6.霊力の心地良さ
~*~
あの後。
穂香は孝平を連れて、なんとか宿へと戻ることができた。
幸い、両親はよく眠っていて穂香たちがいなくなっていたことは気づかれなかった。
不安もあったが疲れもあり、穂香もすぐに眠りに落ちる。
だけど気がはやっていたのか、誰よりも早く目が覚めてしまった。
「…っ! 孝平…!」
何気なく、隣で眠る孝平の頬に触れたら、その顔はすごく熱かった。
測ったら40度ありそうなくらい。
何による発熱なのか分からないが、とにかくまずいと穂香は思った。
「姉、ちゃん…」
か細い声で呼ぶので、聞き逃さないように耳を寄せた。
早朝、静まり返る部屋の中で、少しだけ自分を取り戻した孝平は、穂香がすぐ近くにいることを確認してから一呼吸おいて再び口を開いた。
とはいっても、思うように身体が動かせない。普通に話すこともできずに、蚊の鳴くような声しか出せなかった。
でも、これからのことは穂香に頼むしかなく、孝平にとっても今あの家に帰れないことは避けたかったのだ。
「姉ちゃん… 治癒の呪、使える、でしょ… それ俺にかけて…」
「それ、本気…? そりゃ効くだろうけど、今ここでやれるのはその場しのぎにしかならないよ?」
「その場しのぎでいい… 姉ちゃんも、帰れないと困る、だろ…」
孝平の頼みに、穂香は一瞬だけ躊躇したけれど、孝平の言うことももっともだったので受け入れるしかなかった。
そう、困るのだ。帰れないのは。
孝平の為にも、自分の為にも帰らなければならない。
だからその案に乗るしかない。
早朝だから光を抑えて少しずつ術をかければ、両親を起こすこともないし孝平に負担をかけることもない。
それでも念のために、部屋の隅に移動することにした。
孝平を支えながら少しずつ移動して部屋の隅へ。
変わらず孝平の身体は熱い。
身体の中の何かに温められて熱いというか。風邪などの体調不良による発熱ではないとは思ってはいるけど、だからといって他の要因も分からない。
孝平の中の妖が何かしているわけでもなさそうで。
今は強制的に眠らされ、抑えられている。
穂香は治癒のついでに、孝平の身体の状態も見て把握しておこうと思った。文月丸や樹莉にちゃんと説明できるように。
「孝平、1つだけ… 教えて」
「…………何?」
沈黙が嫌だったわけじゃない。
でも、穂香は今聞いておきたかったことがあった。今を逃したらきっともうタイミングがないと思ったから。
たとえそれが酷な質問だろうと。
「自分の中の存在を、どう思ってる?」
穂香の質問に、孝平はすぐには答えなかった。
否、答えられなかった。
まだ孝平自身にも明確な答えがなかったからだ。
穂香も答えが聞けるとは思っていない。ただ、目をそらさずにちゃんと考えてることが分かれば、とりあえずはそれでよかった。
「分かんない…」
ぽつりと孝平が言った。
全力で考えて、それ。本気の本音。
それに穂香は何も言わなかった。もしも、自分が孝平の立場でもそう答えただろうと思ったから。
孝平の身体を介してだけど、穂香は奴と直接対峙した。
嫌な奴、気持ち悪いが第一印象。
少し落ち着いた今でももちろんそう思っているけれど、それとは違う何かを穂香は感じていた。
「(あいつが穂実を… 私を狙ってるっていうのは間違いないし、実際手を出してきた。…でも何で今? 妨害があると分かっていて何故今だったんだろう)」
約千年。
人にとっては、とてもとても長い時。妖にとっても決して短い時ではない。
もしかしたら必要な年数だったのかもしれないし、本当の所は分からないのだろうと、穂香は深く考えるのを止めた。
孝平の中の妖がどういうつもりだろうと、こちらを害するのなら反撃するまで。穂香はそう決めて、孝平の出す結論には口を出さないようにしようと思った。
「………あれ…?」
孝平の治癒を進めている時、1つの感情が穂香の中に流れ込み、その影響で穂香は一粒の涙をこぼした。
誰の、そして何の感情なのか分からない。
その涙には誰も気づいていない。
気のせいかとも思ったけど、その妙な感覚は消えない。
今のは、何だったのだろうか。
~*~
「本当に大丈夫なの?」
「うん、後は帰るだけだし」
「無理するなよ。荷物は父さんが持つからな」
「じゃあこれお願い」
「重っ! 何買ったんだコレッ!?」
両親と会話する孝平の様子を、穂香は少し離れた所から見ていた。
なんとか微熱程度にまでは回復させた。けれどやっぱり辛そうな様子で、後は家までもつことを祈るしかなくて。
帰りの道中も、隙を見て治癒を行うことにした。
焼け石に水かもしれないけど、やらないよりはマシだと思ったのだ。
ふわりと、後ろから風を感じた。
「(聞こえるか…?)」
昨夜の、あの人の声。
どこからか見ているのだろうかと、穂香は辺りを見わたすが姿は見えない。
ならば念話だろうか。
念話は今では慣れたもので。周りに不思議がられないように、穂香は練習を続けていたのだ。
「(聞こえますよ。どうしましたか?)」
「(あぁ、よかった。ちゃんと動作しているようだな)」
「…?」
「(いや、こっちの話だ)」
