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お狐様の恋愛事情  作者: 橙矢雛都
第2章 家族の絆
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4.豹変




~*~



嵐の前の静けさ。

穂香は今の状況をそう表現した。

家族旅行3日目。気を張っていたのが勿体ないと感じるくらい、2日目は何も起こらず平和だった。

平和であることが、こんなにも不安させることになるとは。

穂香はいつも通りを装いながら、周囲と孝平を注意深く見ている。



「……ネロ、どう?」



穂香の問いかけに、ネロは否定の意を表す動きをする。

旅行も終盤に差し掛かり、穂香は家族全員で食べ歩きをしながらお土産を物色していた。

何も異変がないことに、とりあえずは良かったと思う。最低でも両親に何も気づかれなければよいのだ。


2日目の夜も、穂香は孝平と少し話をした。例の妖はまだ戻ってきていないようだった。

けれど1つだけ、気になることが。今朝、孝平が穂香に体調の変化を訴えた。

変化というほどの変化ではなく、ただほんのちょっとだるい気がするだけ。

それだけならただ風邪を引いただけかもしれない。でも一応頭には入れておこうと穂香は思った。

父親の隣に並ぶ孝平を見るが、その様子はいつもと変わらずごく普通。



「穂香、何か心配事?」

「…え?」

「あなたが孝平を真顔でじっと見てる時は大体そうだもの」



母の言葉を受けて、穂香は自分の頬をぐにぐにと押した。

そんなつもりではなかったのだが。

けれど母親には分かった。母親だから分かった。



「あなた達だから大丈夫だと思うけど、無茶はしないこと」

「……うん」

「差し伸べてくれる手があったら素直に取っときなさい」



女の勘というか、母の勘というか。

()()()ではきっとどうすることもできないことを、薄々だが母は感じていた。

そんな母に、穂香は申し訳なく感じた。

もしかしたら、母だけは気づくかもしれないと思っていたけれど、それでいて余計な口は出さないでいてくれるその気遣いに。

穂香たちなら大丈夫だと信じてくれた、その言葉(きもち)に。

いつか、きちんと話せたらなと穂香は思った。



「穂香、これなんか稀莉ちゃん喜ぶんじゃない?」

「あ、可愛い…」

「彼氏さんにはこっちのお菓子かなー」

「あ、好きそう… ……って、えっ!?」



何で知ってるのかというように大きく反応し、驚く穂香。ふふっと流すように笑う母。

よくよく考えたら孝平も知っていたと穂香は思った。父親は鈍いので知らないだろうけれど、たまに鋭い母なら知っていてもおかしくはないのだった。

母には敵わない。そう思った瞬間。






~*~



夜。

はしゃぎすぎたのか、父も母も夕飯を食べたらすぐに眠ってしまった。

「子供かよ」と呆れていた孝平もいつの間にか眠っていた。穂香は3人を見ながらもう少し起きていることにした。

きっと両親は朝風呂に入るだろうし、今のうちに帰宅準備をしておこうと思って手を動かす。

とはいっても普段から散らかすような家族ではないので、穂香の手はすぐに止まった。

止まった手にネロが降りてくる。ネロが視界に入ると、文月丸から貰ったブレスレットも視界に入った。


穂香はそっとそれに触れる。

相談したいことばかりが増えていく。昼に、母が言った「差し伸べてくれる手があったら」という言葉を聞いた時、文月丸や稀莉たちの顔が浮かんだ。



「大丈夫、きっと大丈夫……」



消え入りそうな小さな声でボソッと呟く。

今は1人だけど、1人だけで頑張る必要はない。

帰ったら必ず相談しに行こう。経過報告のような感じで稀莉にはすでに連絡済みだし、良い案をきっとくれる。

むしろ頼りっぱなしなきもするけれど、いつか何かの形で返せたらと穂香は思う。

明日には帰るのだし話し相手もいないし、自分ももう寝ようと思った時。何かが動く気配がして穂香は動きを止めた。

自分以外、全員寝ているので部屋はすでに真っ暗だった。


