22.愛しさの涙
~*~
≪我は何をやっているのだろう≫
そんな思いが、その妖の頭の中を埋め尽くしていた。
千と数年生きてきて、人間には興味なくて、そんな中でも信じていいかと思う人間はいた。
「あら、貴方、力が強いのね」
「だめよ、そんなことばかりしていては」
「よく会うわねぇ… 縁があるのかしら」
「よかったら、私の話し相手にならない?」
思っていたよりも行動的で、よく喋る人間の女。
その妖の中で、その人間は特別になりかけていた。
でも、死んだ。
夢かと思うほど、あっけなく、あっさりとその人間は逝ってしまった。
身体的な老いはその妖も理解していたが、中身の明るくおしゃべりなところは変わっていなかったので、死というのが妖よりも早いことを忘れていたのだ。
「おばあちゃん…」
その妖は、初めてその人間の家族を見た。
妖にとってはまだまだ小さい女の子。
その人間とは違い、とても静かに泣く女の子だった。
その妖は、女の子に近づくことはしない。だってその子は自分が言葉を交わしていた人間ではないのだから。
それからその妖は、ふらふら、ふらふらと各地を歩き、彷徨った。
ずっと心にぽっかりと穴が空いていた。
何もせず、時間だけが過ぎていく中で――― ある妖に出会った。
自分と同じ、独りで。
会って話すうちに共にいるようになり、相棒と言って差し支えない関係になった。そして少しばかりの時が過ぎた頃。
相棒に、黒い野心があることに気がついた。
「なぁ、穂積山を手に入れねぇか?」
ある時突然、そう言ってきた。
元々、相棒の妖には、その考えがずっとあったのかもしれないが。
やることもなかったし、提案に何とも思わなかったその妖は、のってしまった。
穂積山は、あの人間がいた町に存在する山。ほんの少しの、たったそれだけの興味。
それだけ、だったのに。
「あの山にいるお狐様を殺し、ある人間の小娘を核の人柱にする」
それを聞いた時に、戸惑いが生まれた。迷いが生まれた。
神殺しをするなんて、思ってなかったから。
迷いを抱えたまま、時は進んでいく。相棒のためになるならと迷いを押し殺す。
捕らえた小娘に反撃された時、茂みの奥にいた人間の顔が見えた。
生き写しかと思うくらい、若かりし頃のあの人間に似ていた。
すぐに気づく。あの時、静かに泣いていたあの女の子だと。
(何をやっているの!)
そう、死んだあの人間に言われた気がした。
もちろん別人なのだけど、そんな言葉が聞こえた気がしたくらい、その妖には衝撃的だった。
女の子は今、烏天狗の妖に抱えられ、上空にいる。
無事を確認した時、頭がスッと冷えて冷静になった。
止めなければ。そう思った。
贖罪をするつもりはない。自分がそうしなければと思ったからそうするだけだった。
だから、その妖は動いた。
~*~
一時とはいえ、文月丸が力を取り戻したことは、高慢妖にとっては大きな誤算以外何物でもなかった。
アレは、やばい。
本能がそう告げるかのように、汗が湧き出て止まらない。
逃げるという言葉が頭の中をよぎった、その時。
「なっ… なにしやがる!!」
高慢妖の後ろに回り、羽交い絞めにするようにして動きを封じていた。
その行動に文月丸も穂香も驚いた。
このまま文月丸が攻撃すれば両方に直撃する。正直なところ、すでに戦う気を見せていなかったその妖を、文月丸は手を出すつもりはなかった。
仲間割れか。
そう見えなくもない光景だが、穂香には間違いを起こした友達を必死に止めようとしているように見えた。
でなければ、あんな後悔している顔にならないと思ったのだ。
「狐神殿、我らは過ちを犯した。間違ったのだ。どうか躊躇わないでくれるか」
「ふざけるな! 俺がっ、俺がどんな思いで…!」
「分かっている! お前に、野望の裏に隠れていた悲しみがあったのを! けれどこのやり方は間違っているのだ! 我らは自身に降りかかっていた問題にきちんと向き合うべきだった。このままでは消え切れぬ。…静流に、合わせる顔がない…!」
向き合えばよかったと嘆く言葉は懺悔のようで。
そしてその言葉が文月丸に届いた。
頷きで返事をし、狙いを定める。
文月丸の手に再び灯る狐火を見て、穂香は少し不安になってしまった。
反撃の為とはいえ、アレを受けてしまったらどうなるのか。
死ぬのだろうか。
無意識に穂香は文月丸の服を強く掴んでいた。
「…!」
文月丸の手が、穂香の頭に触れる。
大丈夫だ、まかせておけと言っているようで。
「う……ああああああああ!」
「っ…!」
断末魔のような叫び声が辺りに響く。
