■第64話 聖公国の街歩き
翌朝。
窓から差し込む柔らかな朝日で目が覚めた。
「ふぁー、よく寝た……」
ぐーっと背伸びをしながら窓を開ける。
遠くから澄んだ鐘の音が響いてきた。
白い街並みを巡礼者たちが静かに歩いている。
昨日はパーティーのことがあったので外を見る余裕なんてなかったけど、こうして見ると本当に綺麗な街だ。
そうやって窓の外を眺めていると。
コンコン、と扉が叩かれた。
扉を開けると、モニカがいつものように一礼する。
「おはようございます。ルーナさまがお待ちです。本日は街をご案内してくださるそうですよ」
「えっ、ほんとに?」
ちょっとワクワクしてきた。せっかく聖公国まで来たんだから、ゆっくり街を歩いてみたいと思ってたんだよね。
急いで身支度を整え、モニカと共にアリスの部屋へ向かう。
部屋の中にはアリスとクロ、そしてルーナがいた。
みんなすでに出かける支度を済ませていた。
「おはようアリス。もう大丈夫なの?」
「ああ、大丈夫だぞ。昨日はぐっすり寝たからな。さあ、早く街へ行こう」
どうやらアリスも街へ出るのを楽しみにしていたみたいだ。
「ところでルーナさんは今日はお仕事は大丈夫なの?」
「今日は皆さんをご案内するのが私のお仕事なんですよ」
そう言ってルーナは嬉しそうに微笑んだ。
「では行きましょうか」
私たちはセイント・パレスを出て、朝の街へと歩き出した。白く美しい石畳が続く大通りを歩いていると、やがて商店が立ち並ぶ賑やかな通りへ出た。
すると、なにやら香ばしい香りが漂ってきた。
どこか懐かしい匂い……これはまさか、醬油か?
「あの、なんかいい匂いがするんだけどあれって……」
「ああ、あれも聖公国の名物で『焼きおにぎり』ですよ」
「えっ、焼きおにぎり?」
近づいてみると、確かにはけで醤油を塗りながらおにぎりを焼いていた。
「主、いい匂いがするぞ」
「あっ、クロちゃんも食べたい? 買ってくるけどみんなはどうする?」
「いえ、私は遠慮しておきますわ」
「私もあまりお米は食べませんので」
アリスとモニカはお米はあまり好きじゃないらしい。
「じゃあ私は頂こうかしら」
ルーナが微笑みながらそう言った。
「うん、わかった。じゃあ三つ下さい」
「はい、大銅貨六枚ね」
帝都でパンを買うのと同じくらいかな。このくらいなら気軽に買えるね。
手持ちのお金が少し心もとないけど、でも今は衣食住に困らないしこのくらいの出費は大丈夫だろう。
お金を払っておにぎりを受け取り、みんなのところへ戻る。
「はい、お待たせ」
「うむ、いただきます」
「ふふっ、ありがとうございます」
さっそくクロとルーナは焼きおにぎりを食べ始めた。
私も一口かじると、思ったよりも熱くて慌てて息を吐く。
それでも口の中に、醤油の香ばしさとお米の甘みがじんわりと広がっていった。
「うん……これこれ。この味だよ」
思わず感動してしまった、懐かしい日本の味だ。
「ふむ、米というのもなかなかうまいのだな」
クロもそう言いながら満足そうに食べている。
「クレアさんは、お米がとてもお好きなんですね」
「うん、お米も好きだし、この醤油の香りも大好きなんですよ。こんな料理があるなんて、聖公国ってほんとにいい国ですね」
「ふふっ、そう言って頂けると嬉しいわ」
焼きおにぎりを食べながら通りを歩いていると、道の両側には様々なお店が並んでいた。神聖魔法で祝福を施したというお守りに。色鮮やかなステンドグラスや、女神像を模した小さな置物まで売られている。
「わぁ……見てるだけでも楽しいね」
「聖公国は巡礼者や観光客なども多いですからね。こうしたお土産屋さんもたくさんあるんですよ」
ルーナの説明を聞きながら辺りを見回していると。ランタンのような魔道具や、小さな水晶玉、指輪や腕輪まで並べられているお店があった。
「あれはなんのお店かな?」
「魔道具のお店ですね、見ていきますか?」
「うん、なんか面白そうだし見てみたい」
お店に近づき中を覗くと、店主らしき初老の男性が笑顔で声を掛けてきた。
「いらっしゃいませ。旅のお客さんですかな?」
「あっ、はい。帝国から来ました」
「それはようこそ。何か気になる物がありましたらご自由にご覧ください」
店内には見たことのない魔道具がずらりと並んでいた。
私は興味津々で棚を見回す。
小さな石に魔力を込めると淡い光を放つ照明や、水をいつまでも冷たいまま保つ水筒。それから、靴底に取り付けると疲れにくくなるという魔道具まである。
