第18話 帳簿の匂い
昔話のヒアリングを3件無事こなした翌日、あやかから短い連絡が来た。
郵便局の裏に、昔の農地の記録を持っている人がいるらしい。
今はもう役場勤めでもなく、村の外れで小さな物置を管理しているだけだという。けれど、草刈りの委託や畦の補修がどう回ってきたかを、いちばん古くから知っているのはその人だ、とあやかは言った。
「帳簿を見るなら、現場の人じゃなくて、現場のあとを知ってる人だよ」
そう言われると、たしかにそうだった。
草の刈り跡には人の手間が残る。でも、金の流れは手間そのものでは見えない。どこに見せる写真を置き、どこを残し、どこを省いたか。その順番を知っている人間がいるはずだった。
あやかの案内で入った物置は、古い地図と封筒と、使い終わったファイルが壁際に積まれていた。
畳んだ畦図の束の上に、年度ごとの薄い台帳が並んでいる。
「これ、全部見てもいいんですか」
僕が聞くと、あやかは小さく肩をすくめた。
「見せても困らないものしか、ここには置いてないから」
あやかと一緒に案内してくれた老人は、名前を聞いてもすぐには返事をしなかった。
それより先に、机の上の台帳を指で押さえた。
「この村は、炭鉱が終わってから形が変わった。人が減ったぶん、手を入れているように見せる仕事が増えたんだ」
「草刈りですか」
「草刈りも、土手の補修も、景観の整備もだ。書類の上では別の仕事でも、実際にやることは似てる。見えるところを整えるだけなら、金の出どころを分けて書ける」
菜々さんが、台帳の背表紙を一つずつ見ていく。
「農業振興、環境保全、地域づくり、イベント準備……」
「そう。名前を変えれば、同じ仕事でも別の予算に乗る」
老人は、そこで初めてこちらを見た。
「昔は人がいたから、そんなことをしなくても回った。けど、空いた土地を空いたままにしておくと、村は寂れたように見える。見え方が悪いと、次の金も来ない。だから、見える場所だけでも動かすんだよ」
菜々さんは何も言わずに、畦図と台帳の対応を取り始めた。
同じ区画に、年度ごとの委託先がいくつもある。
名前は違うが、連絡先の筆跡が似ている。
写真の撮り方も、いつも同じ角度だった。
「これ、分けてるように見せてるだけね」
「そうだろうね」
老人は悪びれなかった。
悪びれないまま、淡々と続ける。
「村は狭いからな。回せる人間も、頼める人間も決まってくる。草を刈る人、写真を撮る人、書類を出す人。みんな違うようで、実際は同じ輪の中にいる」
僕は、そこでやっと見えた気がした。
耕作放棄地は、ただ放置されているわけじゃない。
放棄されたあとを埋める仕事があって、その仕事を回す輪がある。
そしてその輪は、農業を守るためではなく、村の顔を保つために回っている。
菜々さんが、ふとある年度の台帳を止めた。
「この年、委託の区画が急に増えてますね」
老人は視線だけを落とした。
「ああ。その年は、選挙の前だった」
部屋の空気が、そこで少しだけ重くなった。
農地の管理は、農地だけの話ではない。
草の刈り方ひとつで、村の見え方が変わる。
村の見え方が変われば、票の流れも変わる。
帳簿の端に並ぶ名前を、菜々さんが静かに指で追う。
その指先が止まった先に、見覚えのある姓があった。
あやかが、何も言わずに僕の横を見る。
僕は、その姓を見た瞬間に、次にどこを調べるべきか理解した。
村の空白は、畑だけじゃない。
帳簿のほうにも、同じだけ空白がある。




