■第137話 失敗
平原に鈴の音が響き渡る。
――チリーン。
次の瞬間。
大地がグラグラと激しく揺れ始めた。
「うわ、何これ?」
「まさか、本当にこの平原が玄黄だったのか?」
さっきまでただの草原だと思っていた場所が、まるで溶けるように崩れていく。緑の絨毯が消え、その下から現れたのは琥珀色の粘液。それがうねり、盛り上がり、膨れ上がっていく。
「嘘でしょ……?」
どれだけ探しても見つからなかったわけだ。
まさか地面そのものに擬態しているなんて。
そんなの、どうやって見つけろっていうんだよ。
琥珀色の粘液はさらに膨れ上がり、やがて山のような巨体へと姿を変えた。
目も口もない、巨大なスライムだ。
「あれが……玄黄。あんなのどうやって倒すんだ……」
アリスが呆然としながら呟く。
そう思うのも仕方がない。
大きさだけなら、今まで見てきた魔獣の中でもぶっちぎりだ。
これ、斬れば倒せるとか、そういう次元の話じゃない。
「さぁ、お前たち。今こそ、その身を魔神さまに捧げるのだ」
ルードは狂信的な笑みを浮かべ、信者たちへ冷酷に命じた。
「「はっ! シャトラさまに救済を!」」
そう言いながら信者たちは玄黄のもとへ歩み寄り、粘体へと身を投じた。
「えっ……」
目の前の光景に私は思わず息を呑んだ。
食べさせたのか?
人を?
「さぁ、玄黄よ! 信者の肉と共に、この『隷従の首輪』の呪いをその核に刻み込むがいい!」
ルードは隷従の首輪を掲げ、玄黄に向かって放り投げた。
「……ちょっと待って」
何をしているのか理解した瞬間、背筋が凍った。
人を生贄にして、魔獣を操ろうとしてるのか?
「クレア、行くぞ!」
私が立ち尽くしていると、アリスが背をパンッと叩いた。
そうだ、早く止めないと手遅れになっちゃう。
私たちは木々の隙間から飛び出した。
「ん?」
ルードが私たちに気づき振り返る。
「おやおや、勇者殿か。それにお前はこの前の護衛か」
「そんなことはどうでもいい。なんで信者を玄黄に食べさせたの?」
「ああ、見ていたのか。いいだろう」
ルードは私たちを見て落ち着いた笑みを浮かべた。
「奴らの体には特殊な呪印が刻まれてる。その呪印を使えば、隷従の首輪の呪いを玄黄の核に届けることができる」
「核に……首輪の呪いを?」
「そうだ!」
ルードが両手を大きく広げる。
「これで玄黄は私の意のままに動く!」
ルードは私の肩にいるクロに視線を向けた。
「そこにいるのは黒龍だな。ちょうどいい。玄黄よ、黒龍を取り込むのだ!」
まずい、クロを守らなきゃ。もし玄黄が本当に操られているなら、真っ先に狙われるのは魔神の残滓であるクロだ。そう思い慌てて身構えた。
しかし。
「えっ?」
玄黄はぴくりとも動かない。
「何をしている? 私の命令が聞こえないのか?」
ルードの笑顔が引きつった。
もしかして、まだ支配しきれていないのか?
なら、今のうちに。
「クロちゃん、すぐにシルフィードに行ってルーナさんを呼んできて」
クロをこの場から離れさせた方がよさそうな気がした。
それに玄黄を見つけたら呼ぶってルーナと約束もしてたし。
「むっ、しかし主よ。アレと二人で戦うのか?」
「大丈夫。危なそうなら、私がアリスを抱えて飛んで逃げるから」
「ふむ、安心できるようなできないような返答だな……しかし、わかった」
クロが私の肩から飛び立つ。
「すぐにルーナを連れてくる」
「うん、お願いね」
その時。
玄黄の巨体が大きく震え、触手が飛び出した。
触手がクロに向かってまっすぐ伸びる。
「しまった!」
咄嗟に神剣を抜こうとする。
しかし、その前にアリスが飛び出した。
「はぁ!」
――ズバッ!
