第32話 発注の名義
翌朝、僕は昨日の紙袋を机の上に広げた。
中に入っていたのは、集会所の照明部材、延長コード、屋外用の投光器、空き家修繕に使えそうな古い予備品、その在庫一覧。
手書きではない。
整った書式で、品番と数量と保管場所が並んでいた。
右上に小さく、社名の印字がある。
『北陵環境整備』
村の会社ではない。
隣町に登記のある、聞いたことのない名前だった。
「これ、村の備品じゃないんですね」
僕が言うと、菜々さんは紙を一枚ずつ並べ替えた。
「ええ。だから昨日、大滝さんは『うちでも手伝えるところはある』って言ったのよ。村の備品を貸すんじゃない。自分たちの回路を通して物を動かす、って意味」
一覧の下には、小さく担当者名が入っていた。
苗字は違う。だが、どこか見覚えがあった。
僕は、これまで写してきた台帳と写真の控えを引っ張り出した。
草刈りの記録。
景観維持の写真。
畦の補修。
それから、農地の見回りに使ったとされる車両の記録。
何枚かを机に並べると、菜々さんがすぐに指を止めた。
「これ」
写真の端に、同じ会社名の入った軽トラックが写っていた。
「ほんとだ」
去年の草刈り写真にも、その前の畦補修の写真にも、同じ白い車体が小さく残っている。
気づかなければ、ただの作業車だ。
でも、一度見つけると、そこかしこにいる。
「発注先を変えてるように見せて、実際は物と人が同じところを回ってる」
菜々さんは、そう言って紙袋の中の一覧を軽く叩いた。
「農業関連予算の一部を、草刈りや景観維持や補修の発注に見せかけて流し、その出口でこの会社が受ける。そこから必要な物が、祭りにも、集会所にも、空き家修繕にも横流れしてる」
「つまり、協力を受けるってことは……」
「その回路に乗るってこと」
言い切られると、昨日の紙袋の重さが少し変わった気がした。
あれは善意の部材じゃない。
村の中で、誰の名義を通すかを確かめるための紙だった。
昼前、あやかを呼ぶと、社名を見た瞬間に眉をしかめた。
「北陵環境整備ね。表向きは隣町の会社だけど、実際に動かしてるのは大滝さんの親戚筋だよ」
「親戚筋」
「うん。農地の草刈りも、景観維持も、ちょっとした修繕も、そこを通すと早いってことになってる。早いっていうより、そこを通さないと後が面倒なんだけど」
あやかは椅子に浅く座って、紙を覗き込んだ。
「村の人は、別に会社のことなんて気にしてないよ。頼んだら来る、写真も撮る、書類も揃う。それで終わり。でも、その終わり方をずっと同じ家が握ってる」
「見積もりも?」
「たぶんね。少なくとも、誰に最初に声をかけるかは決まってる」
僕は、昨日の大滝の言い方を思い出した。
誰かが段取りをやらないと村は回らない。
その通りだ。
ただし、今まで段取りを握っていたのは、村そのものじゃない。
発注の出口を押さえた側だった。
午後、吉岡さんの家に寄ると、菜々さんは一覧のコピーを一枚だけ見せた。
「こういう会社、前から使ってましたか」
吉岡さんは、社名を見るより先に紙の書き方を見た。
「ああ、こういう書式ね。見たことあるよ」
「やっぱり」
「昔は会社の名前が違ったけど、やってることは似てる。炭鉱が閉じたあと、何でも『どこかに頼む』形にしないと、村の中で金を動かしづらくなったからね」
吉岡さんは、湯のみを置いてから続けた。
「でも、本当に必要なのは会社の名前じゃない。誰が頼み、誰が受け、誰が写真を持っていくか。その順番の方だよ」
その言葉で、前に宮本さんの家で見た札の意味がまた少し深くなった。
連絡の順番と、発注の順番は同じ回路に乗っている。
僕は、一覧の端に小さくメモを書いた。
『部材』
『発注』
『写真』
『集会所』
『草刈り』
どれも別の話に見える。
でも、出口は同じだ。
「受けますか」
あやかが聞いた。
菜々さんは少しだけ考えてから、首を横に振った。
「丸ごとは受けない。受けるなら、名義と使い道を見える形にする」
「見える形」
「そう。部材をもらうなら、どこから来たか、どこに使うか、誰が受けたかを全部残す。相手の回路に飲まれないためには、それしかない」
僕は、その言葉を聞きながら、空き家修繕の予定表の横に新しい欄を作った。
『入手先』
『使用先』
『受取人』
後援会の名前で受けるなら、後援会の記録に載せる。
村のためという曖昧な一言では済ませない。
夕方、北山さんのところへ寄ると、脚立を貸せると言ってくれた。
別の家では、古い投光器がまだ使えるかもしれないと言われた。
大滝の関連会社を通さなくても、村の中にはまだ動かせる物が残っている。
僕は、借りるものと、買うものと、受けるものを分けて書いた。
その作業は地味だった。
でも、こういう地味な線引きの先にしか、別の回路はできないのだと思った。
夜、最後に残った部材一覧をもう一度見た。
そこには、品番と数量しか書かれていない。
けれど僕には、もう別のものが見えていた。
発注の名義。
金の出口。
支配の通り道。
大滝は、手を貸す顔でそれを寄こした。
なら、こちらは受ける顔で、中身を見えるようにするしかない。
村で物が動く時、誰の名義で動いたか。
次に争うのは、そこだった。