ゆらりと動く人影。



「孝平…?」



暗闇で分かりづらかったけれど、穂香はその人影が孝平な気がして声をかけた。

けれど何の反応も無し。

両親を起こさぬように小声だったが、聞こえない声量ではなかったはず。それなのに何も認識していないかのような反応の薄さ。

孝平はゆらりと立ち上がって部屋の外へと出ていった。


不安しかなかった穂香は孝平の後を追った。孝平のすぐ後に部屋を出たのに、その姿はもう遠くにあった。

孝平も運動神経は良い。だが、この距離の差はどう考えたっておかしかった。

走ったならば可能だったかもしれない。

けれど走ったような音もしなかったし、ふらつきながら歩くそのを見れば、それはないだろうと穂香は思った。



「え… 外…?」



程よい距離を保ちながら孝平を追っていた穂香だが、旅館の外へと行くのを目にして一瞬怖気づいた。

防寒という防寒をしていない寝間着1枚。裸足で、当然靴も靴下も履いていない。

冬の北海道。雪が降り積もっているそこを、正気であるなら靴ぐらいは履くだろうが。

つまり今の孝平は、やはり正気ではない。



「孝平! 待って!」



孝平を追って外を出て、届かないと思いつつも名前を呼ぶ。

穂香の声に、孝平の身体がピクリと反応した。

声が届いたと思って安心したのも束の間、頭を押さえて突然苦しみだした。

何かに抗うかのような呻き声。

その場で膝をついてうずくまった。寝間着に雪が染みようがその声が止むことはなかった。



「孝平、どうしたの!? 孝平!」

「う…ぁ…… ねぇ…ちゃ…」



どうしたらいいか。穂香は考えを巡らせた。

治癒の呪文を唱えるか。勉強はしたので一応扱えはするけど効くかどうか分からない。

いっそのこと殴ってでも気を失わせるか。でも下手したら文月丸たちのいるあの町へ帰れなくなるかもしれない。

何が理由でそうなっているのか不明であるため、即決することができなかった。



「止めてくれ…! 何も、しないでくれ!」

「孝平? 何を言って…」

「止めろぉぉあぁぁ!」

「きゃあ!」



何かと会話するような言葉。

穂香は気になって話しかけたが、穂香の声は何かの声と重なり、孝平には聞こえなかった。

錯乱状態となっており、振り払うようにした腕が穂香に当たり、穂香は吹き飛ばされてしまう。

幸い怪我や痛みはなかったが、突然のことに穂香は動くことができない。

それでも声をかけることを止める気にはならなかった。

それをしてしまっては本気で駄目だと思ったのだ。



「姉ちゃん…」

「!」



今にも泣きだしそうな、そんな顔。

その表情を見た穂香は身体が固まってしまったような感覚に陥った。出しかけた声が引っ込んでしまった。

孝平のその表情にはいくつかの感情が含まれていた。


悲しみ。苦しみ。絶望。後悔。自己嫌悪。

助けを求めるように伸ばされた手はすぐに引っ込められた。



「…………ごめん…」

「孝平!? どこ行くの!?」



ぽつりと呟かれた謝罪の言葉。それと同時に孝平は走り出した。

姉を傷つけまいとする無意識下の行動だった。

だけど互いに抱く思いは同じ。穂香は孝平を見失わない為に追いかける。

これでもかってくらい全力で。

雪に足をとられ転びかけるが、そんなの気にしている余裕もない。たとえ、怪我しようとも。


少し走ったところで孝平に追いつき、逃がさないように腕を掴む。

乱れた息を整えながら、穂香はふと思った。旅館の近くにこんな場所があったかと。

2人が今いる場所は建物も街灯もない開けた所。

なんだか、異界にでも迷ったような。



『…むしろ、好都合だ。想定していた時期より早いが、まぁいいだろう」



孝平から、孝平のではない声がした。

戻ってきたのか、戻っていたのかは定かではないが、例の存在であることは穂香はすぐに分かった。

孝平の腕を掴む手に力を込めて、じっと見つめる。

すっと開かれて見えた孝平の目の色が変わっていた。黒から紫に。

髪先も少し灰色になっていた。



「あなたは誰なの? 何で孝平の中にいるの?」

『ほう… 話しかけてくるとはな」