青の狐火が2人を包む。
周りの草木に影響はなく、2人を焼いているわけでもなかった。
「青の炎は浄化の性能を持つ炎でもある。どのくらい浄化が行われるかは、個人の度合いによる」
負の力、負の感情をこちら側の者たちは総称して「邪」と呼んでいる。
邪が大きければ大きいほど、浄化の作用は大きくなる。
酷ければ魂そのものの消滅もあり得るのだと、文月丸は言いにくそうにしながらも穂香には必要だと思い、伝えた。
魂の消滅。
それがどういうことか、穂香にはよく分かっていた。
襲われた。怖い思いもした。
けれど消滅まではしてほしくないと穂香は願った。
しばらくして青き炎は収まった。
炎が消えて、そこに存在していたのは1人。相棒を止めようとした妖だった。
自分の手の中にいたはずの相棒の姿が見えないことに、悔しさで口元を歪ませる。
覚悟していたといっても、それとこれとは話は別だった。もっと早くに止められなかったのか、助けられなかったのかという思いは無くならない。
「おぬしの相棒、完全に消えてはおらぬぞ」
「…え…!」
「邪に侵されなかった部分はきちんと残っておったな」
文月丸が指し示す先には、小さく、儚くとも光り続ける球体。大きさはビー玉くらい。
球体に穂香は近づいていき、優しく手で包み込んだ。
人間だって、怒りや悲しみで間違った道を進んでしまうことがある。だからたった1人が全てを裁かれるなんておかしな話。
「あなたがしたこと、私は咎めません。これから親しき友の言葉を聞くことが出来たら、あなたの力もきっと元に戻るでしょう」
ほんの少し、穂実の言葉も交じっていたかもしれないと穂香は思った。
穂実が許しているから、穂香も許すことにした。
「……あの…」
稀莉が下りてきて、残った妖に声をかける。
その妖は、反応はしたが顔を上げようとはしなかった。稀莉は、自分が信用した人間の孫という認識でしかあった。
稀莉がどういうつもりで話しかけたのか穂香には分からなかった。ただ、稀莉なりの想いがあるのは理解できた。
「おばあちゃんが言ってました。仲良くなった妖がいるんだって。すごく嬉しそうに。友好の証に、名前を受け取ってもらえないだろうかとも」
「…! なま、え…?」
「主従ではなく、友好というところで、おばあちゃんがあなたをどう思っているのかがよく分かりました。おばあちゃんにとって友達になることは人も妖も関係ないのだなと。…結局、名を渡す前に死んじゃいましたけど」
友という関係に、人も妖もない。穂香もそれに強く同意した。
穂実の影響もあったからか、妖が見え始めてからも怖いと思ったことはなかったけれど、薄い板1枚程の壁はあったと思う。
けれども穂香には、ネロや白雪という存在ができた。この2匹はまぎれもなく、穂香の友達だった。
遅くなってしまったけど、この妖にも人間のことをそう思ってもらえたらと、思わずにはいられない。
「…どんな名前をくれたのか、聞いてもいいか?」
「……理人。周りの気持ちをよく理解できる、情の深い妖だからと、そう言っていたのを覚えています」
「理人… リヒトか…… 貰っても、よいだろうか」
「…おばあちゃんも喜ぶと思います」
その場を風が優しく包む。
静流が亡くなっているので契約という形はないが、友好の証としてその妖は名を受け取り、理人となった。
そんな理人の目にはうっすらと涙が。
やっと気持ちが届いた、という点は穂香も共感できるところがあった。
だからこそ、やらなければいけないことがある。
穂香は誰にも気づかれぬように、今いる場所から1歩、2歩と後ろに下がった。
手にしていた球体を離すと、それはふわふわと理人の元へ飛んでいく。
それを見届けると、穂香は胸元辺りで祈るように手を握りしめた。
「 “我の中に眠る御霊よ。我の声に応え、我の御霊と共にし、一瞬の、何にも代えられぬ時となりて” 」
穂香のその行動に、全員が驚いた。
事が収束した今、何をするつもりか全く予想できなかった。
近づこうとする文月丸を穂香は手で制す。顔を上げ、しっかりとその姿を見つめる。
「まだ未熟な私では、少ししか時間がもちません。けど、今度こそは、互いに言葉を伝えあってくださいね」
何を、という間もなく、穂香は風と光に包まれる。
なんとなくだったが、文月丸は穂香の言いたいことを理解した。
まさか、そんな、という動揺もあった。
でもいつかはという、希望もきたいもあった。
ありえぬ期待と思いつつも。
千年たって出会った少女がそれを叶えてくれるとは思いもしなかった。
風と光が晴れ、姿が見える。
