水槽
アマガサの雨合羽を乾かそうと袋から取り出すと、ポケットの中から小さなカニが床に落ちた。見下げる私を警戒しているのか、今の状況に驚いているのか、小さなカニはその場から動こうとはしなかった。
「....貴方は潜り込んだの? それとも、連れてこられた?」
当然、返事なんて帰って来ない。けれど、この生活ですっかり独り言が多くなった。何か音が無いと、妙に落ち着かなくなってしまったわ。
「どちらにせよ、あの子に聞かないとね」
レースカバーを外し、屈んで素手でカニを掬い上げる。驚くほどに大人しいけれど、小さなハサミを広げて威嚇をして来た。不用意に指でも持って行くと挟まれそうね。
「さて....何に入れておこうかしら?」
アマガサの洗濯を後回しに、私は給湯室にやって来た。
「仮にでも、何か良い入れ物は無いかしら?」
あの子お風呂に入るのは渋る癖に、入ったら入ったで長風呂だから。キョロキョロと食器棚や調理器具を眺めて、手ごろそうな入れ物を探す。
「やかん....は注ぎ口から抜け出しそうね。コップ....は流石に狭そうね。ボウルも....抜け出されそうね」
私の独り言に反応するように、カニもカチカチとハサミをならす。
「....仕方が無いわ。一旦鍋に入れておきましょう」
カニをゆっくりと鍋の中に入れて、透明の蛇口を捻る。少し擦れたような、詰まったような音と後に、汲み上げられた海水が蛇口から出て来た。
僅かに張った海水の鍋の中で、カニは元気に動き回っている。まあ、逃げ道を探しているだけかもしれないけれど。
「食べるなら....揚げ物かしら?」
魚は捌いて素揚げにすれば骨まで食べられるけれど、カニの外骨格はどうなのかしら?
「折角ここまで来たのだから、夕食でも作りましょう」
カニが逃げないように鍋に透明な蓋をして、私はフライパンを電気コンロの上に乗せて加熱を始める。
「相も変わらず魚料理だけれど....味付け位は、毎日変えないとね」
私は壁に埋め込まれたスクリーンに触れ、船内の冷凍保存室から今晩の食材を選ぶ。
「大きいのを1尾....植物類から香り付け用の葉を合成、海塩と....あとはジャガイモね」
決定ボタンを押し、大きな機械音の後に選んだ食材が冷蔵庫の中に補充される。
「野菜も他にあればいいのだけれど、種が無いと温室で育てられないわね」
魚をフライパンで焼き、海塩で味を調整する。幸いな事は、魚によって味がかなり変化する事。おかげで塩しか調味料の無い海の上でも、全く同じ料理にならずに済んでいる。
「それこそ....カニはおいしそうね?」
チラリと鍋を見た。相変わらず、カニはハサミを広げて威嚇していた。
「ヒガサちゃん、お風呂出たよー!」
「あらアマガサ、ちゃんと温まったようね?」
「うん! あ、今日は何作ってるの?」
フワフワの白いパジャマに着替えたアマガサが、小走りに私の元にやって来た。身長のせいか、アマガサはフライパンは見えてもその中は見えない。もっとも、私に合わせて電気コンロが高くなっていると言うのもあるけれど。
「青くて大きいの。もう少しかかるから、遊んでいていいわよ」
「美味しいのだ! じゃあ....あれ? こっちの鍋は? 何か作ってるの? あれ? でも電源が付いてない....」
アマガサがカニの入った鍋に反応した。....良い機会ね。
「中を見て見なさい。アマガサへの、サプライズよ」
「え! ホント!? なになに? 新しい料理!?」
アマガサは晴れの様な笑顔を浮かべ、ぴょんぴょんと飛び跳ねて部屋の隅へ....椅子を取りに走って行く。....ふふ、可愛いわね。これからちょっとしたお説教が待っているのにね。
「よいしょ....っと! なにかななにかなー....あ」
大きく口を開けたアマガサと目が合った。アマガサは一瞬目を逸らして、ゆっくりと椅子を降りる。
「その反応だと自分で入れた様ね? あと少しで干しカニが出来ていた所だけど....何か言う事はあるかしら?」
「あー....ごめんなさい」
「素直なのはいい事よ」
私はコンロの電源を落とし、アマガサの頭を撫でる。少し湿っていて、とても暖かい。
「えへへ....」
「でも、ポケットの中に物を入れっぱなしなのは良くないわね。それで1度、雨合羽を破っているのよ?」
「は、はい....」
シュンとするアマガサに、膝を曲げて目線を合わす。