聖剣が触手を真っ二つに切り裂く。
「クレア、こうなっては仕方ありません。倒しますわよ」
「うっ、うん。そうだね」
その表情には恐怖も迷いもない。
やっぱりアリスは勇者なんだな。
しかし、邪教徒相手にお姫さまモードになる必要があるんだろうか?
そんな疑問が浮かんだが、今はそれどころじゃないな。
これはアリスの本能みたいなもんなんだろう。
「ねぇ、その様子だとまだ思い通りには動かせてないんじゃない?」
そう問いかけると、ルード表情がわずかに歪んだ。
確かに触手は動いた。
だけど、ルードの命令通りに動いたようには思えなかった。
「ちっ……やはり時間が必要か」
ルードが忌々しそうに呟く。
「まぁいい。私の役目は玄黄をオズワルドさまの元へ連れていくことだ」
「オズワルド?」
昨日、アルテシアから聞いた名前だ。六百年前のファルシア王国、その国王がオズワルドだったはず。……どういうことだ?
私が考えている間にも、ルードは懐からフラスコのようなガラス瓶を取り出した。
「それは……何?」
表面には見たこともない刻印がびっしりと刻まれている。
また魔道具か? 今度は何をする気なんだ。
瓶の口を玄黄へと向け、詠唱を始める。
「――万魔を収める器よ、大いなる混沌の澱みをその内に導け!」
ゴォォォォ!
大気を引き裂くような轟音が吹き荒れ、玄黄の巨体が見る見る吸い込まれていく。玄黄は激しくうねりながら抵抗する。地面が砕け、大気が震える。
それでも瓶の吸引力は止まらなかった。
「ちょっと待って!」
私は目を疑った。
「あの大きさを……全部その瓶に入れるつもり!?」
いやいやいや。
学校の理科室にあるようなフラスコサイズの瓶だよ?
どう見ても巨大スライムを入れるサイズじゃないでしょ。
なのに――。
ものの数分で巨大なスライムは完全に消失した。
残されたのは、赤茶けた巨大なクレーターだけだ。
「よし。これで玄黄の回収は完了だ。あとはオズワルドさまの元へ届けるのみ」
「ちょっ、その瓶はいったい何なの?」
「ふふふっ、貴様らが知る必要はない。魔神シャトラさま復活の時まで大人しく待っていろ」
ルードはさらに赤い魔石を取り出した。
「それは帰還の魔石? させないよ!」
私はルードへ向かって駆け出しながら手をかざす。
「《サンダーボルト》」
紫電が走る。
しかし――。
瓶から触手が伸びた。
――バチィッ!
触手が雷撃を受け止め、ルードを守る。
「なっ!」
あの状態からでも動かせるのか?
「では、さらばだ」
「待て!」
飛びつくように手を伸ばす。
だが、指先が届くより早く魔石が輝き、ルードの姿が消失した。
そして、静寂だけが残った。
「あっ……」
逃がしてしまった……あと一歩だったのに。
捕まえるチャンスはあった。
もう少し早く動いていれば……もっと早く決断していれば。
判断を誤ったのはこれで二回目だ!
「くそっ」
膝をつき、思わず地面に拳を叩きつける。
「私は何をやってるんだ……」
「クレア」
アリスの声が聞こえた。
背中に、ポンッと手が置かれる。
「悔やんでも仕方ない。戻ってみんなと今後の相談をしよう」
そう言って手を差し伸べる。
「……でも」
「まだ終わっていないだろ?」
その言葉に、私は息を呑んだ。
「玄黄は奪われ、邪教徒も逃げた」
アリスはまっすぐ私を見る。
「だからって、このままにはしておけないだろ?」
「あっ……」
「なら、次は私たちの番だ」
差し出された手を見る。
「ほら、立て」
ああ、そうだ。
ものすごく悔しい。
でも、ここで立ち止まるわけにはいかない。
「うん、そうだね」
私はアリスの手を取り、立ち上がる。
そして、遠くの山々を見つめた。
玄黄を巡る捜索は、最悪の結末を迎えた。
……だけど、まだ何も終わっていない。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
これにて第三章終了となります。
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本当に執筆の励みになっています。
引き続き四章も書いて行きますので、これからもどうぞよろしくお願い致します。




