8.それは、起こった
~*~
1日が経過した。
発熱こそは無かったが、孝平は身体のだるさを穂香に訴えた。
両親が仕事から帰ってくる前に自室に引っ込んでしまった。それを帰ってきた両親に穂香が伝えたが、前日から体調不良だったこともあって、少し様子を見ようと納得してくれた。
きっと風邪が長引いているのだろうと。
冬休みでよかったと言う両親に、そうだねと穂香は返す。
穂香は普通を装った。けれど心臓はバクバクだった。
父と母は見えない人間。
分かっているのに気づかれやしないかと心配だった。
元々は見えない人でも、悪しき妖力に当てられ続けたり、特殊な傷を負ったりすると、後天的に見えるようになってしまうことがあるのだと知ってから。
穂香はより一層、周りに気を配るようになった。
自分のせいでは巻き込めないと思って。
「穂香、ちょっといい?」
孝平の様子を見てこようと思ったところで母親に呼び止められた。
母も、珍しく父も真剣な表情でいることに、穂香は背筋がピッと伸びる。
何の話かはなんとなく分かるので、どう返すかを考える。
「昼間、孝平の様子はどうだったの?」
「心配するようなことはないと思うよ。旅行疲れもあるんじゃない?」
「今の時期はインフルエンザも怖いからな。明日も体調不良が続くようなら病院行くことも考えておかないと」
「付き添いは私が行くよ。2人共仕事でしょ」
その気になれば本気の隠し事は簡単にできてしまう。言葉がスラスラと出てくる。
我ながら口が達者だと思いつつ、穂香は昼間に準備しておいた、お香とお札を視線だけで確認した。
配置はバッチリ。お香もすでに使用している。
効き出すまで後少しというところ。だったらこのまま話を引き延ばしてこの場に留まらせようと思った。
大丈夫だと思ってても、やっぱり緊張はするものだった。
「それにしても穂香、こんな時間からどっか行くのか?」
「どうして?」
「服、部屋着じゃないだろ」
「…着替えてないだけだよ。この後お風呂入るし、このままでいっかなって思って」
半分本当で半分は嘘。
外に出る気満々だった。だから部屋着はともかく寝間着にはなれない。
真冬に寝間着で、外に駆け出す勇気は穂香にはなかった。
「なぁんだ。コンビニにでも行くつもりなら何かデザートでも買ってきてもらおうと思ったのに」
「母さんは相変わらずちゃっかりしてるね。普通はこんな時間に外出なんて! って止める所じゃないの?」
「穂香だからいいの。お父さんだって何か頼もうと思ってたでしょ」
「そりゃついでならいいかと。それにコンビニすぐそこだし」
似た者夫婦め、と思いながら穂香は会話を聞いていた。
両親が仲良くするところを見るのは嫌いじゃなかった。呆れもするが、羨ましさの方が勝つ。
不意に、2人の動きが不自然に止まった。
お香が効き始めたのかと思ったけれど、どこか様子がおかしいことに気づく。
2人とも糸が切れたように倒れこんだ。立っていた母親は床にぶつかるところだったが、間一髪ネロの風が母親の身体を受け止めた。
元々ソファに座っていた父親の隣に、そっと母親を移動させる。2人共、意識はないようだった。
でもそれ以外はなんともなく、とりあえずは安心した。
そうなった要因。考えなくても分かる。
ピリッとした空気を感じ、穂香はリビングの入口を見やった。
「いるのは孝平? それとも……」
穂香の言葉の少し後に、ガチャリと扉が開く。
ゆらりと現れたその姿は、孝平であって孝平ではなかった。髪は全体が灰色になり、目の色も以前よりも濃い紫。
奴だ、と思ったその瞬間に、両親の周りに仕込んでおいた結界が作動した。
それを見て、その妖は頬がピクリと反応してニタリと笑った。
『そりゃ、対策はするよなぁ」
「ただやられてるだけでいるほど馬鹿じゃないからね」
前の時のような焦りもなく、穂香は自分でも怖くなるくらい落ち着いていた。
本来ならば、大切な家族を傷つけている憎んでもいい相手。
もちろん憎いという感情はある。でもきちんと準備をして、対抗するための策を講じたことで心に余裕が生まれ、穂香は別の考えも持つようになっていた。
「……1つ、分からないことがあるんだけど」
穂香がそう言うと、その妖は無言のまま顔をしかめさせた。
でも何もしてこない、言ってこないということは聞いてくれるということだと思い、穂香は話し出す前に深呼吸をする。
「…あなたは何を迷っているの?」
『……………は?」
「迷い、というか… 後悔?」
きっとそれは本人も気づいていないくらい、心の奥底に眠っていた感情。
穂香は、旅館で孝平を治癒した時に感じた感情はこの妖のものだと結論を出していた。
うっすらとしか残っていなかった感覚を必死に思い出して。
何かを後悔し、迷う感情が涙となって外に出た。
その妖の中に、かつてはきちんとあった感情。
いつしか別の思いが塗りつぶしてしまい、本人も分からぬほど奥底に追いやられてしまった。
でもそれは、ずっと、ずっとずっと昔の話。
深い眠りについていた感情を、少しずつだが覚醒させる出会いがあったことに、この妖は気づいていない。
気づきたくないと、自分で拒絶していた。
『ワケの分からぬことを言うんだな。……」
「本当に分からない?」
『……黙れ!!」
叫びと共に放たれた攻撃。
軌道がまるわかりの攻撃だったので、まだ慣れていない穂香でも防ぐことができた。
