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第二話

 ドン。


 ドン。


 ドン。


 階段を上がってくる足音。


 確実に近付いてくる。


 俺の部屋へ。


「終わった……」


 ベッドの上で呟く。


 母さんはなぜか楽しそうだった。


「大丈夫よ!」


「何がだよ!」


「女の子の服貸してあげる!」


「大丈夫じゃねえ!!」


 今そんな問題じゃない。


 問題は健斗だ。


 あと数十秒で部屋に入ってくる。


 そして俺は。


 女だ。


「隠れろ!」


 父さんが叫んだ。


「どこに!?」


「クローゼット!」


「意味あるか!?」


 健斗は馬鹿じゃない。


 俺の部屋で俺が隠れていたら逆に怪しい。


 その時だった。


 母さんがポンと手を叩く。


「あ」


「嫌な予感しかしない」


「包帯巻けば?」


 沈黙。


 俺と父さんが同時に母さんを見る。


「それだ!」


◇


「痛い痛い痛い!」


「我慢しなさい!」


「締めすぎだろ!」


「男に見える方が大事でしょ!」


「呼吸ができねえ!」


 母さんは容赦なく包帯を巻いていく。


 人生で初めての経験だった。


 できれば最後にしたい。


◇


 その頃。


 廊下では。


「歩ー!」


 健斗の声が響く。


 まずい。


 近い。


 近すぎる。


 父さんは慌てて部屋を飛び出した。


「健斗くん!」


「おはようございます」


 健斗はいつも通りだった。


 だからこそ怖い。


「その……」


「はい?」


「コーヒーでもどうかね?」


「いえ、大丈夫です」


 即答だった。


「そうか」


 そうだろうな。


 学校前だしな。


 父さんは内心で頭を抱えた。


◇


「動くな!」


「無理だって!」


「学ラン!」


「今着る!」


 ボタンがうまく留まらない。


 焦る。


 指が震える。


 呼吸も苦しい。


 最悪だった。


◇


「歩?」


 健斗の声。


 もう部屋の近くだ。


「今日は遅いですね」


「そうだな」


 父さんもそう思う。


 だが理由は言えない。


 絶対に言えない。


◇


「まずい!」


 俺は叫んだ。


「間に合わない!」


「間に合わせなさい!」


 無茶言うな!


◇


 ドン。


 ドン。


 ドン。


 足音。


 近付く。


 一歩。


 また一歩。


 確実に。


 俺の部屋へ。


◇


「歩ー?」


 健斗の声。


 すぐそこだ。


◇


 ガチャ。


 ドアノブが回る。


 終わった。


 本気でそう思った。


◇


「おう、健斗」


「……顔色悪いぞ」


 第一声がそれだった。


 俺は心の中で絶叫した。


(助かったぁぁぁぁぁ!!)


