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支配域の管理論〜ドミネーション・マネジメント  作者: nov


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第16話 票の地図

 集会所でのやり取りのあと、村の空気は少しだけざわついていた。


 大滝は何も言わないまま人を帰し、神社の総代も、保全会の年寄りたちも、互いの顔色を伺いながら畳を立った。勝ったとも負けたともつかない沈黙だけが残って、僕たちは外へ出た。


 夕方の風は冷たく、笹が擦れる音だけがやけに大きい。


「黒部くん」


 背後から呼ばれて振り返ると、あやかが小走りで追いついてきた。さっきまでの硬い顔が少しほどけている。


「今ので、たぶん大滝さんは本気で警戒したと思う」


「だろうね。でも、あそこまで言えたなら、こっちも動きやすいよ。菜々さん、あの話、本気でやるつもり?」


 菜々さんが軽く手を上げた。


「もちろん。本気。だから、久保さんにお願いがあるの」


 あやかは少しだけ身構えた。


「村の炭鉱時代の昔話とか、祭りの由来とか、古い家に残ってる写真とか。そういうのを話してくれそうな人、紹介してもらえない?」


 あやかは瞬きを一つして、それから小さく息を吐いた。


「……いるにはいるよ。けど、順番がある」


「順番?」


 僕が聞き返すと、あやかは集会所の向こうをちらりと見た。さっきまで大滝が座っていた席の方角だ。


「たとえば、あそこのおばあちゃん。話は長いけど、一番昔のことを覚えてる。神社の古い記録なら総代の家が早い。でも、先に行くなら、あの家は避けた方がいい。大滝さんの顔色を見るから」


「なるほど」


「それと、写真がある家は先に当たった方がいい。昔の祭りの写真は、言葉より強いから」


 さすが、人付き合いが濃く深い。

 あやかが続けて言った。


「あと、炭鉱の頃の話なら、郵便局前の古い家。閉山後の暮らしを覚えてる」


 菜々さんはそこで当然のようにメモを取り始めた。人の名前、家の順番、話しかけるときの間合いまで、地図みたいに記していく。


「助かるわ。じゃあ、まずは顔が立つ順番で回るのね」


「そうそう」


 あやかは少しだけ笑った。


「菜々さん、そういうところ、ほんと商売人だよね」


「商売というか、情報整理かな。村の物語は、集め方を間違えるとただの昔話になる。でも、順番を押さえれば、ちゃんと選挙にも村の外への発信にもなる」


 僕はそのやり取りを見ながら、ようやく菜々さんが何を狙っているのかを掴み始めていた。


 票は個人では動かない。

 情報もまた、個人では動かない。

 人の家、年寄りの順番、神社、総代、昔話、写真。村の中で使えるものは、全部つながっている。


 炭鉱で人が集まり、閉山で空き家が増え、その空き家が今では選挙の票とも土地の値段とも結びついている。


「じゃあ最初は、どこから行きますか」


 僕が聞くと、あやかは少しだけ考えてから答えた。


「明日の午前なら、おばあちゃんの家。昼前なら神社の総代。午後は役場に行く前に、写真を持ってる家」


「炭鉱の話を聞くなら、郵便局前の古い家も入れた方がいい。あそこは、閉山後のことを知ってる」


「三つも回れる?」


「回れる。けど、話を聞くだけじゃなくて、お土産くらいは持っていきなよ。それで機嫌が変わるから」


 菜々さんは肩をすくめた。


「了解。じゃあ明日は取材日ね」


 そこまで話したところで、あやかが少し声を落とした。


「あと、黒部くん。大滝さんは表向きは怒ってないように見せるけど、ああいう時ほど周りが動くから気をつけて」


「周り?」


「集会所の空気でわかるよ。誰が帰りにどこへ寄るか、誰が電話するか。あの人、そういうのを全部見てる」


 あやかの声には、姪としての距離感があった。完全な味方でもないけれど、完全な敵でもない。だからこそ、村の中でどこが詰まるかを一番よく知っている。


「ありがとう」


 菜々さんが短く頭を下げると、あやかは少しだけ目を丸くした。


「……じゃ、私はこれで。夜になる前に帰らないと」


 彼女が去っていく背中を見送りながら、僕は思った。


 この村で票を動かすには、演説より先に順番がある。誰に会うか、誰の家に先に行くか、誰に話を通しておくか。その積み重ねがそのまま票になる。


 菜々さんは僕のメモを覗き込み、淡々と言った。


「明日は、物語の採集よ」


「採集、ですか」


「ええ。村の物語を集める。票の地図を作る前に、まず心の地図を作らないと」


 僕はその言葉に、妙に納得していた。


 土地を買うのも、票を取りにいくのも、結局は順番と地図だ。どこに何があるかを知っている側が、物事を動かせる。


 そして、その地図はたぶん、地番よりも人の名前で書かれている。


 その夜、僕たちは久保あやかの案内で、村の古い家々を回る段取りを固めた。


 次に奪うのは土地ではない。

 村の記憶だ。


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