焦熱の刃
虚ろな瞳でフィリナはこちらへと体の向きを変える。
俺の目にはラスモフィスが紡ぎ出す糸に絡めとられ、彼女が全身操り人形になってしまったかのような痛々しい姿に感じられた。
「フィリナ! 俺たちが分からないのか!」
必死に叫ぶが、その声は当のフィリナには全く届いている気配は無い。歯ぎしりをするようにしてベルガが叫んだ。
「よく聞け。ああなってしまっては奴の魔力が途切れるまでは、ワシらの敵になったも同義だ。更にフィリナは拳聖流の使い手。いつもは彼女の性格上、どこか抑えて使っているが、実際の力はかなりのものであることは明白だ」
ベルガの額を冷たい汗が流れ落ちる。ラベルク地方での戦いで、フィリナの強さに助けられてきたことを思い出す。それが敵として立ちはだかっているんだ。
エレノールの短杖に宿していた『導きの光』を洞窟の天井にある繭に向かって放つ。
「あたしとトラジでラスモフィスの相手をする。フィリナが居て派手な攻撃魔法が使えないから補助に回るしかないの。ベルガ! フィリナをなんとか食い止めて。たぶん貴方じゃないと抑え込めない」
「簡単に言ってくれるじゃないか。仕方ない、なんとかしてみようぞ!」
俺はもう一度フィリナに視線を戻す。いつも明るく責任感が強くて、周囲のことを考えて悩んでいる。その為なのか、自らの意志を押し込んでいるようなところがある。ブチ切れた時の戦闘力が並外れているのは周知の事実だ。そうなったフィリナはベルガじゃないと抑えることができないのは間違いない。
「トラジは蜘蛛に集中! あなたの身体能力を向上させるわ!」
エレノールの足元に広がる魔紋の文様。地を這うような声で錬成が始まる。
女神よ女神。俺に力を貸してくれ。『情報処理』
【幻妖蜘蛛ラスモフィス――レベル42。古代狼と同じくらいの実力ですね。魔力スポットと呼ばれる磁場の乱れから生まれるモンスターなので、食するには向いていません。とても残念です。腹の瞳には魅了の力があり、一度目を合わせてしまえば蜘蛛の魔力が途切れるまで支配下に置かれます。糸や巣は燃えやすいので焔刃での直接攻撃には注意が必要です。焔を変換し、熱としなさい。活路を開くのはトラジの心次第です】
導き出された情報は、殆どがベルガとエレノールから聞いた情報の再確認だった。強いて言うならばどんな相手でも食いしん坊女神様に掛かると、食べられるかそうではないかで評価が分かれてしまうところがあるな。
「よっしゃあああ! トラジ、打ち合わせ通りにいっくぜーー!」
こっちもこっちで、グリューンのどこか間の抜けた大声が洞窟内に響き渡る。
言われんでもやるつもりだ。一度成功はさせているんだ。
この技は口の中で握った寿司が体温と混ざり合い、ネタとシャリが同時にほどけて旨味と風味が混じり合うような、そんなイメージを膨らませたもの。
そうだ。食材に熱が伝わっていく感覚を研ぎ澄ますんだ!
焔刃を顔の横で地面と水平に構え、意識を集中させていく。神の包丁の柄から刃先に伝わるような大きな熱伝導を想像する。焔を凝縮することで刃と成す。
『焦熱の刃』
よし! 練習通りだ。力強いオレンジ色の光に包まれた、高熱だけを発する刃へと包丁自体が変化をしていく。
(くそ……ごっそりと魔力が持って行かれるな。腹減りバロメーターが一気に下がった感じだ。これは速攻で決めないとヤバいかもな)
『敏捷性向上』
今まさに蜘蛛に向かって切りかからんとする俺の身体に、エレノールから放たれた強い魔力が宿る。全身が軽くなって、いつもよりも素早く動ける。これもラベルク村で古代狼を相手にした時に、仲間の能力を向上させた魔導の一種だったはずだ。
ラスモフィスは俺とベルガの全身に宿った魔導の力強さに気付いたんだろう。不快な叫び声に似た音を10本の触手のような脚から奏でると、即座に間合いを詰めてきた。
「奴の脚が左右から襲い掛かってくるぞ!」
グリューンが俺の頭にしがみ付くようにして叫ぶ。分かっているって! 今のこの身軽さなら余裕綽々だ。左右から挟んで捕えようと詰め寄ってくる10本の蜘蛛の脚を、前方にステップするようにして軽々と躱す。そのまま熱の刃で蜘蛛の脚を薙ぎ払った。
焦げたような「ジュッ」という音がして、奴が避けそこなった3本の脚が宙を舞った。
「グギュギュ!」
蜘蛛は苦しそうな叫び声を上げると、残った脚を震わせるようにしてその場から洞窟の奥に下がっていこうとする。
「させるかよ!」
そのまま突風のように一気にラスモフィスの傍に走り寄る。このタイミングならば、その腹にある瞳を一刀両断できるんじゃないか。
「相棒。いい気になるんじゃない!」
グリューンの俺の動きを制するような声と同時に、蜘蛛の腹の瞳に更に下にある口らしき箇所が開く。そこから白い糸状の塊が大量に吐き出された。それは洞窟の内外にある、ねばねばとした白い繭と同じもの。もがけばもがくほど、絡み合うようにして粘着力が強くなっていく。
ニヤリとラスモフィスが笑ったように感じられた。




