屋だった。


 机の上には、紙を三枚だけ置いた。


 『開錠線 二系統案』

 『鍵箱開封記録』

 『鍵取扱条件』


 大滝本人はいなかった。

 その代わり、側近の男と、保全会の会計を手伝っているという年配の男が来ていた。

 初めて見る顔だった。


「今日は鍵の話です」


 僕は、最初にそう言った。


「鍵を増やす話ではなく、発生場所ごとに開ける線を分ける話です」


 それから、一枚目を出した。


 集会所側発生時開錠線。

 坑口側発生時開錠線。


 開錠役が現地で開ける。

 鍵の貸出はしない。

 開封時は封印を破り、記録に貼る。

 開けなかった線は、未開封理由を残す。


 年配の男は、最初から鍵の貸出不可のところを見ていた。


「貸さないなら、持ってる人が動けない時はどうする」


 想定していた問いだった。


「開錠役を一人にしません」


 僕は答えた。


「ただし、鍵を自由に貸すのではなく、開錠役の中で交代します。交代した場合は、交代記録を残します」


「面倒だな」


 年配の男は、すぐに言った。


「面倒です」


 僕は認めた。


「でも、鍵だけが人から人へ移る方が、後で追えません」


 側近の男が、そこで口を開いた。


「つまり、鍵の所在より、開けた行為を記録するという考え方ですね」


「はい」


「しかし、鍵の所在も重要です」


「重要です。なので、鍵の保管者と開錠役は別欄にします」


 僕は、紙をめくった。


 保管者。

 開錠役。

 交代時刻。

 交代理由。

 封印番号。


 側近の男は、それを読んで少し黙った。

 崩す場所を探している顔だった。


「ここまでやるなら、保全会の鍵管理に寄せた方が早いのでは」


 来た。


 言い方は穏やかだった。

 でも、ここで保全会に戻すと、山ノ上保管場所の意味がかなり削られる。


「保全会の鍵管理は、既存設備には合うと思います」


 僕は、できるだけゆっくり言った。


「でも、これは既存設備の鍵ではありません。集会所が止まった時も含めて使う、別の保管場所の鍵です」


「村のための物でしょう」


「村のための物です」


「なら、村の既存の管理線に入れるのが自然では」


 その言い方に、年配の男が頷いた。


 部屋の空気が、少しだけそちらへ傾いた。


 僕は、試行運用記録を出した。


 集会所側発生・昼・乾燥寄り 十三分。

 坑口側発生・昼・乾燥寄り 十一分。

 集会所側発生・夕方・雨後 十七分。

 坑口側発生・夕方・雨後 十五分。


「既存の管理線に入れると、集会所側で一度止まります」


 僕は、集会所側発生の行を指で押さえた。


「それが悪いと言っているわけではありません。でも、今回の目的は、止まった時の最低機能を動かすことです。だから、既存線の外に、発生側で開ける線が要ります」


 側近の男は、すぐには答えなかった。


 そこで、宮本さんが口を開いた。


「保全会に戻すなら、山ノ上に置く意味が半分なくなるね」


 短い一言だった。


 年配の男が、少し不満そうに彼女を見る。


「半分は言い過ぎじゃないか」


「言い過ぎじゃないよ。鍵が集会所の順番に戻るなら、山ノ上はただ遠い箱になる」


 その言葉で、部屋が止まった。

 かなり効いていた。


 吉岡さんも続けた。


「坑口側で発生した時に、集会所の順番を待つなら遅い。だから二系統なんだ」


 僕が言うより、ずっと村の言葉だった。


 側近の男は、しばらく紙を見ていた。

 やがて、静かに言った。


「二系統にする理由は分かりました」


 通った、とは言わない。

 でも、戻されなかった。


「ただし、鍵の保管者一覧は必要です。前に出す紙ではなく、管理用として」


「作ります」


 僕は答えた。


「開錠役一覧、保管者一覧、交代記録を分けます」


 年配の男が、そこで息を吐いた。


「また紙が増える」


「増えます」


 僕は言った。


「でも、鍵を貸さないために増やします」


 それ以上、年配の男は言わなかった。



 会合が終わったあと、宮本さんが廊下で僕を呼び止めた。


「今日は、よく言ったね」


「何をですか」


「鍵を貸さないってところ」


 彼女は、少しだけ声を落とした。


「村は、鍵を借りるところから崩れるんだよ」


 その言葉は、思ったより重かった。


「誰かが悪いわけじゃない。ちょっとだけ開ける。ついでに置く。あとで返す。そのうち、誰が開けたか分からなくなる」


「だから、貸さない」


「そう。開けるなら、その人が開けたまま責任を閉じる」


 閉じる。

 また、その言葉だった。


 鍵の話をしているのに、最後は閉じる話になる。

 たぶん、ここから先に必要なのは、始める記録だけではない。

 開けた箱をどう閉じるか。

 持ち出した物をどう戻すか。

 その終わり方の紙だ。



 夕方、集会所に戻ると、僕は三枚の紙を打ち直した。


 『開錠線 二系統案』


 集会所側発生時開錠線。

 坑口側発生時開錠線。

 鍵の貸出不可。

 開錠役が現地で開錠。

 開錠しなかった線は未開封理由を記録。


 『鍵箱開封記録』


 開封日時。

 開封線。

 開錠役。

 封印番号。

 持出物。

 閉鎖確認。


 『鍵取扱管理表』


 保管者。

 開錠役。

 交代時刻。

 交代理由。

 交代確認。


 そこまで打つと、紙の形が少し変わった。

 鍵を誰が持つかの紙ではない。

 鍵がどう動き、どう開き、どう閉じるかの紙になってきた。


「次、閉じる紙が要りますね」


 僕が言うと、菜々さんは頷いた。


「ええ。鍵だけじゃなくて、物も」


「返却記録はあります」


「返却だけでは足りない。戻った物が使える状態か、記録が閉じたか、次に出せるか。そこまで見ないと終わらない」


 それは、今日の宮本さんの言葉と同じだった。

 開けるより、閉じる方が難しい。


 あやかが、机の端に座って言った。


「松原さん、こういうの詳しそう」


 その名前が出た瞬間、部屋の空気が少し変わった。


 松原和枝。

 向こう側の帳面を閉じてきた人。

 まだ直接、深く話したことはない。

 でも、保全会の会計の裏側で、終わったことにする紙を扱ってきた人だ。


「会いに行きますか」


 僕が聞くと、菜々さんは少し考えてから頷いた。


「行きましょう。始める紙は、もうこっちで切れる。でも、閉じる紙は、閉じてきた人に聞いた方がいい」


 その言い方で、次に行く場所が決まった。


 山ノ上保管場所。

 鍵箱。

 二系統の開錠線。

 封印。

 記録。


 開けるところまでは、かなり見えてきた。

 でも、開けたものは閉じなければならない。

 村の中で本当に強いのは、始める人ではなく、終わったことにできる人なのかもしれなかった。


 夜、最後に僕は、新しい見出しを一つだけ打った。


 『終了確認表』


 その下は、まだ空白だった。

 でも、その空白の向こうに、松原さんの顔が少しずつ見え始めていた。


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