5.楽しげなその人
『い、ま… 何を、した…」
「この娘と話がしたいからね。喰われてしまっては困る。…そもそもで、この場所は私の管轄だ。勝手している者を見逃すはずがないだろう」
言い終えると穂香たちの方に視線を向ける。
まだ少し警戒している穂香をじっと見て、ふっと口元を緩める。
次の瞬間には大笑いしていた。
「あっはっはっはっはっ」
「あ、あの…?」
「あぁ、すまないね。貴女が、文月丸の好みそのもので。なんだかとてもおかしく思えてきてね」
文月丸や黒羽があんな表情をしていたので、穂香は心のどこかで怖い人とか気難しい人ではと思っていた。
だが実際、本人を目の前にして。
妖艶で、人の姿だけど雰囲気は思いっきり妖で。
先程のような不敵な笑み、今みたいな快活な笑み。ひとしきり笑った後に真剣な顔になる。でも笑みは崩さない。
「あぁ、少し痕が残ってしまったな。文月丸に知られたら怒られるなぁ… 他に怪我は無いか?」
「は、い… 大丈夫ですが… あの、何か楽しそうですね」
「んー… 会ってみたかったからな、天狐の狐神の番に。予想通りで、良い意味で意外な娘だったことにわくわくしてるのさ」
「はぁ…」
「それに、このところは平和で暇だったからなぁ…」
そう言いながら孝平の中の妖を、軽々と片手で牽制している。
それは単純に神力の差。
彼もまた、この土地の土地神。よほどのことがなければ自ら出向くことはしない。
でも、今はそのよほどのことが起きているので、こうして穂香の前にと姿を見せていた。
「…《眠れ》」
ぽっと灯る明かり。
それを見た孝平の目はスーーッと閉じていった。
完全に意識が落ち、力が抜けて身体が雪に沈む。
穂香は慌てて駆け寄り抱き起す。さっきまでのような気配は無く、規則正しく静かな息をしていることに思わず安堵の息を漏らす。
「少々強引に眠らせた。すまないな」
「いえ… 助かりました。正直、どうすればいいか全く分からなかったので」
「初めてか? 先程のようなことは」
「おそらくは、そうだと思います」
そうでなければ、孝平があんな顔をするはずがないと穂香は思った。
あの顔は、信じていたのに裏切られた顔だ。
「(いや… 信じていたかったという方が正しいかもしれない…)」
悲しかっただろう。苦しかっただろう。
孝平の気持ちを考えると、穂香は自分も悲しくなってきた。
だけど悲しんでいる場合ではない。
孝平の中にはまだいるのだ。
次に目が覚めた時、そこにいるのははたして孝平なのだろうか?
抗っていたのが伝わっていたので穂香は孝平を呼び続けた。
「眠らせると同時に、奴をほんの少しだが抑えこんだ。だがそんなにもたないだろう。早くて2日、もって5日といったところか」
予想以上の力を、その妖は持ってしまった。
なかなか厄介な状況だと穂香は思った。このままでは、孝平の精神を傷つける危険を抱えながら攻撃しないといけないからだ。
そんな事にはなりたくなかったし、何よりも一緒に来ている両親に知られたくない。もしも何かに気づかれることがあるのだとしても、家に帰ってからの方が穂香にも都合がよかった。
穂香は、力をつけてきているとはいえまだまだ発展途上。1人では敵わないし、できると自惚れるつもりもない。
いずれは… とは思っているけれど。
架け橋になりたいとまでは思っていないが、困っている人の助けになれたらとは考えていた。
たとえば、かつての孝平のような。
「ふむ… なかなか良質な霊力だな。だが、混ざっている」
「混ざっている?」
「あぁ、融合という言葉は分かるだろう? あれと同じようなものだと考えればいい」
「………」
その言葉は、嫌というほど知っていた。
かつて自分に起きていた現象だ。
まさかのことに穂香は驚きを隠せなかった。表情にも驚きと不安が出てしまっている。
自分の時は、自分の中にいた穂実が解決してくれた。あの時の感覚は残っているが、やり方はと聞かれるとちょっと自信がない。
でも、できないわけではないのだと思った。
年月で言えば穂香も孝平も大した差はないからだ。
他に、差があるのだとしたら―――
「まぁなんとかなるだろう。君自身、力はあるし何より文月丸が傍にいる。あいつの力は神界でも上位だ。頼ればいいんだ」
穂香は素直にその言葉が嬉しかった。
助けてくれたから、だけではなく、文月丸のことを信頼しているからもある。
この人の言葉は安全。そう言い切れた。
…だが、気になることが1つ。
小さいが、さっきからパチンッ、パチンッと弾くような音がして鳴り止まない。
その音が鳴るたびに、目の前のその人が反応し、笑っている。
「あの… この音は何なんでしょうか?」
「あぁ、それはね。その腕輪に込められた霊力が、君を守ろうと反応してる音だよ。さっきも、あのままだったら君の弟を弾き飛ばし、何らかの被害があっただろう。いくら守る為とはいえ、君の弟を傷つけることはアイツの本意ではないはずだしな」
穂香が左手首につけているブレスレットは文月丸からの贈り物。製作者も当然、文月丸だ。
だから込められている霊力が文月丸のものであることはすぐに分かったが、その音が今も鳴る意味を理解するのに少し時間がかかっていた。
その人が穂香から離れれば、音は止む。
再びその人が穂香の髪に触れると音が鳴りだす。軽い衝撃波もあるようだ。
「だっ… 大丈夫なんですか!? 拒否されて… えぇ…?」
「はっはっはっ いつものことだ、気にするな。これが今で言う“つんでれ”というやつなのだろう?」
「(違うと思う…)」
