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支配域の管理論〜ドミネーション・マネジメント  作者: nov


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第17話 空白の畦道

 翌朝、村は妙に静かだった。


 菜々さんの車に乗り、僕はあやかの案内でまず郵便局前の古い家へ向かった。郵便局そのものは小さい。けれど、その周囲だけは、なぜか昔の人の生活がまだ残っているように見える。


「ここ、昔はもっと人がいたんだよ」


 あやかは車を降りるなり、郵便局の脇に並ぶ古い家々を見上げた。


「炭鉱が動いてた頃は、ここが村の表口みたいなものだった。郵便も荷物も人の出入りも、みんなここを通ってた」


「今は、ほとんど通過点だね」


 僕がそう言うと、あやかは少しだけ笑った。


「通過点になったのは、閉山してから。人が減ったっていうより、仕事が消えたんだよ」


 郵便局前の古い家は、板張りの外壁が少し色褪せているだけで、まだ人が住んでいてもおかしくない佇まいだった。けれど庭先には手入れの跡が薄く、裏の畑へ続く小道には、背の高い雑草がもう膝まで伸びている。


「この辺も、昔は畑だったの?」


「そう。炭鉱があった頃は、畑もちゃんと回ってた。でも閉山して人が抜けたら、すぐ手が回らなくなった。残った家の人も、高齢になったり、町に出たりしてね」


 あやかは、畑の向こうを指さした。


 そこには、いくつかの区画が不自然なほど整っている場所があった。周囲は雑草だらけなのに、その一角だけは草が刈られていて、境界のようなものまで薄く見える。


「あれ、誰が手入れしてるの?」


 僕が聞くと、あやかは一瞬だけ言葉を選んだ。


「さあ。名目はあるみたいだよ。草刈りをしたとか、景観を保ったとか。たぶん、何かの予算がついてる」


「何かの予算」


「農業関係のやつ。細かい名前までは知らないけど、畑が荒れると困るってことで、お金が動く。だけど、実際にどこまで誰がやってるのかは、見えにくい」


 見えにくい。

 その言葉は、ここまで見てきた村のあらゆる場所に当てはまった。


 空き家もそうだった。所有者不明の土地もそうだった。祭りの通り道も、補助金も、票の束ね方も、全部が「見えにくい」という一点でつながっている。


 菜々さんは、その話を聞きながら黙って頷いていた。車の中に戻ると、すぐにノートPCを開き、昨夜あやかが教えてくれた名前や家の位置を地図に落としていく。


「この畑、いま見えたのは偶然じゃないわね」


「偶然、ですか」


「ええ。閉山で土地が空いた。人が減った。なのに、田畑を維持しているように見せるだけの仕組みが残っている。だったら、そこにお金の流れがあるはず」


 菜々さんは、畑の区画を指でなぞった。


「耕作放棄地って、ただ放置されてるだけじゃないのよ。放置されてるように見せながら、誰かが管理していることにして、予算を通している可能性がある」


「……誰かが」


「そう。実際に草を刈ってる人じゃなくて、帳簿を動かしてる人」


 僕は、目の前の風景が少し違って見えてきた。


 雑草の伸びた畑。草の刈られた区画。人のいない家。郵便局前の古い家。閉山で仕事が消え、土地だけが残る。そこにだけ予算の影が落ちる。


 そこに、村の利権の輪郭がある。


「まずは、誰がここを管理していることになっているか、調べましょう」


 菜々さんがそう言ったとき、あやかが車の窓越しに後ろを振り返った。


「……あの草の刈り方、ちょっと変なんだよね。全部を綺麗にするんじゃなくて、見せたいところだけ切ってある」


「見せたいところだけ?」


「うん。村の人は、そういうの見てるよ。どこまでやってるように見えるか、どこから先は見せないか」


 その言葉で、僕はようやく次に見るべきものを掴んだ気がした。


 土地は、ただの空き地じゃない。

 見せ方ひとつで、補助金にも、利権にも、地盤にも変わる。


 そして、その境目はたぶん、畦道のどこかにある。


 僕たちは郵便局前の古い家を後にして、次の耕作放棄地へ向かった。


 村の空白は、思ったよりずっと広い。


 沢沿いに回り込むと、今度は畑の輪郭がもっとはっきりした。

 細いあぜ道だけが妙にまっすぐ刈られ、その外側は背丈のある草がそのまま残っている。真ん中の一筋だけが、誰かに見せるために切り取られたみたいだった。


「ここ、全部を整えてるわけじゃないんだ」


 あやかが言った。


「予算のつく場所だけ、先に刈るんだよ。去年もその前も、同じ感じ」


「草刈りの回数まで決まってるのか」


「決まってるというより、合わせてる。役所に出す写真もあるし、地元の人に見せる体裁もあるし、人もいないし」


 菜々さんは、スマートフォンで畦の位置を撮りながら、低く息を吐いた。


「つまり、放棄地が増えたから予算が増えるんじゃなくて、増えた放棄地を理由にして、維持の名目が積み上がるのね」


「そういうことになってる」


 僕は、そこに立つだけで、畑がもう畑ではない気がした。

 作物を育てるための場所じゃない。人が手を入れていると見せるための場所だ。


 あやかが、少し迷ってから続けた。


「炭鉱があった頃は、土地を使う人がいたから、ちゃんとした帳尻があったんだと思う。閉山して、家が空いて、畑も空いた。で、空いたものを埋めるみたいに、草刈りだの景観維持だのが増えた」


「埋める、か」


「うん。だから、表向きは農業の話なんだけど、実際は村の見栄えの話でもある」


 菜々さんが、畑の向こうに見える軽トラックの跡を見た。


「見栄えのためのお金が、どこへ流れてるか。そこを追えばいいわけね」


「たぶん、そこが一番やわらかい」


 あやかはそう言って、刈られた境目を指で示した。


「ここまでが、見せる畑。ここから先は、見せない畑」


 その言い方は冗談みたいだったのに、冗談に聞こえなかった。


 見せるために刈られた畑。

 見せるために残された空き家。

 見せるために続いている村の整い方。


 僕は、土地の荒れ方にまで手順があることを初めて知った。


 そして、その手順のどこかに、村の金の流れが紛れ込んでいる。


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