()()は、孝平の顔でニタリと笑った。

小さい頃からずっとずっと見慣れた顔なのに、穂香はその笑みをとても恐ろしく感じた。

警戒心をさらに強める。ネロもすでに臨戦態勢だった。



『この弟の身体を傷つけられるのか? できんだろう、お前には」

「………」

『本当なら穂実と融合したお前を喰らうつもりだったのだがなぁ。まぁ、お前でも穂実を喰ったことと同じになる。そして俺は肉体を得られる。それで良しとしよう」

「肉体を得られる? …どういう意味?」

『無論、その肉体はこの男子のこと。長年いたおかげでよく馴染んでおるわ」



その長年の間。

自分の目の前のそいつは、それの為だけに孝平を騙していたのだと思った穂香は、そいつに向ける怒りを隠す気にならなかった。

妖が見えることで、孝平は苦しみもしたし孤独を感じた。

今まで耐えてきたその心を踏みにじっている気がしたのだ。



「ふざけないで。出ていってよ、今すぐ」

『できない相談だな。俺はこの時を二千年以上待ったのだ。お前たち姉弟は俺の糧となるべき存在」



その妖は、腕を掴んでいた穂香の手を振り払い、突き飛ばした。

倒れた穂香に馬乗りになり、首に手をかける。そして少しずつ、少しずつ絞めていく。

穂香を助けようとネロは攻撃を繰り出すが、その威力は簡単に弾かれてしまうくらい小さかった。

孝平を傷つけたくない穂香の意をくみ、手加減するが、それ以上に強めることができない。

相性が悪いのもある。ネロの攻撃は人にとっては身体を蝕む毒の刃にもなる。

相手は妖でも、身体が人であっては全力を出そうにも出せなかった。

なのでネロは、孝平の身体を傷つけないギリギリの威力を使って攻撃を繰り返した。


()()()()()()()



「返…せ… 孝平、を… 私の弟を返しなさい!!」

『足掻くか… 旨味が増すからかまわないが、ちと面倒だな」

「私が、抵抗しないとでも?」



穂香は小さく拒絶の結界を張った。

吹き飛ばす、とまではいかないが、軽く弾き穂香の首を絞めていた手を離すことに成功する。

とはいえ距離をとられるのもよくなかったので、矛盾しているとも思ったけれど穂香は孝平へと手を伸ばす。

今ここで、自分が喰われてしまうかもしれない事よりも、孝平の事が心配でたまらなかった。

でも、孝平は消えたわけではないと確信している。

分かるのだ。抗っているのが自分だけではないということが。



「孝平! 聞こえてる? 負けないで! 頑張って!」

『無駄なこと。奴はもうじき消えるのだ」

「消えてないし無駄じゃない! 私の弟を舐めないで! 十何年も一緒にいたというのにそんなことも知らないの?」

『何…?」

「喰う為って… 穂実の頃から狙ってたって、陰湿だし気持ち悪い!」

『貴様…」



ただの罵倒となってきていたが、穂香の拒絶の言葉は止まらなかった。

だから穂香は考えた。この妖のいいようになるわけにはいかなかったから。

文月丸に帰るって約束したのだ。

孝平のことだけじゃない。悲しませてはいけない存在が、穂香の帰る場所には多くあるのだから。



『たかが人間共が…!」

「穂実は奪わせないし孝平も奪わせない。私も奪われるつもりはない。……文月丸様から、もう何も奪わせもしないんだから!」


「全くもって、その通りだな」



穂香が叫び終えるやいなや、響いた声。

その瞬間、孝平の額にとんっと人差し指が置かれる。

聞き慣れぬ呪文が穂香の耳に届いた。その呪文は孝平の身体の自由を奪い、孝平の中の妖に対してだけダメージを与えていた。

どさりと崩れ落ちる身体。孝平の目を通した妖の視界は、穂香の後ろにいるその存在を捉えていた。

その間、2秒にも満たない一瞬のこと。



「私は人間が好きだよ。短く、儚く散るその生命が何よりも美しい。…一瞬の時を咲いて散る、桜のようだ。その人間を愛した文月丸も、私の大切で、好ましい友人だ」



美しく、妖しく笑う、その人。

穂香は助けてくれたとも言えるその人から目が離せなかった。



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