そこにいたのは、穂香と似ているが穂香ではない。雰囲気はかつて自分が愛した人。
「文月丸様」
その声が文月丸を呼ぶ。たまらず文月丸の目から一粒、涙がこぼれる。
穂香が使った術は、神卸ろしに似たような術。
本来なら巫女が神託を授かる際に使うもので、誰もができるわけではない。
穂香だからそれができたのであって、文月丸もそれを見るのは初めてだった。
「…本当に、穂実なのか?」
「身体は穂香のまま。でも、中が≪私≫なのは分かるでしょう? 文月丸様」
にっこりと笑う穂香… もとい穂実は文月丸の方へ歩み寄る。
文月丸は手を伸ばし、触れる。
感じられた霊力は確かに穂実のものであった。それがよけいに愛しさを込み上げさせる。
最初に惹かれたのは違う人だったのは事実だが、穂実を愛したのも事実だった。
「穂香の力、思ったより大きいなぁ。もう一度、言葉を交わさせてくれるなんて、思ってなかったです…」
「驚きもあるが、感謝の方が大きいな。会いたい、話したいとずっと思っていたはずなのに、言葉が出ぬな…」
「ふふ… 私もです。私は、穂香にかけられた術を解いたら去るつもりだったのに… 穂香がくれたこの一瞬を、無駄にしたくない。文月丸様、聞いていただきたいことがあります」
穂実は真剣な様子でそう言うが、その瞳は泣きそうになっていた。
それにはいくつかの感情があった。
相手を愛する感情、別れを悲しむ感情。託すしかない、悔しさの感情。
でも、そうなることを選んだのは自分自身。だから握った拳に力を込めて、言葉を紡ぐ。
「私は文月丸様を愛しています。本当は、姫巫の申し出も受けたかった。でも、そうしなかったのは、私は穂香も愛していた。穂香を助けたかったのです。そのためには私はあそこで死ぬ必要があった。私は聖域の犠牲になったんじゃなくて、私が聖域を利用したんです。だから文月丸様は何も悪くない。負い目なんか感じなくていいんです。…でも、貴方を傷つけなければいけなかったこと、傷つけたことは、ずっとずっと謝りたかった」
言葉を紡ぐたびにこぼれる涙。
切なげな表情で聞いている文月丸は、穂実の方へと手を伸ばし、こぼれる涙を指ですくう。
本来ならば、神たちがするべきことを押しつけてしまったことは後悔している。初めての感情に惑わされずちゃんと見えていれば、背負わせたまま死なすことはなかったかもしれない。
そう、浮かれていたのだ。
人を愛したという初めての感情に、迷いながらも受け入れ、周りが見えなくなるほどに溺れてしまった。
文月丸は確かに傷ついた。
でも、傷つけられた相手に対する怒りや憎しみなどはなく、時がたつにつれ、冷静に考えられるようになっていた。
「穂実、お前が謝る必要などない。愚かだったのは、謝らねばならぬのは我の方だ。気づいてやれなくてすまなかった。背負わせてしまって… すまなかった」
「でも… 私はあの時、文月丸様が求めていたのは穂香なのだと気づいていたのです。言わずに縛っていたのは事実で…」
「そうかもしれぬな。穂香のことは愛しく思う。穂実ではなく、穂香だからそう思う。じゃが、穂実を愛しているのも偽りではない。穂実が愛した穂香を、我も愛しておるだけじゃ」
その言葉に、穂実は更に涙をあふれさせる。悲しさではなく、愛しさの涙だ。
穂実のその感情が霊力となって放出される。草木が揺れ、生き生きと生い茂る。
また集まってきていた小物妖たちは、穂実の霊力が気持ちよくて小躍りしている。
「文月丸様、1つお願いがあります。穂香を、守ってください。穂香は文月丸様にとって、そしてこの聖域にとってなくてはならない存在なのです。けれど、穂香を纏いし厄はまだ消えていない。まだ近くにいるのです。私はこれ以上、ここに留まることはできない。どうか… どうか、穂香をよろしくお願いいたします」
どうしてほしいかの言葉を告げたのは、同じ過ちを繰り返さないため。
あの時、死ぬ運命しかなかったのだとしても、一言あるべきだったとひどく後悔した。
だからもう、後悔しないために。機会をくれた穂香のために。
穂実は精一杯の笑顔で気持ちを告げた。
「…ここに、誓おう。穂実の守りたかったものを守ると。同じ過ちを繰り返さぬように、穂実のように失わぬために、もう二度とその手を離さぬと」
互いの存在を刻み付けるように強く抱きしめあう。
淡く、優しい光が穂実を包む。
だんだんと強くなっていった光が収まってきた時、その霊力はそこから感じられなくなった。
愛しい人が逝ったことを感じ、文月丸は声を発することなく、ただ静かに、涙を流した。




