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第三話

 翌朝。


 ピンポーン。


 インターホンの音が鳴った。


「あら?」


 母さんが時計を見る。


 まだ家を出るには少し早い時間だった。


 玄関へ向かい、ドアを開ける。


「あら、結衣ちゃん」


「おはようございます」


 そこに立っていたのは佐々木結衣だった。


 制服姿で、少し緊張したような顔をしている。


「どうしたの?」


 母さんが首を傾げる。


 結衣は少しだけ言いづらそうに口を開いた。


「実は昨日、歩から話を聞きまして……」


「話?」


「歩が女の子になったことです」


「ああ!」


 母さんは納得したように頷いた。


「結衣ちゃんも知っちゃったのね」


「はい」


 結衣は苦笑した。


 正直、未だに信じられない。


 だが昨日、自分の目で見た。


 だから否定もできない。


「放っておいたら危ないと思ったので……」


「うんうん」


「私も協力しようと思って来ました」


 母さんは目を丸くした。


 そして。


「結衣ちゃん優しい!」


「いや、そういうわけじゃ……」


 慌てて否定する。


 だが母さんは聞いていなかった。


「あなたー!」


 母さんがリビングへ向かって叫ぶ。


「結衣ちゃんが協力してくれるんですって!」


 数秒後。


 父さんが顔を出した。


「そうか」


 そして結衣を見る。


「助かる」


「おじさんは平気なんですか?」


 結衣は思わず聞いた。


「平気?」


「歩が女の子になったんですよ?」


 普通なら大騒ぎだ。


 だが。


 父さんは少し考えた後、


「最初は驚いた」


「今は?」


「興味深い」


 即答だった。


 結衣は固まった。


「興味深いんですか……」


「興味深い」


 もう一度言った。


 ダメだこの人。


「私は可愛いと思うわ!」


 母さんが元気よく手を挙げた。


「聞いてません」


 結衣も即答した。


 この家、大丈夫だろうか。


 少し不安になってきた。


「歩は?」


 結衣が話題を変える。


 母さんは二階を指差した。


「まだ寝てるわよ」


「まだ?」


「まだ」


 時計を見る。


 そろそろ起きないとまずい時間だ。


「起こしてきてくれる?」


「え?」


「どうせ起きないのよ」


「いや、でも……」


 結衣は戸惑った。


 幼馴染とはいえ男子の部屋だ。


 普通なら遠慮する。


 だが。


「今さらでしょ?」


 母さんは笑顔だった。


 何が今さらなのか。


 結衣にはよく分からなかった。


 結局。


 押し切られた。


◇


 コンコン。


 歩の部屋のドアをノックする。


「歩ー」


 返事はない。


「入るわよ」


 ドアを開ける。


 そして。


「……」


 結衣は無言になった。


 ベッドの上。


 歩が大の字になって寝ていた。


 布団は半分床へ落ちている。


 寝相が悪い。


 昔からそうだった。


 だが問題はそこじゃない。


「無防備すぎるでしょ……」


 思わず呟いた。


 昨日まで男だったせいなのか。


 本人に危機感が全くない。


 もし他人に見られたらどうするつもりなんだ。


 いや。


 たぶん何も考えていない。


 だからこそ危ない。


 結衣は額を押さえた。


「やっぱり私が見てないとダメだ……」


 半分本気でそう思った。


 そして。


 歩の服装に気付く。


「……」


 一瞬。


 思考が止まった。


 淡い色のパジャマ。


 フリルの付いた袖。


 どう見ても女の子用だった。


「……は?」


 思わず声が漏れる。


 なんでそんな格好をしているのか。


 理解するのに数秒かかった。


 そして。


「……可愛い」


 ぽつりと呟いていた。


 数秒後。


「いやいやいや!」


 慌てて首を振る。


「可愛いとか思ってる場合じゃないでしょ!」


 問題はそこじゃない。


 なんでそんなパジャマを着ているのかだ。


 結衣は歩へ近付く。


 肩を揺する。


「起きなさい」


「んー……」


「学校」


「あと五分……」


「ダメ」


 もう一度揺する。


 すると歩が薄く目を開けた。


「あれ……結衣?」


「そうよ」


「なんでいるんだ」


「迎えに来たの」


 歩は数秒考えた後、


「そうか」


 納得した。


 危機感がない。


 本当にない。


 結衣は確信した。


 やっぱり放っておけない。



「で?」


「ん?」


 歩はまだ半分寝ている。


「なんでそんなパジャマ着てるの?」


 数秒。


 沈黙。


「あー……」


 歩は面倒そうに頭をかいた。


「母さんに頼まれた」


「頼まれた?」


「一回だけでいいから着てくれって」


「断らなかったの?」


「断った」


「うん」


「泣かれた」


「うん」


「負けた」


「負けるな!」


 思わず叫んだ。


 歩は不満そうだった。


「だって泣くんだぞ」


「だからって!」


「しかも今までのパジャマ全部洗濯中らしい」


「絶対わざとでしょ」


「俺もそう思う」


 意見が一致した。


◇


 数分後。


 ようやく歩がベッドから降りる。


「昨日苦しかったんだよなぁ……」


「苦しかった?」


「包帯」


「ああ」


 歩は胸の辺りを軽く押さえた。


「母さんに巻いてもらったんだけどさ」


「うん」


「呼吸しづらいし動きづらいし最悪だった」


