21.抗う心、その名を呼ぶ
穂香の霊力の流れを感知した妖が即座に反応し、締め上げていた手に力を込める。
苦しさを訴えるように、穂香は小さくうめき声をあげた。
「大人しくしておけば殺しはしないし、怪我もしない。余計なことはしないことをお勧めする」
「怪我ならすでにしてるんですけど」
「やはり人の身体というのは脆いな。……脆いのだな」
まただと、穂香はそう思った。
責めるに責めきれない。何かを悔いているような表情。
こんなことをしてしまった理由があるのかと思ってしまった。理由を聞き出す前に、今の状況を脱するために穂香は周りをこっそりと確認した。
足元に転がってきたガラス玉の効力が発揮されるまでもう少しかかる。そのための時間稼ぎを穂香がしなければいけなかった。
穂香はタイミングを見て行動を起こさないといけない。そのタイミングが合うか合わないかで結果が変わってくるので気を抜けなかった。
ふと、視界の端に文月丸の姿が映った。
とても焦ったような表情。すぐに助けたいが迂闊に動けない、もどかしい態勢。
文月丸も、奴らの狙いが自分なら穂香がむやみに傷つけられることはないと思い、会話をしながら時を引き延ばしながら、突破口を探ろうとした。
もう、あんな思いを二度としないために。
「その娘を殺しはしないと言っていたが、帰すつもりもないのだろう? どうするつもりなのじゃ」
「死ぬアンタに教えてもね… まぁいい。教えてやるよ。この聖域を手にするには現人神の存在が必要だった。だが、現人神となれるほどの器を持つ人間なんてそういやしない。そんなばかでかい魂と霊力の人間なんてな。……ギリギリ当てはまる人間がいたが、この前死んだしな」
「この前…じゃと? いつ頃のことだ?」
「時間の概念なんか俺らにはねぇよ。言っておくが、俺らが何かしたわけじゃねぇ。あのババアが勝手に死んだ。いつも白い猫を連れてたババアだった」
「…! それって……」
黒羽は何かに気づき、顔色がさっと青くなった。
穂香も黒羽と同じ人を、静流を思い浮かばせていた。1つ何かがずれていたら自分じゃなく、静流がこいつらのいいようにされていたかと思うとふつふつと怒りの感情が湧いてくる。
「ババアが死んで機会が無くなったと思っていた時に、この小娘が現れた。ババアよりも、そしてあの穂実よりも大きくて、上質な存在。狙わねぇ理由はねぇだろ」
そいつが言葉を紡ぐたびに、穂香を捕まえている妖の表情が、苦虫を嚙み潰したような表情になっていった。
この妖とは話ができるかもしれない。穂香はそう感じた。
高慢な方の妖さえなんとかできれば、なんとかなるのでは。
そう思った時に、足元のガラス玉が穂香にだけ分かるように瞬いた。
準備が、整ったと。
「ずいぶん、自分勝手な理由だね」
「あ?」
ギロッと穂香を睨む高慢妖。
穂香は物怖じすることなく、キッと睨み返す。
すぐにでも脱したかったが、一言くらい言ってやりたくなったのだ。
「自分さえよければ周りはどうでもいいんだ」
「周りなど気にしてどうなる? 下賎の者は使われて当然。むしろ使ってやってるのだぞ? 何の文句がある」
「文句しかないわよ。あなたは何も見えていない! 何も分かってない! …可哀想な存在だわ」
「なんだと?」
「あなたは高慢なだけ。力のある場所を手に入れても、ただ空しいだけ。そんなくだらないことに他人を使わないで」
「小娘が…」
静流のことだけでなく、穂実のことに対しても穂香は怒っていた。
1度ならず2度も。自分のことも含めてだけど、神にとって人間はそんなに下賎な者なのかと。
力は確かにあるのかもしれないが、その力と考えを押し付けないでほしかった。
この妖が、ほんの少しでも人に対して別の感情があったのなら、何かが違ったかもしれない。
「私たちも生きているの。心があるの。妖だからとか、神だからとか。力があるとかないとかどうでもいいよ! あなたたちの勝手で使われていい生命なんてないんだから!」
穂香は、胸の奥が熱くなるのを感じた。
消え切っていなかった、微かに残っていた穂実が反応したのだ。
(私も手を貸すぞ)
そんな声が聞こえた気がした。
増幅していく穂香の霊力に重ねられる穂実の霊力。
ここだという瞬間を穂香は見逃さなかった。
「あなたの好きになんてさせない。この山を汚すなんて許さない。…文月丸様を傷つけるなんてもっと許さない!!」
「小娘ごときが戯言を… ……!?」
「…… “たゆたう小さき霊魂たちよ。我の元に集い、我の御霊に呼応し、力を重ね合わせよ。狂え、狂え、吹き荒れろ” 」
「 “たゆたう瞬く霊魂たちよ。闇を照らし、祓いて、彼の望みを指し示し給え。灯せ、灯れ、瞬け” 」
穂香の詠唱に、重ねるようにして行われたもう1つの詠唱。
そこでやっと、その場にいた全員がもう1人の存在を知った。
穂香の真下に在るガラス玉が瞬きだす。
「風よ!」
「光よ!」
ほぼ同時に放たれた言葉。若干、穂香の方が後だったか。
ガラス玉が目も開けていられないほど強く発光し、高慢妖も、穂香を掴んでいる妖も不意を突かれた形となり、大きく怯む。
あまり影響を受けなかったのは、高低差のあるその場所で穂香たちよりも低い位置にいた文月丸と黒羽の2人。
だから好機を見逃さずに動くことができた。
