第二話 好きだと伝えられましたので
九日目の午後、廊下で見覚えのある侍女を見つけ、思わず呼び止めた。
「オーウェン嬢は、最近変わりないか」
「はい。とてもお元気でいらっしゃいます」
「以前は、毎日のように執務室へ来ていたが」
「お気持ちを伝えられてから、ずいぶんさっぱりされたご様子です。もう思い残すことはない、と」
その言葉が、なぜか胸に刺さった。
二年間抱き続けた想いに、彼女はすでに自分で終止符を打っている。
こちらが答えるより先に、一人で恋を完結させてしまったのだ。
その夜、自分でも説明のつかない焦りに追い立てられ、短い手紙を書いた。
『最近、姿を見かけないが、変わりはないか』
返ってきた答えは、それ以上に短かった。
『お気遣いありがとうございます。好きだと伝えられましたので、もう大丈夫です』
もう大丈夫。
まるで、自分などとうに過去へ置いてきたかのような言葉。
それから、知らず知らずのうちに姿を目で追うようになった。
舞踏会でも、以前のように壁際で控えてはいない。
他の令息や文官と朗らかに談笑し、誘われればダンスにも応じる。
あんなふうに笑う女性だったのかと、今更になって気づいた。
誰と、何を話しているのだろう。
なぜ、こちらにいた頃より楽しそうなのだろう。
腰へ回された令息の手が、やけに目につき、苛立ちを覚えた。
「殿下は、答えを出した相手のことは、もう考えないものだと思っておりました」
隣にいた側近が、呆れたように言った。
「……何が言いたい」
「先ほどから、オーウェン嬢しか見ていらっしゃいません」
「見ていない」
「それでは、あちらで踊っている令息の名前をお答えください」
「知るか」
「オーウェン嬢のドレスの色は?」
「深い青だ」
「よくご覧になっていますね」
「……黙れ」
側近は口元を緩めながらも、すぐに真顔へ戻す。
「殿下は、まだ何も答えていないのでしょう」
「答える前に去られた」
「ええ。何も答えさせてもらえなかった。だから、今も彼女のことばかり考えているのではありませんか」
「それは……」
「本当にお断りしたつもりなら、他の令息と踊っているだけで、そのような顔はなさいません」
「どのような顔だ」
「鏡をご覧ください」
言い返す言葉が見つからない。
一方で、ヴァンドール侯爵家との婚約話は、着々と進められていた。
以前なら、異を唱える理由などなかった。政略結婚に嫌悪もない。
王太子妃として必要なものを、グレイスはすべて持っている。
だが、父王から正式な話を進めてもよいかと問われたとき、どうしても頷けなかった。
「少し考える時間をいただきたい」
自分の口からそんな言葉が出たことに、誰より驚いたのはアルディーン自身だった。
グレイスも、こちらの変化に気づいていた。
夜会で話しかけられても上の空。ダンスを踊っていても、視線は別の場所へ向かう。
婚約話が進むどころか、返答は先延ばしにされている。
そして、その視線の先にはいつも同じ伯爵令嬢がいた。
数日後、王宮で開かれた小規模な茶会で、グレイスがミラを呼び止めた。
声をかけたあと、人目の少ない柱の陰へ連れていく。
その様子が気になり、アルディーンも少し遅れて席を立った。
「オーウェン嬢。最近、ずいぶん楽しそうですこと」
「はい。おかげさまで」
「殿下のそばへ、あれほど足繁く通っていたのに」
「もう、伺う理由がありませんから」
「引いたふりをして、殿下の気を引いているのでしょう?」
「引いたふり……?」
本気で意味が分からない様子で、首を傾げている。
「今更、とぼけないでくださる?二年間も殿下のそばにまとわりついた挙句、手に入らないと分かった途端に興味を失ったふりをする。随分と姑息ですのね」
「いえ、本当に身を引いたのですが」
「それなら、なぜ殿下はあなたばかり見ているのよ」
「それは、わたくしに聞かれても……」
苛立ったグレイスの手が、テーブルに置かれた茶器へ伸びた。
持ち上げたカップを傾け、淡い色のドレスへ中身をこぼす。
その動きは、手が滑ったというにはあまりにも不自然だった。
「まあ、ごめんなさい。うっかりしてしまいましたわ」
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