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支配域の管理論〜ドミネーション・マネジメント  作者: nov


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第15話 空位の玉座

 後援会事務所の看板が立ってから、菜々さんの家には村の人間が少しずつ出入りするようになった。


 挨拶だけして帰る者。

 様子見で立ち寄る者。

 「村のためになるのか」とだけ言って帰る者。


 どれも……なぜか票の匂いがした。


 そんな中で、村の空気を一変させる連絡が入ったのは、日が傾きかけたころだった。


> あやか: 「黒部くん、今ひま? 役場の向かいの集会所に来れる? 祭りの通り道のことで、ちょっと変な話になってる」


 久保あやかだった。こういう時だけ、彼女は妙に察しがいい。


> あやか: 「大滝さんがいる。菜々さんの話も出てるみたい」


 菜々さんと一緒に、役場の向かいにある集会所へ行くと畳の間には大滝のほか、保全会の面々と、祭りの準備役らしい年寄りたちが並んでいた。中央には、神社の総代らしい男が座っている。そして壁際の席に、あやかもいた。


 彼女は僕に小さく手を振ったあと、すぐに視線を落とした。大滝と顔を合わせるのを少し気にしているようにも見える。


 空気が重い。


「高橋さんを村議に出すって話、ずいぶんと盛り上がっているようだね」


 大滝は穏やかに笑っていた。だが、その笑顔は紙のように薄い。


「だがね、村には村の筋がある。選挙は選挙、土地は土地だが、祭りは別だ。そこに都会の理屈を持ち込まれては困る」


「何のことですか」


「神社の祭礼の通り道のことだよ。昔から、あの山ノ上の手前を通って御神輿を回してきた。ところが最近、あの周辺の土地をあちこち調べ回っているそうじゃないか。管理命令だの所有者不明だの、法律を振り回して、村の祭りを止める気か」


 なるほど、そう来たか。


 大滝の言う「通り道」は、地図で見ると曖昧だった。誰の土地かも曖昧、どこまでが神社の境内の延長かも曖昧、誰が草を刈るのかも曖昧なまま、ただ慣習だけがそこを通してきたらしい。


 僕は一瞬だけ菜々さんの方を見た。彼女は腕を組み、薄く笑っている。


「祭りを止めるつもりなんてありませんよ」


 僕がそう言うと、大滝はわざとらしく首をかしげた。


「では、何のために調べている?」


「誰が管理しているか分からない土地を、誰が責任を持つのか確かめるためです」


「責任?」


「はい。通り道が必要なら、なおさらです。草を刈るのか、倒木を片づけるのか、熊が出たときに誰が動くのか。伝統だけでは、もう回らないことが増えている」


 集会所の空気がわずかに揺れた。


 年寄りたちは顔を見合わせ、神社の総代は黙ったまま視線を落とした。大滝の言葉に乗るべきか、それとも今のうちに逃げるべきか、誰もが迷っている。


「黒部くん」


 大滝は声を低くした。


「君はまだ若い。だから分からないのかもしれないが、村の祭りは帳簿じゃない。人のつながりだよ。土地を一筆ずつ切っていけば、最後には村そのものが切り裂かれる」


「逆です」


 僕は言った。


「切り裂いてきたのは、責任の所在を曖昧にしたまま、都合のいいところだけを『伝統』として残してきた側じゃないですか」


 静かだった。


 言い終えてから、自分でも少しだけ驚いた。けれど、引っ込める気にはならなかった。


「村の祭りを守るなら、通り道の権利関係をはっきりさせる必要がある。誰の土地で、誰が維持して、誰が費用を出すのか。それを曖昧にしたまま『空気』で押し切るから、最後は誰も責任を取らなくなる」


 大滝の眉が、わずかに動いた。


 その瞬間、菜々さんが口を開いた。


「それにね、伝統を壊したいわけじゃないの。むしろ逆。壊れないように管理したいだけ」


 彼女は机の上にタブレットを置き、地籍図と昔の祭礼記録、神社の寄付台帳の写しを並べた。


「ここ、見て。神社裏の原っぱも、通り道の一部も、維持費が曖昧なまま放置されてる。誰が払ってるのか分からない。誰が刈ってるのかも分からない。なのに『昔からこうだった』で回ってる」


 大滝の視線がタブレットに落ちる。


「あなたたちが守っているのは、祭りじゃない。管理責任の空白です」


 菜々さんの声は淡々としていたが、部屋の温度を下げるには十分だった。


「若い人が戻らないのも、ただ都会に出ていくからじゃない。戻ってきたところで、何をやっても既存の空気に吸い込まれるからよ。なら、まず空気を変える。村の物語を外へ出す。祭りの意味を見える化する。選挙も同じ。見えないものは守れないし、見えないままでは奪えない」


 神社の総代が、初めてこちらを見た。


「……管理、というなら、誰がやるんだね」


「やれる人がやるしかないでしょう」


 菜々さんは肩をすくめた。


「人がいないなら、せめて続くような仕組みを作る。祭りの通り道も、共有地も、草刈りや電気代も、誰か一人の善意に頼らないようにする。そういう話です」


 大滝はしばらく黙っていた。


 やがて、低い声で言った。


「君たちの言い分は分かった。だが村の人間がそれを受け入れるかは別だ。祭りに口を出す者は、村を敵に回す」


「敵に回すのは、祭りじゃなくて責任の所在を見せないことです」


 僕の返答に、今度は大滝が笑わなかった。


 集会所の外では、夕方の風が笹を鳴らしている。神社の方角から、誰かが草を刈る音が微かに聞こえた。


 その音を聞きながら、僕はふと思った。


 後で気づいたことだが、あやかは大滝の姪だった。だからこそ、村の内側の空気も、こちらに連絡するタイミングも、あれだけ自然に掴めていたのだろう。


 この村には、いくつかの玉座みたいなものがあるのだ。誰も座っていると認めないのに、誰も無視できない椅子。


 大滝はそこに座っているつもりなのだろう。

 でも本当は、玉座の下にあるのは、名もない共有地と、誰も手を付けない帳簿と、所有者不明のまま積み上がった責任だった。


 席が空いているから、空気が王様のふりをしている。


 それなら、空席に座る資格を決めるのは、慣習ではなく、管理できるかどうかだ。


「祭りは止めません」


 僕はもう一度、はっきり言った。


「でも、止めないためのやり方は変えます」


 大滝は答えなかった。


 ただ、僕たちを見ていた。


 次の選挙は、議席を争うだけでは終わらない。

 この村の玉座に、誰が座るのかを決める戦いになる。


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