 結衣は少し考える。


 そして机の上の包帯を手に取った。


「とりあえず私が巻いてみるわ」


「できるのか?」


「知らない」


「知らないのかよ」


「でもおばさんよりはマシだと思う」


「否定できない」


 歩は素直に頷いた。


◇


「じっとしてなさい」


「おう」


 結衣は包帯を巻いていく。


 やったことはない。


 だがきつすぎないように。


 苦しくならないように。


 慎重に調整していく。


 数分後。


「どう?」


 歩は肩を回した。


 深呼吸してみる。


「おお」


「おお?」


「昨日より全然楽だ」


 結衣は少しだけ安心した。


「ほんと?」


「ほんと」


「よかった」


 歩は何度か腕を動かしてみる。


「さすがだな」


 何気なく言った。


 結衣が固まる。


「……」


「どうした?」


「別に」


 そっぽを向く。


 耳が少し赤かった。


 だが歩は気付かない。


◇


 制服へ着替え終わる。


 鏡の前に立った歩は首を傾げた。


「これなら大丈夫だろ」


「何が」


「胸隠れてるし」


 結衣は頭を抱えた。


「そこじゃないのよ……」


「?」


 本当に分かっていない。


 歩は鏡の前で制服を整える。


 その姿を見て。


 結衣は小さくため息を吐いた。


 包帯で胸は隠れている。


 だが。


 顔は隠れていない。


 雰囲気も隠れていない。


 どう見ても昨日までとは違う。


 本人だけが気付いていない。


「絶対何か起きる……」


「なんか言ったか?」


「言ってない!」


 即答だった。


 歩は首を傾げる。


 本当に分かっていない。


 だからこそ。


 結衣の不安は増していくのだった。


◇


 結局。


 結衣の不安は解消されないまま家を出ることになった。


「本当に大丈夫なの?」


「大丈夫だって」


「全然信用できない」


「ひどくないか?」


 歩は不満そうだった。


 だが結衣からすれば当然だった。


 本人だけが気付いていない。


 それが一番怖い。


◇


 駅へ着く。


 すると。


「遅い」


 聞き慣れた声がした。


 瀬戸健斗だった。


「悪い」


「……」


 健斗の視線が結衣へ向く。


「おはよう」


 結衣が軽く手を挙げる。


「おう」


 健斗も返した。


 だが。


 少しだけ首を傾げる。


「珍しいな」


「何が?」


「お前らが一緒なの」


 一瞬。


 結衣の心臓が跳ねた。


 だが歩は平然としている。


「たまたまだよ」


「そうか」


 健斗はそれ以上聞かなかった。


 ただ少しだけ不思議そうな顔をしている。


 結衣は内心でため息を吐いた。


(たまたまじゃないのよ……)


◇


 三人で学校へ向かう。


 歩も健斗もいつも通り。


 結衣だけが落ち着かない。


 その時だった。


「結衣」


「え?」


 突然名前を呼ばれる。


 顔を上げる。


 すると。


 目の前に歩の顔があった。


「ひゃっ!?」


 思わず変な声が出た。


「うおっ!?」


 今度は歩が驚く。


「なんだよ」


「近い!」


「近いか?」


 本気で分かっていない顔だった。


「顔色悪そうだったから」


「……」


 結衣は額を押さえた。


 心配してくれたのは分かる。


 分かるのだが。


 問題はそこじゃない。


 歩は首を傾げた。


「大丈夫か?」


 その仕草。


 その表情。


 その距離。


 結衣は思わず目を逸らした。


(その顔なのよ……)


 昨日までなら気にもならなかった。


 だが今は違う。


 柔らかくなった顔立ち。


 少し長く見える睫毛。


 心配そうに覗き込んでくる目。


(可愛すぎるのよ……)


 しかも本人は無自覚。


 だから余計にタチが悪い。


(こんなの他の人にやったらダメでしょ……)


 歩はそんなこと微塵も考えていないだろう。


「結衣?」


「な、なんでもない!」


 慌てて答える。


「そうか?」


 歩は不思議そうだった。


 隣では健斗も同じような顔をしている。


 誰も分かっていない。


 結衣だけが頭を抱えていた。


◇


 教室へ入る。


 いつもの朝。


 いつもの教室。


 のはずだった。


 だが。


 結衣は何度か視線を感じた。


 歩へ向けられた視線だ。


 もちろん誰も何も言わない。


 ただ。


 なんとなく。


 見ている。


 それだけだ。


 それだけなのだが。


(ほらぁ……)


 結衣は内心で呻いた。


 本人は気付いていない。


 歩はいつも通り席に座り、


 いつも通り友達と話している。


 だから余計に危ない。


◇


「歩」


「ん?」


 健斗が呼ぶ。


「今日なんか変じゃないか」


「え?」


 歩は首を傾げた。


「どこが?」


「いや」


 健斗は少し考える。


「分からん」


「なんだそれ」


「分からんけどなんか違う」


 歩は笑った。


「気のせいだろ」


「かもな」


 健斗もそれ以上は言わなかった。


 だが。


 結衣だけは知っている。


 気のせいじゃない。


 全然気のせいじゃない。


 問題は。


 その違いを本人だけが理解していないことだった。


 そしてそれが。


 これからもっと大きな騒動の始まりになることを。


 この時の歩はまだ知らなかった。


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