第四話
昼休みが終わった。
教師が教室へ入ってくる。
「次は体育だ。各自着替えてグラウンドへ集合」
その言葉を聞いた瞬間だった。
「あ」
歩が固まる。
数メートル離れた席。
結衣も固まった。
「あ」
二人の声が綺麗に重なった。
「?」
健斗が首を傾げる。
「どうした」
「いや」
歩は視線を逸らした。
「なんでもない」
だが。
内心は全然なんでもなかった。
(終わった)
本気で思った。
完全に忘れていた。
体育。
つまり着替えである。
男子更衣室。
無理。
包帯を巻いているとはいえ、脱げば終わる。
(どうする……)
歩は結衣を見る。
結衣もこちらを見ていた。
目が合う。
二人同時にため息を吐いた。
◇
チャイムが鳴る。
クラスメイト達が立ち上がる。
「着替え行くぞ」
健斗が席を立った。
歩は頭をかく。
「……ちょっと体調悪い」
「は?」
健斗が眉をひそめる。
「大丈夫か」
「大丈夫じゃないから体調悪いんだろ」
「それもそうか」
健斗は素直に納得した。
少しだけ申し訳なくなる。
「保健室行くか?」
「そうする」
「送る」
「いやいいよ」
「なんで」
「一人で行けるから」
「そうか」
健斗はあっさり引き下がった。
(助かった……)
歩は内心で安堵する。
そして立ち上がった。
「じゃあ俺、保健室行ってくる――」
ふわっ。
「え?」
一瞬。
身体が浮いた。
「っておい!?」
気付けば肩に担がれていた。
「降ろせ!」
健斗は無言で歩き出す。
「降ろせって!」
「暴れるな」
「暴れるわ!」
クラス中の視線が集まる。
「何やってんだあいつら」
「また始まった」
「仲良すぎだろ」
好き勝手言われている。
タカシなんて腹を抱えて笑っていた。
「運ばれてるじゃねぇか!」
「笑うな!」
歩は真っ赤になった。
だが健斗は全く気にしていない。
「体調悪いんだろ」
「悪いけど歩ける!」
「保健室まで運べば問題ない」
「そういう問題じゃねぇ!」
健斗は首を傾げた。
本気で意味が分かっていない顔だった。
◇
一方。
その様子を見ていた結衣は。
(だからそうじゃないのよ……)
額を押さえていた。
事情を知らない健斗に罪はない。
むしろ心配しているだけだ。
それは分かる。
分かるのだが。
(今だけは勘弁して……)
胃が痛かった。
◇
保健室の前。
ようやく歩は解放された。
「はぁ……」
肩で息をする。
「だから一人で来れるって言っただろ」
「そうか」
「そうかじゃねぇよ」
歩は恨みがましく睨む。
だが健斗は全く気にしていない。
「終わったら見に来る」
「来なくていい」
「……いいから寝てろ」
それだけ言うと健斗は踵を返した。
「おい」
呼び止めても振り返らない。
そのまま体育館の方へ歩いていく。
歩は小さくため息を吐いた。
「相変わらずだな……」
昔からこうだ。
一度決めたら聞かない。
そして大抵、本当に見に来る。
嫌な予感しかしなかった。
◇
保健室へ入る。
幸い養護教諭は席を外していた。
歩は空いているベッドへ腰を下ろす。
そしてそのまま倒れ込んだ。
「助かった……」
男子更衣室。
想像しただけで胃が痛い。
もし包帯を見られたら。
もし胸に気付かれたら。
終わりである。
「体育どうしようとか考えてなかったな……」
天井を見上げる。
昨日から色々ありすぎた。
女体化。
学校。
包帯。
頭が追いついていない。
気付けば瞼が重くなる。
「少しだけ……」
そのまま目を閉じた。
◇
どれくらい眠っていたのだろう。
ガラッ。
保健室のドアが開く音で目が覚めた。
「歩」
聞き慣れた声だった。
「……結衣か」
カーテンが少し開く。
結衣が顔を覗かせた。
「大丈夫?」
「なんとか」
結衣は小さく息を吐いた。
どうやら本気で心配していたらしい。
「今日は何とかなったけど」
「ああ」
「何も解決してないからね?」
「分かってる」
歩は天井を見上げた。
「分かってるけど、考えてなかったんだよ」
「考えなさいよ……」
結衣は呆れたように言った。
「明日は?」
「考えてない」
「体育祭は?」
「無理だろ」
「健康診断は?」
「終わったな」
「笑い事じゃない!」
結衣が声を上げた。
歩は苦笑した。
自分でも笑い事じゃないのは分かっている。
「今日乗り切っただけでしょ?」
「まあな」
「その『まあな』がダメなの!」