何かを確認するような言葉に、穂香は一瞬だけ眉を寄せる。
自分が気づいていない何かがあるのだろうかと思ったが、話し方の雰囲気から害があるようなことではないと思った。
声だけでも笑っているのが分かるので、そこだけは少しだけ気になったが。
その妖は、一晩たった孝平の様子が気になった。
でも、応対してくれた穂香の声色から大丈夫だと思い、安心した。
妖は、基本的に人と関わることはないから。
だから久しぶりに接した人間に興味を持っていた。…まぁ、今はまだギリギリ人ではあるが。
「(すまないね。大したことはできなくて)」
「(いえ、あなたは私たちを助けてくれた。すごく感謝しているんです)」
「(………なるほどなぁ)」
「(え…?)」
「(いや、こっちの話だ)」
あぁ、なるほど。文月丸が好む霊力だ。
その妖はそう思った。
会いには行けないが、彼女が傍にいてくれるなら安心できる。
頼もしくもあり、危うくもある友を。
「(君の無事を祈る。…そして、文月丸をよろしく頼むよ)」
とても、穏やかな声。
本当にあの人かと疑ってしまうくらい。
そしてどこか寂しそうだ。
「(…またいつか)」
「(そうだな。私はこの地が好きだ。この地を訪れる人々の笑った顔も好きだ。ついでに言うと君のことも好きになった)」
「(またそんな冗談…)」
「(君とも友好を結びたい)」
最初抱いていた感情や印象とは違っていた。
穂香は、自分で接して話して。
この人も失ってはいけないのだと。そう思った。
あの人の為に。
「(よければ、名をくれぬか?)」
「(名前…?)」
主従ではなく友好の証として。
名を持つ妖は多くない。いたとしても何らかの契約をしていることがほとんどだ。
名前は、妖にとって時には重く、楔になる。
場合によってはマイナスでしかないことを、たまに望む変わった妖もいるらしい。
マイナスにも勝る魅力が何かあるのだろうか。
なんにしても、名前を送ることに関しては穂香は何の抵抗もない。
そもそも無いと呼びづらいので。
「(じゃあ… あなたのことは勝手に里桜と呼びますね)」
「(………うん、いいな。良い響きだ)」
リィンと鈴が鳴ったような音が穂香の脳内に流れた。
これは、また、やってしまった音だろうかと、穂香は頬を引きつらせる。
大きな変化は特には無い。
だけど何かがつながったような感覚はあった。
その時に穂香は思った。主従契約の時とどう違うのかと。
今まで無意識に行っていたことに、初めて意識的に考えるようになった。
まだ自分からそういった契約をしようとは思わないが、今後どうなるか分からないので、調べたり考えたりしてみようと穂香は思う。
「穂香! 行くよー」
「…うん」
荷物を持って、先を歩く家族を追いかける。
穂香の左耳に、桜の形をしたピアスがありキラリと光る。
それは両親にも、孝平にも見えていない。穂香もまだ、それの存在を知らなかった。
~*~
「くっ… くくくくっ… まだ気づかぬか」
『主様… また何かいたずらでもされたのですか?』
「いたずらとは失敬な。ただの贈り物だよ」
『あなたがその笑みを浮かべる時は、大抵よからぬことを考えている時ですけど』
「相変わらず酷いっ!」
言いながら笑っているので、たいして本気にしていない事は周囲も分かっている。
高位の存在に、遠慮なしに好き勝手言えるというのは普通はあり得ないこと。
けれどここの主を慕って集まる妖たちの関係は、家族のような。
『でもまぁ、良かったですよ。あのままだったら次の襲撃に耐えられなかったかもしれませんし』
「襲撃なんてそうそうないよ。用心するに越したことはないけれどね」
『狐神様の番であるあの娘に感謝ですな。この地に来たのはたまたまでしょうが』
「……」
『主様?』
「あぁ、いや… なんでもないよ」
桜と雪。
両方の景色の中に佇む大樹は生気をおび、生き生きとしていた。
その妖、里桜の名を貰った。
一瞬だけ、友好ではなく主従でもいいかもしれないと本気で思った。
その女性ならと思ったのだ。
別に恋慕の情は全くない。でも最初から好意的に思っていたのは事実。
そしてその理由も、今、分かった。
「これはこれは… 厄介だなぁ。文月丸のヤツも」
穂香の霊力が、心地良すぎて妖が集まりすぎるようで。
現に里桜も、心地良さを感じた内の1人。
今以上に面倒なことにならなければよいと、心配せずにはいられない。
でもその心配よりも勝っているのが、いたずら心。
「さて、私の贈り物に気づいた文月丸がどんな反応するかな」
直接見られないのは残念だけど、友人の反応が大体予想できるので思い浮かべてまた笑う。
あぁ、楽しい。こんなに楽しいのは久々で。
文句を言われるかもしれないが、穂香が来てくれたことで近いうちに友人と直接言葉を交わせるだろうと里桜は嬉しくなった。
「久々だなぁ、我が友よ。不器用な優しさは相変わらずだ」
楽しみだ。あぁ、楽しみだ。
自分にも名が与えられた。気難しい友人にも、自分の名を呼んでもらいたい。
名を呼ばれることがこんなにも嬉しいことを、里桜はこの時初めて知ったのだった。




