シュベルト・フォレレ
穏やかな春の日差しが、俺とベルガの背中を優しげに撫でていく。
次の宿場所までは少し遠いということで、街道沿いに設けられた簡易的な野営地に山羊蹄車を止めての野宿の態勢だ。
「街道沿いにはこういった野営地が点在していてな。旅をするもの達の憩いの場ともなっておる。山羊蹄車を止める場所が整備されていたり、簡単な東屋があったりとするのだ。場所によっては井戸が整備されていたりする。ファルナート王国が力のある由縁だな」
ラベルク村から出発して既に1週間が経過していた。地球での旅を考えると、車や電車、飛行機であっという間に目的地に着く感覚が俺の中では当たり前。こうやって街道を時間をかけて、ゆったりと進むというのもまたいいものなんだなと思えてきているから不思議だ。
「釣れないなぁ……」
「ふむ。なかなか釣りというのは忍耐が必要なものだな」
自分とベルガはナドゥ川の川縁に腰掛け、流れに揺れる浮きに視線を泳がせている。
そう。俺たちは釣りをしていたんだ。
ラベルク村から持ち込んだ弁当はとっくに底を尽き、宿場場では食事にはありつけるものの携帯食にも飽きてきたからだ。
「こんなことをせずとも、お前の焔刃でサクッと釣れるのではないか?」
「そうなんだけどさ。それだとやっぱり味気ないだろ」
人生の意味とは、意味のないところにこそある。なんでも便利にすぐできるってなったらそれに頼り切りになってしまうだろう。そんな言葉を創元師匠が言っていたような気がする。適当だけど。
自分の腰に下がった焔刃がクスクスと失笑しているのが分かって、ため息をつく。
実は、この即席釣り具。焔刃の力『生成』の魔法で俺が創り出したもの。
エリュハルトは生魚が毒と信じられている世界だ。その中では釣り具なんてものは勿論出回っていない。無いなら作ってしまえという至極単純な発想をしてみたんだ。
「男の浪漫とか、全然分からないんだけど」
「そうよね。楽ができるならそれに越したことは無いと思うわ」
女性陣の言葉はもちろん正論。正しいんだけど、そこはやっぱりさ。
生魚を普及させたいなら、それをどうやって捕まえるのかということも考えていかなければならないじゃないか!
そんなことを考えながらボーっと座っていると、ググっとベルガの浮きが河の中へ一気に引き込まれていくのが見えた。
「トラジ、なにか引っかけたぞ!!」
「おおお!? ベルガ、これって結構でっかいじゃないか!」
水面を暴れるようにして銀色の魚体がベルガの引っ張る力に抵抗を示す。上あごが剣のように鋭く尖っている如何にも獰猛そうな魚だ!
「あれはシュベルト・フォレレという暴れ魚だ! 成長し大きくなると小舟を襲うことでも有名だぞ」
なんだと! さすが異世界、魚自体も凶暴なものが多いじゃないか!
一気に俺とベルガの力で川岸まで引き付けると、大きく竿をしならせそのまま川の中から釣り上げる。
ビチビチと街道脇の草むらで、勢いよく跳ねる体長70センチほどの剣魚とでも言えばいいのか。
女神よ女神よ女神様。教えておくんなまし。
【シュベルト・フォレレ:獰猛な銀色のマスだと思って。水面から飛び出して襲い掛かってくることもあるから注意。皮と身の間に強い旨味がある魚よ。トラジの技術であれば美味しく食べることができるわ】
なるほど……マスか! 皮と身の間に強い旨味って言われたら、そりゃあ寿司職人としてはやるしかない。
✛ ✛ ✛
パチパチと焚火から立ち上る炎によって、捌いたシュベルト・フォレレの皮つきの身が炙られる。
皮と身の間に強い旨味ということは、つまりは皮を剝がさずにそのまま残し、直火で炙るか、熱湯をかけてすぐさま冷やして食べると美味しいということだ。
「すごい。固い皮が柔らかくなって、その下の脂が溶けてきて香ばしい匂いが漂うわ」
フィリナが早く食べたいと目で訴えている。その横でくんかくんかとミンミと同じような顔になって薫りを味わっているエルフ娘。
「よし。トラジ。湯が沸いたぞ」
簡素な片手鍋の中でぐらぐらと沸騰する水に、捌いたシュベルト・フォレレを潜らせる。もちろん『品質保持』の魔法で寄生虫などの衛生管理はすでに施した上でだ。
「皮が縮んで霜降り状になったな! その下の脂の乗りといったらすごいな……もう食べていいのかトラジ」
わくわくしているベルガの横からグリューンが我一番と口に入れてしまう。
「あ、グリューン! あたしが先に食べようと思っていたのよ。ずるい!」
エレノールの素っ頓狂な高い声にみんなが大きく笑う。
焔刃も嬉しそうに静かに光る。
ベルガは無我夢中に口の中に放り込む。フィリナの幸せそうに上気した顔。エレノールのほっぺの中にはどれほどの切り身が詰まっているのか。
「不思議だよな。地球のやり方と変わらない方法で捌いて出しただけなのに、これだけ美味しいって言ってもらえるんだ」
もちろん捌き方や魚の種類は自分の魔法で知識を得られたということも大きいとはいえ、この世界の魚の認識の在り方自体がとても不自然だ。
「生魚が毒ってことが当たり前すぎて食べようとすら思わなかったのも事実だけど……でも実際に生魚を食べて猛毒で死んでしまったって事件も聞くのよ」
ベルガもフィリナの言葉に同意するように頷く
エレノールが口いっぱいに頬張った切り身を、ごっくんと一気に飲み込む。
「やっぱりあれじゃない。神の包丁が毒の理ごと断ち切ったから美味しく食べられるのよ。あたしたちは神機が捌いた素晴らしい食事を頂いているってわけ」
確かにそうなのかもしれないが……それだと寿司を、生魚を食することを世界に広げることって難しすぎるんじゃないか? だって神の包丁がないと毒を中和できないんじゃ、俺以外の人が捌いても食べられないってことだよな
教えてくれよ師匠。女神シャウザ・ニーク。
この世界の常識ってどうしてそうなっているんだ。
焔刃はなぜかそれには答えない。
静かな沈黙の中、包丁の根元にある焔刃と言う銘が赤く光っただけであった。