「それに今回は生き物よ? 粗末に扱っちゃダメ、分かるわよね?」
「うん....ごめんなさい」
俯くアマガサの頬を両手で包み、軽く揉む。ふにふにとして、とても軟らかい。
「はい、よくできました。じゃあ....カニは海に返すわよ?」
この話はこれでお終い。カニを海に返して、夕飯にしましょう。
「....ねえヒガサちゃん」
「ん? どうしたの?」
少し笑顔の戻ったアマガサと目が合う。頬を触る私の両手に、自分の手を重ねて来た。
「このカニ、飼ってもいいかな?」
「....食用?」
「ちがーう! この子ペットにするの! 今日の荒波で流れて来ちゃったのか、周りには親カニは居無かったし....なんだか、このまま海に返すのは可哀そうだなって....」
「そうねえ....」
生き物を飼う、これ自体に別に反対はしない。2人には広すぎる艦艇だし、こういう変化でも無ければ健康な精神を保てないだろう。ただ、どれ程小さくても生き物を飼うなら相応の責任が伴う。そこは、はっきりと言っておかないと。
「ちゃんとお世話できるの? 私は潜航できないから、カニの餌を取るのはアマガサよ?」
「できる! お魚いっぱい取って来るよ!」
「毎日健康状態を見て、水の交換や清掃もするのよ?」
「する! もうポンプも使えるから!」
真っすぐな目で、アマガサは私を見た。....これなら、問題無さそうね。世話をしなくなったら、海に投げればいいだけだしね。
「そう....じゃあ、鍋に変わるカニの家を作って来てちょうだい? この鍋、料理に使いたいから」
「....! 分かった!!」
嬉しそうに、笑顔を満開にさせて、アマガサは給湯室から走って出て行った。
「....。本当、可愛い子ね」
今日、鍋を使う予定は無いけれど。
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「カニのお家....まずは海水を入れるための容器だよね?」
あたしは合成室へ向かい、エニィクラフトに絵を描いて行く。
「容器はガラス類を合成して、後は海底砂を入れて....カニって狭い所が好きなんだっけ? じゃあ岩石類から洞窟も作っちゃおう!」
取って来た海底人工物を解体、加工、合成させ、絵に描いた物体に変換させる。
「容器の強度は....そんなに強く無くてもいいよね? あ、蓋は居るかも。プラスチック類から....蓋を作ろう」
もう少しプラスチック類を取ってくればよかったかな? まあいっか、また潜れば。
「決定ボタンを押して、っと。よーし! これカニのお家が出来上がるぞー!」
大きな機械のエニィクラフトは、これまた大きな音を立てて僅かに振動を始める。そしてすぐに、あたしの描いたカニのお家、水槽ができあがった。
「うんうん、我ながらいいセンス! ....よっこいっしょ! 海の中じゃ無いから、ちょっと重いかも」
砂と石の入った水槽を持ち上げ、足で扉を蹴り開けて給湯室に戻る。
「すんすん....あ、いい匂い! 新しい香り葉かな?」
お腹も空いたし、早く行かないと1品減っちゃうかも!
「お家できたー!」
「あら、早かったわね。....へえ、随分いい物ができたじゃない」
「でしょー! ヒガサちゃん、鍋取って! あたしがカニを移すから!」
あたしの背じゃ鍋の取っ手に手が届かない。椅子に上っても、ちょっと降りる時が怖い。
「ええ。はい、零さないようにね?」
「はーい!」
鍋を持って、中の海水ごとカニを水槽の中に入れる。勢いよく流れる水に、カニはあっという間に水槽の中へ落ちるように移動した。
「....よし! 今日からウチの子だぞー! そうだ! 名前を着けなくちゃ!」
鍋をヒガサちゃんに返し、邪魔にならない位置へ水槽を移動させる。
「うーんと、うーんとねえ....じゃあ....今日からお前は、『ワタル』だー!」
「随分と渋い名前になったわね?」
「でしょー? この子は海を渡る子になるんだよー!」
「ふふ、いい名前ね。さあ、夕飯にしましょう。鍋の物は、後で食べましょう」
「はーい!」
あたしは自分のお気に入りの食器を棚から取り、椅子に座って机の上に置く。机の上には大皿に乗った焼き魚が、いい匂いを放っていた。
「それじゃあ、いただきます」
「いただきまーす!」
晩御飯を食べ終わったら、ワタルにもご飯を上げなくちゃ!