正論だった。
歩もそれは分かっている。
「じゃあどうしろって言うんだ」
「考えるの」
「面倒だな……」
「歩」
結衣の声が低くなる。
「冗談だよ」
歩は苦笑した。
「助かってるし」
結衣が少しだけ目を丸くする。
そして。
「今日家行くから」
「は?」
歩は瞬きをした。
「作戦会議」
「作戦会議?」
「体育のこと」
「うん」
「学校のこと」
「うん」
「今後のこと」
「うん」
「全部」
結衣は真顔だった。
どうやら本気らしい。
「そんな大げさな……」
「大げさじゃない」
結衣は即座に否定した。
「歩は自覚ないかもしれないけど」
「うん」
「今かなり大変な状況だからね?」
それは否定できなかった。
「というわけで」
結衣は指を一本立てる。
「放課後、歩の家集合」
「俺の予定は?」
「知らない」
「ひどくないか?」
「ひどくない」
結衣は言い切った。
歩は数秒考える。
そして頭をかいた。
「お願いします」
一瞬。
結衣はぽかんとした。
だがすぐに笑う。
「よろしい」
結局。
こういう時は結衣に頼るのが一番だと昔から知っていた。
◇
ガラッ。
保健室のドアが開いた。
「生きてるか」
聞き慣れた声だった。
歩と結衣が同時に振り向く。
「あ」
結衣が小さく呟く。
(やっぱり来た……)
予想通りだった。
健斗は昔からこうだ。
一度心配すると放っておかない。
「来たのかよ」
歩は呆れたように言った。
「見に来るって言っただろ」
「本当に来るなよ……」
「顔色は?」
「最初から悪くねぇよ」
健斗は歩の顔を見る。
数秒。
「そうだな」
「だから言っただろ」
「ならいい」
本当に確認しに来ただけらしい。
結衣は小さくため息を吐いた。
「じゃあ私は戻るわ」
「ああ」
歩が頷く。
すると結衣はじっと歩を見る。
「放課後」
「あー……」
「忘れてないわよね?」
「覚えてる」
「怪しい」
「覚えてるって」
結衣は少しだけ笑った。
「じゃあまた後で」
そう言って保健室を出て行く。
◇
結局。
歩も少し休んでから教室へ戻った。
授業終わりの休み時間。
「歩ー!」
元気な声が飛んでくる。
タカシだった。
「おう」
「ゲームやろうぜ」
「いいぞ」
歩は席を立つ。
するとタカシが健斗を見る。
「健斗もやるか?」
「いい」
「なんでだよ」
「俺そういうの分かんねぇし」
「やれば分かるだろ」
「面倒くさい」
「じじいか」
「うるせぇ」
歩は思わず笑った。
「じゃあ行ってくる」
「おう」
健斗は軽く手を振った。
◇
教室の隅。
二人は向かい合って座る。
「今日は負けねぇからな」
「昨日も聞いた」
「今日は本気だ」
「昨日も聞いた」
「うるさい」
ゲームが始まる。
数分後。
「おい!」
タカシが叫んだ。
「それ反則だろ!」
「反則じゃない」
「反則だ!」
「負け惜しみ」
「くっそ!」
歩が笑う。
タカシも笑う。
いつもの光景だった。
◇
「うおおお!」
タカシが勢いよく立ち上がる。
「勝った!」
「マジか」
歩が目を丸くする。
タカシは勢いのまま歩の肩に腕を回した。
「やっと勝った!」
「近い近い」
「今日だけ許せ!」
歩は呆れながら笑う。
その時だった。
「ん?」
「どうした」
歩が首を傾げる。
「いや」
タカシも首を傾げた。
「シャンプー変えた?」
「は?」
「なんか匂い違くね?」
歩は自分の髪を少し触る。
「知らん」
「知らんのかよ」
「俺に聞くな」
「じゃあ誰に聞くんだよ」
「母さんじゃね?」
タカシは吹き出した。
「なんだそれ」
「俺もそう思う」
二人はまた笑った。
それだけだった。
タカシも深く考えなかった。
◇
一方。
本を読んでいた健斗は、ふと顔を上げる。
視線の先。
歩とタカシが騒いでいた。
「だからそれはずるいって!」
「実力だろ」
「絶対違う!」
二人とも楽しそうだった。
健斗は小さく笑う。
「元気そうだな」
それだけ確認すると、再び本へ視線を戻した。
◇
放課後。
チャイムが鳴る。
歩は帰る準備を始める。
その時。
「さて」
聞き慣れた声がした。
歩は顔を上げる。
結衣が立っていた。
にこりと笑っている。
嫌な予感しかしなかった。
「あ」
思い出す。
作戦会議である。
「行くわよ」
「はい……」
歩は素直に頷いた。
どうやら逃げ道はないらしい。