穂香を掴んでいた手を、穂香が起こした風がはじく。
「…うぁっ…!」
自由になった穂香は、着地をしてそこから離れようとした。
けれど怪我した右足に痛みで力が入らず、ぐらりと身体を傾かせる。
落ちる、そう思った穂香は無意識に衝撃に備え、全身にきゅっと力を込めた。
「穂香!!」
呼ばれる名前。穂香の耳にしっかりと届いた声は、もう大丈夫だと安心させてくれた。
もう失ってはいけない存在の為に、文月丸は必死になった。今度は同じ空間に、手の届く距離にいるのだから。
文月丸は穂香を抱きとめ、素早く後退し、敵2人と距離をとった。
抱きしめる力を強くすれば、直に伝わってくる体温と鼓動。
冷たくない、生きている温かさと、安心させる心地良い心音。
今は、あの時とは違うのだと文月丸が感じるのに充分だった。
「名前……」
「…なんじゃ」
「…初めて、呼んでくれましたね」
とっさに叫んでしまったことを思い出し、文月丸は穂香の首元に顔を埋めて隠した。
尾がゆらゆらと揺れている。それを見て穂香は、文月丸が少し照れていることに気がついた。
今まで直で見ることのなかったその反応を見ることができたというのは、穂香にとってこれ以上の喜びはなかった。
やっとなのだ。お互いがなんの曇りもなく触れ合えるのは。
「くそっ… 何だ今の光と風は…! 一体どこからっ」
「…っ!」
足元にある、効力を失ったガラス玉を見つめ、その妖は苦々しい表情で踏みつけ粉々に砕いた。
これさえなければとでも言いたげで。
光の呪文を唱えた人物がいる方向を見やるが、その方向からはすでに気配が消えていた。
「上じゃ」
「…!」
穂香の言いたいことを察した文月丸は、穂香の意識を上へと誘導する。
遥か上空。
そこには黒羽に抱えられている稀莉の姿があった。
稀莉は必要以上に霊力を込めてしまったので、再度霊力枯渇気味になっていた。
動けなくなるすんでのところで黒羽に抱えられ、上空へと逃れていたのだ。
「あの娘には黒羽がついておる。心配は必要ない」
「よかった…」
「…穂香、は、足の怪我以外に痛いところはないのか?」
「はい、足以外はないです」
穂香の言葉を聞いた文月丸は、もはや隠す気のなくなった表情を穂香に見せた。
愛しさを含んだ、安堵の表情。
そっと穂香を地に降ろし、一度目を閉じて呼吸を整え、気持ちを切り替える。
目の前の敵を、退けるため。
文月丸から放たれる怒気と殺気。
以前のような痛々しいものではなく、より洗練された、思わず見入ってしまうほど。その立ち姿をより美しく引き立てていた。
「おぬしらは… 誰に、何に手を出したのかを思い知るべきじゃな」
穂香という、最大の人質を失った妖たちに、文月丸は止められなかった。
どのような攻撃をしても、文月丸は全て防いでしまう。
反撃されれば終わってしまうのではという状況で、文月丸は何もしなかった。
自分に来た攻撃を防いで、ただじっと敵を見据えるだけ。それにどんな意図があるのか分からない妖は、ただただイライラを募らせていく。
「なんでっ… 何で当たらねーんだよぉ!!」
高慢さが目立っていや妖は、焦りから攻撃が雑になり、余計に当たらなくなっていく。
もう片方の妖は、穂香をとり逃がした辺りからどこか消極的になっていた。
元々あった迷いが大きくなったという印象だ。
ふと、穂香とその妖の目が合った。
その瞬間、その妖の目に、何かの決意がともった。
「どうしても引かぬと言うのなら、こちらも相応の対応をせねばならぬ」
文月丸が右手を掲げる。右手に、そしてその周りに火の玉が無数出現した。
妖にだけ効果のある、狐神がよく扱う狐火。
妖艶に揺らめく、不気味でいてそれでも目を引くその狐火は、どこか弱々しい。
それを見てニヤリと笑う高慢妖。
「やれんのかよ。そんな弱体化した炎でよぉ!」
文月丸の狐火は弱っている。これは穂香には分かることだった。
穂実の最期の時の様子しか見たことはなく、それ以前は知らないことだったが、その唯一知っている炎よりも弱くなっていれば気づくというものだ。
文月丸にかけられている封印を、今すぐにどうこうする術は穂香にはない。でも弱体化したままの炎では、敵にも簡単に対処されてしまうかもしれない。
一時的にでも、炎を強化できれば。
「…! 穂香?」
穂香は文月丸の手に触れる。
繋がれた手から、そっと霊力を流す。自分の霊力を媒介にして、2人の霊力をつなぎ合わせる。
穂香は文月丸の顔を見上げ、にこっと小さく笑った。
そして、その名を口にする。
「「文月丸様」」
その瞬間に、狐火の炎が大きくなる。
何が起きたか分からない妖たちは、ただ唖然としている。
一時とはいえ、何故炎が強くなったのか。
人の気持ちの強さも、そこにある絆も理解できない妖たちには、きっと、一生理解できないだろう。
「何が……」
「文の兄貴の力を、封印の干渉を受けずに強化できるのは、名を与えた穂実さんだけ。文の兄貴と穂実さんをつなぐことができるのは、穂香ちゃんだけ…」
触れられた手から感じることのできる愛した人の気配。
傍にいて、触れてくれているのは、愛する人。
文月丸の胸の内は、熱く、熱くたぎった。
2人がいるのなら、負ける気など微塵もなかった。
「ありがとう。穂実、穂香」
文月丸は2人の想いを受けて、目の前の敵をしっかりと見据えた。