 バレてない。


 気付かれてない。


 まだ大丈夫だ。


 たぶん。


 きっと。


 おそらく。


 そんな気がする。


◇


 学校へ向かう途中。


 俺はずっと落ち着かなかった。


 健斗はいつも通り隣を歩いている。


 だが俺はいつも通りじゃない。


 包帯は苦しい。


 胸を潰しているせいで呼吸もしづらい。


 しかも。


 今の身体は昨日までと重心が違う。


 歩くだけでも妙な違和感があった。


「歩」


「なんだ」


「やっぱ体調悪いだろ」


「悪くない」


「無理すんなよ」


 健斗はそう言った。


 それ以上は聞いてこない。


 だが心配そうな顔をしている。


 親友だからこそ違和感には気付く。


 でも。


 女体化なんて発想にはならない。


 だから違和感だけが積み重なっていく。


◇


 教室へ入る。


 その瞬間だった。


「歩」


 聞き慣れた声。


 佐々木結衣だった。


 そして。


 俺を見るなり眉をひそめる。


「……なにそれ」


「何がだよ」


「変」


 即答だった。


 俺の心臓が止まりかける。


「どこが」


「全部」


「全部!?」


 雑すぎるだろ。


 だが結衣は本気だった。


 じっと俺を見ている。


 観察するように。


 見透かすように。


「顔色悪い」


「昨日も言われた」


「姿勢も変」


「気のせいだ」


「気のせいじゃない」


 またそれだ。


 結衣は腕を組んだ。


「……何か隠してる?」


「隠してない」


「ふーん」


 絶対信じてない顔だった。


 一時間目。


 二時間目。


 三時間目。


 昼休み。


 放課後。


 俺はずっと結衣の視線を感じていた。


 何度も。


 何度も。


 こっちを見ている。


 まるで何かを探しているみたいに。


◇


 放課後。


 帰ろうとした時だった。


「歩」


 結衣だった。


「ちょっと残りなさい」


「なんでだよ」


「いいから」


 有無を言わせない声だった。


 教室には俺と結衣だけになった。


 嫌な予感しかしない。


「で?」


 結衣が腕を組む。


「何を隠してるの?」


「だから何も――」


「嘘」


 即答だった。


「嘘じゃない」


「嘘」


「なんでそう思うんだよ」


「幼馴染だから」


 言葉に詰まった。


 結衣は真っ直ぐ俺を見る。


「今日ずっと変」


「気のせい」


「気のせいじゃない」


 何度目だよその会話。


「歩」


 結衣が少しだけ真面目な顔になる。


「何かあったなら言いなさい」


「ない」


「ある」


「ない」


「ある」


 面倒くさい。


 だが。


 逃げられる気もしなかった。


「……笑うなよ」


 俺は観念した。


 結衣が眉をひそめる。


「内容による」


「最低だな」


「で?」


 俺は深く息を吐いた。


「父さんの薬飲んだ」


「うん」


「失敗作だった」


「うん」


「そのせいで」


 言葉が詰まる。


 自分で言っても信じられない。


「女になった」


 沈黙。


「……は?」


「だから」


「待って」


 結衣は両手で頭を押さえた。


「待って」


「待ってる」


「整理させて」


「無理だと思う」


「黙って」


「はい」


 数秒後。


 結衣が顔を上げた。


「……女になった?」


「なった」


「昨日まで男だった?」


「男だった」


「今は?」


「女」


 再び沈黙。


 そして。


「……バカじゃないの!?」


「だから俺のせいじゃねーよ!!」


 思わず叫んだ。


「なんで飲むのよ!」


「スポドリだと思ったんだよ!」


「ラベルなかったんでしょ!?」


「父さんの家ではよくあるんだよ!」


「よくあっちゃダメなのよ!」


 その通りだった。


 反論できない。


 結衣は大きなため息を吐く。


「証拠」


「は?」


「証拠見せなさい」


「嫌だ」


「なんで」


「嫌だからだ」


「私は幼馴染」


「関係ない」


「ある」


 ない。


 たぶん。


 だが。


 結衣は動かなかった。


 逃がす気もなかった。


 俺は諦めた。


「……見るなよ」


「見る」


「見るな」


「見る」


「お前な」


 数分後。


 結衣は真っ赤だった。


 俺も真っ赤だった。


「……本当だった」


「だから言っただろ」


「本当に女じゃない」


「だから言っただろ!」


 結衣は再び頭を抱えた。


「どうすんのよこれ」


「俺が聞きたい」


「戻れるの?」


「分からん」


「おじさんは?」


「理論上は可能らしい」


「全然信用できない」


「俺もだ」


 しばらく沈黙が続く。


 やがて結衣が小さく息を吐いた。


「分かった」


「何が」


「私が協力する」


「……は?」


「だって放っておいたら絶対バレるでしょ」


「否定できない」


「一人でどうにかできると思う?」


「思わない」


「でしょ」


 結衣は少しだけ笑った。


「だから私が手伝う」


 その言葉に。


 俺は少しだけ肩の力が抜けた。


「ありがとな」


 結衣が固まる。


「……なによ」


「いや」


「別に」


 耳が赤い。


 気のせいじゃないと思う。


「でも」


 結衣が指を突き付ける。


「私の言うことはちゃんと聞きなさい」


「は?」


「あんた一人じゃ絶対無理だから」


 その日。


 俺は人生で初めて。


 自分の秘密を共有できる味方を手に入れた。

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