「へぇー、これ便利そう」
「巡礼者の方には人気ですよ」
私が思わず呟くと、店主がそう教えてくれる。
「聖公国は歩いて巡礼する方も多いですからね」
「ああ、なるほど」
「帝国でも似たような魔道具はありますが、巡礼者向けというのは珍しいですわね」
近くにいたアリスがそう言っていたが、帝国とはまた違った需要があるんだな。
そんなことを思いながら眺めていると、一つの腕輪が目に入った。
「あっ、これなんか綺麗だね」
銀色の細い腕輪には小さな青い魔石が埋め込まれている。いかにもマジックアイテムという感じの見た目だったので思わず手に取ってしまった。
「すみません、これってなんですか?」
「それは魔力貯蔵の腕輪ですよ。普段から少しずつ魔力を蓄えておき、いざという時に解放できるのです」
それは便利そうだな。ちょっと欲しいかもしれない。
私は吸血鬼だからなのか、魔力切れなんて一度も経験したことはないけれど、普通の魔法使いには便利そうだ。値段次第では、買ってもいいかも。
「それは大銀貨一枚になりますが、いかがでしょう?」
「えっ、大銀貨一枚もするの?」
思ったより高い……でも便利そうだし……いや、やっぱり高い……。
「うーん……うん、今回はやめておきます」
名残惜しさを引きずりながら、そっと腕輪を棚に戻す。
「主よ、この店には食べ物はないのか?」
私がいろんな魔道具を見ていると、クロがそんなことを言いながら店内を見回していた。
「うん、ここは食べ物屋さんじゃないからね」
「むぅ……そうなのか」
クロが残念そうに肩を落とした。
すると店主が苦笑する。
「はは、その子は食いしん坊なのですな」
「はい、食べることが大好きなんですよ」
「むっ、主も同じではないか」
「いや、まぁ……それは否定できないかも」
「ははは、この先の広場に屋台がたくさん出てるから行ってみるといい」
「はい、ありがとうございます」
そうして店を後にし、再び大通りを歩いていると広場が見えてきた。
噴水を囲むように露店が並び、多くの人で賑わっている。
ふと、一組の親子が目に入った。
小さな女の子と、その母親らしき女性。
母親は黒に近い紫色の髪をしており、額のあたりから小さな角が伸びている。
女の子にも、同じような小さな角があった。
「あれ? あの人たちって……」
「ええ、魔族ですね。聖公国は魔族領にも近いですから魔族の方もたまに来られるんですよ」
母親は露店で果物を選び、女の子は小さな籠を大事そうに抱えて待っていた。
どこにでもいる、ごく普通の親子にしか見えない。
そのすぐ後ろを、買い物帰りらしい女性が二人、連れ立って通り過ぎていく。
「ねぇ……魔族よ」
すれ違いざまに、ぽつりと呟くのが聞こえた。
「最近、人を襲った魔族がいたって聞いたけど、本当なのかねぇ」
「ちょっと怖いわね」
それは悪気のない、世間話のような口ぶりだったが。
それでも、その言葉は確かに私の耳に残った。
女の子にも聞こえたのだろうか。
さっきまで浮かべていた笑顔が、少しだけ曇った。
それを見たルーナは迷うことなく親子へ歩み寄り、声を掛ける。
「おはようございます。今日はお買い物ですか?」
「あっ、これは聖女さま。はい、この子が果物を食べたいと言いまして」
そう言って母親は慌てて頭を下げる。
ルーナは女の子に向かって優しく微笑んだ。
「どの果物が好きなの?」
「……りんご」
「ふふっ、そうなのね。美味しいものね」
「うん!」
女の子も少しだけ笑顔になる。
「なにか困ったことがありましたら、いつでも言ってくださいね」
そう言ってルーナは親子に手を振った。
その光景を見ていた周囲の空気が、少しだけ柔らかくなった気がした。
私はその様子を見ながら、小さく息を吐く。
昨日、教皇さまたちが話していた。
最近、人族と魔族の間で妙な噂が広がっている、と。
今のはほんの小さな出来事だった。
けれど。
こういう小さなすれ違いが積み重なれば、大きな問題になってしまうのかもしれない。そんなことを考えていると。
「クレアさん? どうかしましたか?」
いつの間にかルーナが戻ってきていた。
「あっ、ごめん。ちょっと考え事をしちゃって」
「そうですか、では次は温泉街をご案内しますね」
「えっ、温泉街!」
その一言で、さっきまで少し重くなっていた気持ちが一気に吹き飛んだ。
やっぱり私は単純なのかもしれない。
でも――まずは旅を楽しもう。
そう思いながら、私はみんなの後を追いかけた。




