第3話 現地内覧
高橋菜々さんは次の土曜日にやってきた。どうやら車で2時間ほどの札幌に住んでいるらしい。早速、不動産屋に例の物件の内覧の予定を組んでおり、そこに同席することになっていた。
「お待たせ。セイくん」
星と書いてヒカリと読む。僕のキラキラ名前だ。
その説明はしたのだが、セイくんと呼ぶらしい。まあ、好きにしたらいいと思う。
不動産屋らしい胡散臭さをまとった若めの営業マンを連れてやってきた菜々さんだったが、彼女の格好もまた村の風景からは浮いていた。タイトなジーンズに、これまた体の線が出る白いニット。札幌のど真ん中を歩いているような格好で、泥の跳ねた軽トラが走る村道に立っている。
「こちらが例の物件でございます、高橋様」
営業マン――名刺には『誠心不動産・近藤』とあったが、その笑顔からは誠心のかけらも感じられない――が、錆びついた門扉をギギギと音を立てて開けた。
築四十年は超えているだろう木造二階建て。庭はすっかりススキに占領され、外壁の板は反り返り、ところどころひび割れ、剥げ落ちている。百万円という価格相応の姿だ。それに加えて、この家には致命的な欠点があった。
「近藤さん、ここ。小道を入った突き当たりだし、周囲をコンクリートブロック塀でがっちり囲まれてますよね。重機どころか、軽トラも入れられないんじゃ?」
僕の指摘に、近藤は嫌な汗を拭った。
「ええ、まあ……。大規模な改修は難しいかもしれません。手作業中心になりますね」
「それだけじゃないわ」
菜々さんは、隣家との正確かどうか不明な境界線に視線を落としていた。
「ねえ、公図と照らし合わせてみたんだけど。あっちの隣の家……屋根の庇どころか、建物の一部が完全にこっちの敷地内にはみ出してない?」
「あー、はは……。昔の家ですからね。お互い様ということで、なあなあになっていたんでしょう」
近藤が誤魔化すように笑うが、現代の不動産取引としては致命的だ。境界未確定の上に、不法占拠に近い状態。普通なら、買い手がつくはずもない『事故物件』ならぬ『地雷物件』だ。
「リフォームもまともにできない、隣家ははみ出してきている。菜々さんはどうするつもりなんです?」
僕が呆れて問いかけると、菜々さんは逆に楽しそうに目を輝かせた。
「セイくん。これは『楔』よ」
菜々さんは、臆することなく草をかき分け、玄関へと進む。
「土地面積は三百坪。法務局の公図上はね。でも……」
僕は、昨日AIに聞いた『過疎地の不動産取引における注意点』を思い出して口を開いた。
「この辺、境界が曖昧なところが多いですよ。昔の人が適当に決めたきりだって店長も言ってましたし」
「境界ねぇ……。そういうの、大好物だわ」
菜々さんは振り返り、いたずらっぽく笑った。
玄関の引き戸を開けると、鼻を突くのは湿気と埃の混じった、古い家特有の匂いだ。畳は沈み、壁の砂が剥げ落ちている。それどころか虫の死骸が散らばっている。近藤が「現状渡しですので、リフォームは必須ですが……」と早口でまくしたてる中、菜々さんは部屋の中ではなく、窓から見える『外』をじっと見ていた。
「近藤さん。そこのはみ出た家って、あそこは誰の持ち物? 住んでる様に見えないけど」
「あ、あそこですか? 住んではいないですが、夏は別荘に使っているみたいですね」
近藤は「売買の対象外ですけどね」と肩をすくめた。
菜々さんの目が、獲物を見つけた猛獣のように、一点を射抜いた。
「ここ、五十万円なら買います」
唐突な、かつ強烈な指値に近藤が目を丸くした。正直なところ僕もびっくりだ。トイレも汲み取り式で水道も破損。灯油も何十年も使ってないので暖房も使えない。ついでに雨漏りもしてそうだ。生活インフラがまともに機能していない。どう見てもすぐすぐには住めない。直すのにお金と時間がかかりそうだ。
「ご、五十万、ですか? 百万でも破格の物件ですよ?」
「破格じゃないわ。リフォームもまともにできない、境界未確定の地雷物件よ。これ以上、在庫として抱え込むよりはマシじゃない? 仲介手数料も今はどっちでも三十万円よね?」
菜々さんは冷徹なビジネスマンの顔で、動揺する近藤を追い詰める。ただ、即答はできない。あくまで仲介だ。売主の意向もある。
その後、適当な理由をつけて近藤を物件の外へと追い出すと、彼女はニヤリと笑って僕に向き直った。
「いい、セイくん。本番はここからよ」
彼女はボロボロの畳の上に、最新型のタブレットを広げた。画面には、村の複雑な地形図と、所有者情報の更新が途絶えた区画が赤く塗りつぶされた地図が表示されていた。
「この村には、地元の人間が気づかない富の源泉がある。それは、原発立地自治体特有の電気料金の割引措置。補助金とかもあるけど」
「補助金……?」
「そう。安価な電気。これほど、マイニングやAIエージェントの自動運用サーバーを回すのに適した場所はないわ。この空き家をその拠点にするの」
菜々さんは指先で画面をスワイプする。
「ここにAIサーバーを設置して、二十四時間、世界中に情報を書き込み続けるAI兵士たちを養うの。彼らが稼ぎ出す外貨と、村の安価な電力を交換する。この産業の死にかけた村を、世界で最も高密度な『価値の生産拠点』に書き換えてあげるわ」
菜々さんはタブレットを閉じ、僕の顔を覗き込んだ。
「セイくん、あなたは私の『現地マネージャー』。この村の境界線を、物理的にも仮想的にも、一緒に塗り替えてみない?」
百万円、いや五十万円の「ゴミ」だと思っていたボロ家が、菜々さんの言葉によって、世界のシステムへと繋がる巨大な回路のプラグのように見えてきた。一度止まりかけていた僕の人生が、高電圧の電流を流し込まれたように、熱く脈打ち始めていた。
「まずはそのはみ出た隣家の所有者にお手紙を出そっか」
「……え?」
はみ出た隣家の登記簿を押し付けながら、菜々さんは僕に意味ありげに微笑んだ。
「買えればどっちでもいいし、両方でもいいの。セイくんもバイト代は多い方がいいでしょ?」
なかなか、強欲な話だ。だが、確かに僕もバイト代は多い方がいい。