何度も放たれる攻撃を正確に防いでいく。
両親を包む結界内にいる白雪に、視線だけで合図を送る。
『まかせて、ホノカ。ボクが守るから』
こくりと頷く白雪。
穂香は庭へと続く窓を開け放ち、外へと飛び出す。裸足なのは少し痛いが仕方がなかった。
その妖は、穂香が動いたのに気づいて追おうとするが、足が地面に縫い付けられたように動かなかった。
「(悪いけど… 簡単には、行かせない)」
『っ…! 孝、平…!」
その妖にとっての誤算は、思っていたよりも孝平に才能があったこと。
そして、姉への思いの強さ。絆の深さ。
孝平自身の意思の強さ。
自分に向けられていた信頼の感情。
『……」
自分の感情なのに忌々しく思う。
いらない。不安だ。
そんなものは自分ではない。
そうやって、その妖は自分自身を殺していく。
ガッと左手を強く噛む。赤い血が床に滴った。
『…無駄なこと」
紫になっていた目の色が、泥のように濁っていく。
この時に、意識が完全に途切れる前の孝平が気づいた。
もう1人、いたと。
~*~
走る。
息が苦しくても、足が痛くても足を止めずに走る。
走っているからか、身体は温かい。でも吐く息は白く、手足の先は冷え切っている。
慣れた道を駆け抜け、山道もそのまま進んでいく。
途中から自分を追ってくる霊力の揺らぎに気づいた。
気づいたその瞬間は怖くなった。
孝平は、大丈夫なのだろうか。何度も湧き上がってくる思い。
たとえ本人から大丈夫だと言われても、信じていても無くなることはない。
だって、家族だから。
失くしたくはないつながりだから。
「文月丸様ぁ!!」
勢いよく社がある場所へと駆け込む。
前日から準備を進め、待機していた文月丸。黒羽と稀莉もやれることがあればと、一緒に穂香と孝平が来るのを待っていた。
来るとは分かっていたが、穂香1人。そして切羽詰まった様子に驚きを隠せない。
少し涙目にもなっている穂香を心配し、駆け寄る文月丸。力が抜け、傾いた身体を抱きとめる。
事態は考えていたよりも良くない方向に進んでいると、瞬時に察知した一同は動き始める。
黒羽も、稀莉も呪文を唱え始める。
文月丸は前方に意識を向けながらも、穂香を見る。落ち着かせるように、肩を抱く手に力を込めた。
「助けてください」
孝平を、と言おうとしたその口は塞がれた。大丈夫、分かっているとでも言うように。
「……来ます」
来訪を告げる稀莉。
ガサリと揺れる草木の間から姿を現したのは、雰囲気をガラリと変えたその妖だった。
その身体は孝平のもの。孝平を知っている稀莉は、外見の変わりように息をのむ。
サラッとした髪に整った顔。幼さはまだほんの少し残っているけど、あまり表情というのを出さないからどちらかといえば大人びている。
背も高い方だが、成長期なのでまだ伸びるだろうと予想がつく。
“孝平”を知っている人が見たら別人だと思うほど何もかも変わっていたのだ。
「…おぬし、どこかで……」
孝平とは初めて対面する文月丸。
だがその妖の霊力の感じを知っているような、知らないような。
文月丸の姿を見て、その妖はほんの一瞬だけ表情をこわばらせた。
穂香はその一瞬を見逃さなかった。
文月丸のことは方々で有名なので、知っていたとしても驚きはあまりない。
そもそもで名前があるというだけで広く知られる理由になる。
神や妖の中で名前があるのは、ほんの一握りの存在だけ。名前が“ない”のが、神や妖にとっての普通なのだ。
『狐神殿は覚えてないし、知らないだろうなぁ。小物のことなんか」
「小物、じゃと?」
その妖は自分のことを小物と言う。
文月丸や黒羽、そして穂香と稀莉ですらもその妖を小物とは思えなかった。
本当に小物なのなら、たとえどれほどの時を使おうとも人を乗っ取ることなどできないのだ。
「似てる…」
「え…?」
「穂実さんが保護して面倒を見てた小さい奴に…」
黒羽が発した言葉が文月丸へと届き、薄れかけていた記憶が浮き上がってくる。
ひとりぼっちで、ボロボロで、今にもこと切れそうなくらい弱っていて。
確かに、そんな状態の小さな妖を穂実が保護していたことがあったと思い出した。
というよりも、その小さな妖を最初に見つけたのは…
「お前っ…!」
文月丸の顔が驚きの表情で満ちていく。
いつのまにか姿が見えなくなっていたから、何かあったのかと思うよりも、どこかで元気でいるだろうと思っていたのだ。
そう思ったのが、穂実が生きていたその時。千年は前のことである。
だが実際は、少し違った方向に成長を遂げ、気配を隠しながらも近くにいた。
故に全部見ていた。
あの、悲劇も。
『あの瞬間、どうでもよくなったよ。一時でも恩返しを考えていた自分は馬鹿だった。色々と吹っ切れた。そしたら恩を仇で返してやろうと思うようになった。あの女には何が一番効くか。答えは簡単、あの女の最も大切なものを害せばいい」
穂香は以前に精神世界で穂実と会い、話をした。
言葉の合間に見せる悲し気な表情が、穂香はずっと気になっていたのだ。
その時は、文月丸に対する気持ちや自身の葛藤、親に向ける思いなのだと思っていたが、もしかしたら穂実は気づいていたのではないだろうか。
自分に向けられていた感情を―――
「あなたは… 穂実を愛していたし、憎んでいたのね」
曲がりに曲がり、複雑に歪み。
いつしかその妖の感情は「愛憎」と名の付くものになってしまったのだ。




