潔癖
「トラジの寿司への情熱には困ったもんね。ちょっと散らかっているけど入って」
エレノールが扉を開け、自宅内へ俺たちを招き入れる。
そういえばエルフ女子の家の中って、どんな感じなんだろうか。薬草のいい匂いに満たされたあたたかい空間? それとも分厚い魔導書が所狭しと並べられた書庫のような場所なんだろうか。期待に胸が膨らんで毒々しい赤い扉をくぐり抜けた。
その時目の前に広がった光景。いったいどう表現したら良いのか。
まず入ってすぐの玄関から既に足の踏み場もないほどの靴の山。倒れている鉢植えや禍々しさ爆発の植物が周囲の壁を這いまわるようにして生えている。時折ポンと弾けるようにして種子らしき物体をばら蒔いているのだが、それが更に玄関の散らかりようを加速している。
「適当に靴を脱いで入ってね。一応貴重な魔導資料とか、そこら辺に置いてあるから」
この惨状に靴を脱いで入るだと? グリューンは鼻を摘まむと早々に俺の服の中に退避済みだ。わなわなと身体を震わせるフィリナに、まったく気にする様子もないベルガが大股で入ってきているのが対照的だ。
「右の扉はあたしの寝室だから入らないでね。左が研究室よ。そんなに広くないからうまく置いてあるものを掻き分けて場所を作ってね」
かき分けて場所を作るだと? 俺は突っ込むことも忘れてしまったように絶句し、固まってしまう。
エレノールが研究室の扉を開くと、途端に中から独特の異臭が解き放たれた。
何年も積もった埃が舞う感覚と、古くなった紙の匂いが混じる。薬品の匂いもツンと鼻につく。
足の踏み場もないほどの散らかった書類の山。
魔道具であろう、なにやら得体のしれない器具が無造作に転がっている。
魔紋が途中で途切れたままになっている床が辛うじて見える状態だ。
奥の本棚からは魔導書や論文の数々なんだろう、全てが雪崩を起こしたかのように溢れかえっていた。
もしかして、開けていけないパンドラの箱を開けてしまったのか。このエルフ娘に頼もうと思った俺と焔刃の直感を、今や全く信じられなくなってしまっていた。
『わたしには無理です。トラジ……なんとかしなさい』
え。今のはシャウザ・ニークの敗北宣言か! まさか女神様がサジを投げるのか?
フィリナが隣で美人が台無しになるほど顔を歪めている。
「なにか踏んだぞ?」と歴戦の勇者ばりのひと言を発するベルガは流石だよ。
グリューンなんか、あれから外に出てこないからな。
「なんか適当にどかして座って。そこにソファーがあるはずだから。色々乗っているだろうけど床に置いてしまって、たぶん大丈夫かな」
どこにソファーが?
これか? なんかちょっと変な薬品を被ったように色が果てしなく剥げまくっているぞ……というか、ソファーの上に食べ終わった食器を載せるな! 待て待て待て。しかも洗っていないから大変なことになっているじゃないか。
その時『ぶちん』と、何かが切れるような僅かな音が聞こえた気がした。
「ああああああ! ふざけないで! エレノ――――ル!!」
もちろんそれはフィリナの堪忍袋の緒が切れた音だった。
エレノールは突然髪を振り乱すようにしてキレ散らかしているフィリナを、唖然とした表情で見つめた。
「フィリナどうしたのよ。ちょっと待って、ソファーの上の物を投げないで! 大事なものもあるのよ、多分。あたしじゃないと分からないんだから止めて!」
「なにが大事なものもあるのよ、じゃない! そんな大切なものがある研究室ならしっかり片付けんかい! 汚くするにも程があるわい。ちょっと聞いてんのエレノール!」
完全にフィリナの語尾が変になっている。女神をもう一度その身に降臨させることが出来そうなぐらいの魔力の高鳴りに、研究室全体がガタガタと揺れていた。
「よくぞここまで散らかし放題にできたわね。これは私の腕の見せ所ね!」
不敵に笑う姿は、美人だけにすっげぇ怖い。
込められた気迫にホワイトドラゴンのエーデルヴァイスすら裸足で逃げ出してしまうほどの威圧感を漂わせている。
フィリナは持ってきた自分の荷物の中から、割烹着やら三角巾、箒や雑巾を取り出すと準備万端といった雰囲気で仁王立ち。そのまま俺とグリューン、ベルガは玄関から外に追い出されてしまった。
静まり返る住宅街。その中を気圧されたエレノールの声が、空気を虚しく震わせた。
「なによフィリナ。これでもちょっとは片付いているのよ。いえ、片付いているつもりよ、えっと、あたしなりには……」
「あんたの意見なんか聞いていないのよ! これっていつの食べ物なの! は、発酵してるじゃない! いつのか分からないのは捨てるからね」
ああ……お茶が旨いな。
放り出された格好の男子二人は、鉄製のマグカップを優雅に持ちながら『ワンダー・ワンダー』で手に入れた『ムロ茶』といわれる、鼻がスーッとするような香り漂うお茶を入れて飲んでいた。
「トラジ、このお茶はいいな。落ち着くような香りが癖になる。どこ産のお茶だ?」
「六陸共和国のリザート族の国の葉っぱって言っていたような気がする」
「それにこのカップは、もしやお前特製か? 包丁の魔法で作り出したものなのか」
ベルガの言葉に、口元を人差し指で縦に塞ぐような仕草をする。
このマグカップは『生成』で創り出した保温保冷完備のマジックアイテム。キャングと一緒にお土産として持って来ていた。グリューン用に少し小さめの物も用意してある。
「お前は食べ物に関して安易に魔法を使い過ぎだ。もっとこう戦闘用に応用がいくらでも効きそうな気がするのだが」
「俺の能力って神の包丁由来だから、食べ物関係じゃないとうまく発動しない気がする」
その言葉に怪訝そうな顔をしながら、ベルガはあご髭にマグカップから立ち上る温かい湯気を当てる。
「何と安直な……そして勿体ない魔力の使い方をするやつだ」
「フィリナ! それ、そこに置いてあるだけだから……フィリナァアアアア!」
ベルガの独り言に重なるように、大絶叫が辺りに響き渡ったのだ。