声には出さなかったが、穂香は何ともいえない気持ちになる。
だけど、本人は楽しそうだった。
「いつものこと」と言って笑えるくらい、この人は文月丸を理解しているのだと感じた。
文月丸なりのこの人に対する信頼があって、この人もそれを理解して受け止めて。
なんだか、羨ましさを感じる関係のように思えた。
「まぁ、そんなことはさておき。外に出てきてくれて正直助かった。建物の中では手出ししにくいからな」
「そういえばここは… こんな場所、初めて見る所で…」
「それはそうだ。私が造り出した空間だ。君ら人が普段過ごしている場所とは異なる。アレを隠すための、我が領域だ」
その人が指し示す先には1本の大樹。
その樹が何の樹か。穂香はすぐ分かった。付いているいくつものの花の蕾。桜だ。
蕾なのに、まるで咲いているかのように綺麗だった。その雰囲気は目の前のその人とどこか似ている。
「これは… 貴方なんですか?」
「!!」
穂香はずっと樹を見ていて、ふと思ったことがポロリと漏れた。
何故、そう思ったのかは分からなかった。
ただ、美しい。
それ以外に言い表す言葉が見つからないくらいだった。
けれど穂香は少し違和感を覚えた。どこかほころびのようなものを感じた。
ちらりとその人を見ると、変わらずその表情には笑みが浮かんでいる。不調があるような様子ではない。
「立派な桜の樹なんですね」
「あれは万年桜。私の本体だ。実をつけることはないが、1年中花を咲かせる。だが、一定の周期で一旦花を閉じ、力を貯める時がある。それが蕾の状態の時」
「じゃあ今が充電期間のようなものなんですね」
「通常ならなぁ」
くつくつと笑いながら、困った…と口にするその人。
やはり何かあったのかと穂香は思った。
でも、言いながらもその人はやっぱり笑っている。
危機感が無いというよりも、それが自身の運命なのだと受け入れているかのよう。
「あそこの、樹の根元。傷があるのが見えるか?」
「傷…?」
言われた箇所をよく見ると、確かに裂いたような傷跡があった。それは中々の大きさだ。
それに少し黒ずんでいるようにも見える。
その傷は呪いの一種なのだという。
どうやったのかは分からないが、この空間に侵入されてしまいやられてしまったのだ。
普通なら、入ることもできないはずの場所に。
どこからか侵入したソレの本来の目的は、桜の樹を切り倒すことだったのだろうとその人はさらっと言う。
「それってつまり殺されかけたってことじゃないですか!」
「そうとも言うなぁ」
「笑い事じゃないですよ!」
「そうは言うけどなぁ。そうなったらそうなったでそれまでだったということだよ。仕方のないことだ」
幸い、ソレの侵入を早期に発見したので、最悪の事態にはならなかったらしい。
でも、どうして。外に助けを求めることはしなかったのか。
穂香はどうしても分からなかった。
文月丸も、きっと知らない。
鼻の奥がツンとして、穂香は泣きそうになった。
「いいんだよ。あの時、文月丸に助けられなければ、私はすでにここに存在していない。気まぐれだったのだろうけど、助けられた。だから私は彼を尊敬している」
「でも… でも、寂しいです。そんなの」
「優しいのだなぁ、君は」
“他”を知るたびに、穂香はいつもやるせない気持ちになる。
これから自分が身を置くことになる世界。どうにかしようもないことは分かっていても、ついやれることを探してしまう。
自己満足だと自覚している。
それなのに、この人は優しいと言ってくれる。
たったそれだけなのだが、嬉しかった。
その時生まれた感情が、穂香の心に一点の灯りをともす。
小さな灯りはどんどん大きくなる。溢れて弾けてその場にいた全員を包む。
「なるほど… これが、生命と豊穣の…」
目が眩むほどの瞬きが収まり、穂香は辺りを見渡した。
自分が原因で何かあっては嫌なので。
目の前の笑みを浮かべ続けるその人。術がよく効いているのかよく眠っている孝平。
ふと、目にとまった。さっき見た大樹の傷跡。
そこに光の粒子が集まっていた。
じっと見ていると、目の前にひらりと何かが落ちてきた。
「え…?」
穂香の視界に広がったのは淡いピンク。見事なまでに咲き誇る桜。
傷と呪いの影響で、その花を咲かすことができなかった桜。
咲いたという事実が、何を表すのかは穂香にも分かった。
自分がやったと。
けれども無意識であることに不安が残る。
治ったのは喜ばしいこと。でも無意識というのは、力が溢れ出て制御できていないのと同義ではないか。
頼もしくも、恐ろしくもある力。
どう、向き合えばいいのか。自分のことなのに分からなくて不安になる。
「礼を言わねばな」
「……そんな、お礼なんて」
「経緯はどうあれ、私はまた助けられた。これを贈ろう」
「これ、は…」
「加護、というのだろうか。人にやったのは初めてだからよく分からん」
分からないものを何故と思わないでもなかったけれど、新たにともった灯りにいくらか安心し、落ち着くことができた。
そして、助けられる力があることを知った。
穂実の力を借りたわけでもない、自分自身の力だ。
穂香は腕の中にいる孝平を見る。
今は落ち着いているけど、さっきのようなことは必ずまた来る。
「孝平… 一緒に頑張るよ」
自分への決意と鼓舞。
抗っているのなら一緒に抗う。のみこまれそうならひっぱたいてでも連れ戻す。
だって、大事な家族なのだから。
そんな穂香を横で見ながら、その人は右手をすっと動かした。
1枚の花びらが穂香の元へ舞い降りる。
その花びらは、穂香の左耳辺りで形を変えた。




