第六話
ピンポーン。
「はーい!」
玄関のドアが開く。
「あら、結衣ちゃん! おはよう!」
「おはようございます」
結衣は軽く頭を下げた。
「今日もありがとうねぇ」
「いえ」
「歩ならまだ寝てると思うから、上行っちゃって!」
「分かりました」
慣れた様子で階段へ向かう。
「あ、そうそう!」
「?」
結衣が振り返る。
「昨日のワンピース姿も可愛かったけど、今日の部屋着もすごく似合ってるのよ~!」
「……」
「……ワンピース?」
「ふふっ♪」
「……」
「……とりあえず歩起こしてきます」
「はーい!」
◇
コンコン。
「歩ー?」
返事はない。
「……寝てるわね」
結衣は静かにドアを開けた。
「入るわよ」
◇
「……」
「……」
「……」
ベッドの上。
歩は気持ちよさそうに眠っていた。
ふわふわした可愛らしい部屋着。
少し乱れた黒髪。
無防備な寝顔。
「……」
「……可愛い」
悔しそうに呟く。
「……」
「可愛い、けど!」
結衣は頭を抱えた。
「おばさん!」
「何考えてるのよぉ……!」
「歩」
「んー……」
「起きなさい」
「あと五分……」
「ダメ」
「……」
「歩」
「……」
「健斗来るわよ」
「……!」
歩は勢いよく飛び起きた。
「やべっ!」
「だから起きなさいって言ったでしょ」
「今何時?」
「まだ大丈夫」
「顔洗って着替えてきなさい」
「おう」
◇
数分後。
「できた」
制服姿の歩が部屋へ戻ってきた。
「ほら」
「ん?」
「チェックするわよ」
「おう」
「髪の毛……オッケー」
さらりと黒髪を整える。
「制服は……」
「ん?」
「ネクタイ曲がってるわよ」
「マジか」
「じっとして」
結衣は歩のネクタイを結び直した。
「はい」
「サンキュー」
「あと」
結衣は歩の顔を見上げた。
「顔も……大丈夫……」
「そうか?」
「……」
「……」
「……ちょっと待って」
「なんだよ」
「なんでそんな唇プルプルなの!?」
「は?」
「なんで?」
「あー」
歩は納得したように頷いた。
「母さんが、女の子は乾燥しやすいからリップ塗っとけって」
「……」
「昨日の夜から」
「……」
「……」
「……おばさん」
「なんでだよ」
「なんでもない!」
「意味分かんねぇ」
◇
「じゃあ行くか」
「ええ」
二人は家を出た。
◇
待ち合わせ場所。
そこには見慣れた後ろ姿があった。
「……」
歩は少し考える。
いつもなら。
後ろから飛びつく。
でも。
――少しは自覚しなさい。
――距離感には気をつけなさい。
「……」
歩は小さく息を吐いた。
そして。
ツンツン。
「おはよう」
「……?」
健斗が振り返る。
「どうした」
「何が」
「いつもなら飛びついてくるのに」
「……」
「今日から善処することにした」
「なんだそれ」
「俺にも色々あるんだよ」
「そうか」
「そうだ」
「?」
◇
「ちょっと歩!」
「なんだよ?」
結衣が歩の腕を引く。
「なんでツンツンなのよ!」
「飛びついてないんだからいいだろ」
「そういうことじゃなくてぇ!」
「意味分かんねぇ」
「分かりなさいよ!」
「どうした?」
健斗が不思議そうに二人を見る。
「なんでもねぇよ」
歩は前を向いた。
「ほら」
「ん?」
「信号変わったぞ」
「あ、ちょっと!」
慌てて追いかける結衣。
「……もう」
「なんだよ」
「なんでもない!」
「変なの」
「歩にだけは言われたくない!」
「なんでだよ」
「なんでも!」
そんなやり取りをしながら。
三人は学校へ向かった。
◇
教室へ入ると、いつものざわめきが耳に入る。
「おー、歩」
「ん?」
席へ向かう途中、タカシが手を上げた。
「今日、数学の小テストあるらしいぞ」
「マジか」
「知らなかったのかよ」
「聞いてない」
「絶対聞いてた」
そんな他愛もないやり取りをしながら席に着く。
「……」
結衣は、少し離れた席から歩を見つめていた。
――大丈夫そう……?
朝はちゃんとしていた。
健斗にも飛びつかなかった。
でも。
学校に来たら、またいつもの歩に戻るんじゃ……。
「あ」
歩の手元から消しゴムが転がり落ちた。
コロコロと床を転がっていく。
「ほら」
「ん?」
タカシが拾い上げ、歩へ差し出す。
「あ、サン……」
いつもなら。
「サンキュー!」
そう言って肩を組むか。
軽く背中を叩くか。
でも。
結衣の言葉が頭をよぎる。
――少しは自覚しなさい。
「……ありがとう」
「助かった」
「……」
タカシの動きが止まる。
「どうした?」
「……いや」
「なんでもねぇ」
「?」
歩は首を傾げた。
「歩」
「ん?」
結衣が声を掛ける。
「今日も変なことしないでよ?」
「……」
歩は少しだけ口元を上げた。
「わかってるって」
「ちゃんとやってるだろ?」
「……」
結衣は数秒、歩を見つめる。
そして。
「……そうね」
「その調子でお願い」
「任せろ」
歩はどこか得意げに頷いた。
その様子に、結衣は小さく息を吐く。
――大丈夫。
ちゃんと気をつけてくれてる。
◇
「うわっ!」
「マジか!」
「そこだ、歩!」
昼休み。
教室の隅では、男子たちがゲームに熱中していた。
「……!」
画面に勝利の文字が表示される。
「タカシ!」
「ん?」
「見たか!? 今の!」
ぱっと顔を上げた歩が、目を輝かせた。
「俺、一人で三人倒した!」
「すごくね!?」
キラキラした笑顔。
「……」
「なぁ、タカシ!」
「……あ、ああ」
「すげぇな」
「だろ!?」
歩は嬉しそうに笑った。
「今日は調子いいかもしれん!」
「……」
「……」
「タカシ?」
「……なんだ今の」
「は?」
「いや……」
タカシは視線を逸らした。
「なんでもねぇ」
「変なやつ」
歩は不思議そうに首を傾げた。
◇
「じゃあな」
放課後。
校門を出て、それぞれ帰路につく。
「なぁ、歩……」
「ん?」
タカシに呼ばれ、歩が振り返った。
「……」
「……」
「どうした?」
「いや……」
何か言おうとして。
でも、言葉が出てこない。
「……なんでもねぇ」
「?」
歩はじっとタカシを見る。
「タカシ?」
「……」
「大丈夫か?」
歩が一歩近付く。
「なんか今日、変だぞ」
「……」
「……」
「タカシ?」
心配そうに、覗き込む。
「っ……!」
タカシは慌てて視線を逸らした。
「……夕日のせいだろ」
「そうか?」
「そうだ」
「……ならいいけど」
歩はあっさり納得した。
「じゃあ、また明日な!」
「あ、ああ……」
「歩!」
「ん?」
少し前を歩いていた健斗が振り返る。
「行くぞ」
「あ、悪ぃ!」
歩は小走りで健斗の元へ向かった。
「またな、タカシ!」
「……おう」
夕日に照らされる後ろ姿。
タカシはしばらく、その場に立ち尽くしていた。
「……なんだよ、それ」
胸の奥が、少しだけ騒がしかった。




