第5話 直接交渉
菜々さん的には空き家は1軒あればとりあえず十分なようだったが、越境の問題は放置しておくと売買にしろ相続が発生したにせよ面倒なことになりそうなので、なんらかの解決はしたいらしい。最低限、合意書面を残すくらいはしておきたいようだ。
速達で手紙を出して三日後。僕のスマホに、見慣れない札幌の市外局番から着信があった。
「……もしもし、黒部です」
緊張で声が少し上ずる。黒部星が僕の名前だ。
『お忙しいところすみません。佐藤と申します。お手紙、拝見しました』
電話の向こうの声は、意外なほどに疲弊していた。娘さんといいつつも高齢の方のようだ。
「……ええ、そうなんです。実は隣地の購入を検討していまして。どうしても越境部分がネックになっていまして」
僕はAIに用意させた『個人間売買のメリット』と『リスク回避策』のメモを横目に、言葉を慎重に選んだ。
『越境しているなんて知らなくて。でも、私もなかなか札幌からそちらに行く余裕がなくて……。近所の方から50万円で売ってくれないかという話もあったんですが、ちょっとその金額だと、ちょっとねぇ』
「それなら、いっそ僕たちに直接譲っていただけませんか? 瑕疵担保……あ、つまり、建物が壊れていても一切文句は言わないという現状引き渡しの条件で。まずは中を見させてもらえますか? あと、もしお手元に固定資産税の通知書などの資料があれば、契約書の作成に必要なので拝見したいです」
『……ええ、それなら。鍵は玄関横の牛乳箱の中に隠してあります。資料は、たしか奥の書斎の机の引き出しに書類のファイルがあったはずです』
父、彰造さんが亡くなってから十数年。もう村に住んでいる親族もおらず別荘はただ朽ちていくだけの負債で、倒壊の責任や相続の煩雑さを恐れていたのだという。ただ、相続時に司法書士にずいぶんとお金がかかったらしい。50万円では無理そうな感触だ。
電話を切った後、僕は菜々さんにメッセージで報告した。
「中、見せてもらえることになりました。あと、近所の人から50万円で買いたいって話が来ていたみたいですが渋っているっぽい雰囲気でした」
『いいわね。しっかり見てきて』
菜々さんの言葉を背に、僕は隣の佐藤邸にやってきた。こちらは道路に面しており、アクセスはたやすい。土地の面積は120坪と大きくはないが小さな畑らしきものや物置もある。
膝まで伸びたススキをかき分け、玄関の牛乳箱から錆びついた鍵を取り出す。
戸を開けると、古い家の匂いではあるものの前回の内覧とは違い、まだ人の気配のようなものを感じられた。
中は想像以上に「昭和」だった。
色褪せたタンスに、重厚な応接セット。
平屋の建物自体はしっかりしているが、ボイラーなどは取り外されている。水回りは怪しい。
道路に面しているからか下水道には接続されているようだ。水洗便器が設置されている。修繕は必要だろうがギリギリ住めるレベルに見えた。
奥の書斎。埃の積もった机の引き出しを開けると、一冊の分厚いファイルが出てきた。
中には別荘の権利証の写しと一緒に、見たこともない地名の土地の課税通知書が並んでいた。
「これは?……山ノ上?」
広さは、この別荘とは比較にならない。1200坪に及ぶ地目が畑の土地。ヘクタール換算だと0.4ヘクタール。農地としては小さいか。
公図から場所を照合すると、山ノ上の名前そのままの村の北側に広がる荒れ地だった。山とか森とかと言い換えてもいい。マップアプリの航空写真でも緑が生い茂っており、農地の面影は全くなかった。そこに行くための道路すらないのではないか。
再び、菜々さんに画像付きメッセージで報告。
「土地も建物も小さいですが、ちょっと直せば住めそうなレベル。あと、山の中に地目が畑の1200坪の土地も相続してるみたいです」
『セイくんならいくら出す? 私ならダメもとで50万円で交渉だけど』
うーん。50万円では厳しい気がする。
大方、司法書士だか弁護士に半ば丸め込まれて、随分とご立派な相続の目録書類を作ったのだと思う。
うちの母や祖母の相続の時にはこんな立派な表紙の書類なんて作ってない。資産らしい資産もなかったが、それでもなんだかんだと十数万円は取られた覚えがある。佐藤さんは大した資産価値もないものに結構な額を取られていて、そのせいで50万円で売るのは渋っているのではないだろうか。
「軽く直せば住めそうなレベルなので、セットで100万円ですかね」
『交渉は譲るわ。上手くいけばお隣さんね。でも、畑は農地だから面倒くさいよ』
そう、農地は農地法で売買に制限があるのだ。農業委員会の許可を取らないと売買ができない。
ただし、それは一定の面積の農地がある市町村であって、原発の風評被害と補助金漬けになって農業が壊滅しているこの村には設置されていないのだ。
そもそも農業従事者が0人になっていたので、選ばれる委員自体が存在しない。
ここ数日、暇と興味があったのでAIと役場に聞いてみたので間違いない。
役場の担当者に「農地ではない」という現況証明書を作ってもらい、法務局で地目変更登記すれば売買できてしまうのだ。司法書士に頼むとこれまた十数万かかってしまうが、当事者である自分がやれば交通費+アルファの数千円くらいでできてしまう。AIに委任状から登記の申請書類も作ってもらえそうだった。
僕は再び、札幌の佐藤さんに電話をかけた。
「……そうです、中を見ました。資料も確認しました。佐藤さん、この山ノ上の土地ですけど、これもお父様から?」
『ああ、やっぱりありましたか。今はもうどこにあるかも分からなくて。村に寄付すると言っても断られて困ってたんです』
農地のまま寄付と言っても、農地法で制限されるので残念だが当然なのよな……。
「佐藤さん。提案があります。別荘は、僕が100万円で買い取ります。その代わり、この山ノ上の土地もセットで僕に譲っていただけませんか? 登記費用や今後の管理は、すべてこちらで持ちます。これ以上、佐藤さんの手を煩わせることはありません」
『……いいんですか? あの山、本当に二束三文ですよ? むしろ、引き取って頂けるならこちらがお願いしたいくらいで……』
「構いません。その代わり、面倒な手続きは全部僕に任せてください。佐藤さんは、札幌にいながらハンコを捺すだけでいいようにしますから」
電話の向こうで、佐藤さんの声が震えた。
『……お願いします。本当に、助かります。そんな風に言って頂けるなんて』
電話を切ると、僕は思わずガッツポーズをしていた。
菜々さんが知らなかった情報を僕が現場で見つけ、自分で交渉して「獲物」を釣り上げたのだ。
ギリギリ住めそうな空き家なので100万円なら僕が買い取って住んでも全然良いし、リフォームして貸し出しても良さそうな気がする。
そんな皮算用で、僕は一国一城の主になることを決めてしまった。
菜々さんの交渉を隣で見て、やってみたくなったのは否定しきれないけれど。
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