20.不穏と強襲
~*~
「…黒羽か?」
「やっぱりバレますねぇ。文の兄貴を驚かすなんてできないだろうな」
「何しに来た」
文月丸がそう言うと、黒羽は作った笑みを消して真面目な表情になる。
何かがあるから黒羽が来たというのは文月丸も分かっている。だから何しに来たのだと聞いたのだ。
「嫌な予感がした、ですかね。しかも確実に何かが起こる感じの」
この場所に長く通っている黒羽にとって、住んでいるのと同じこと。何か不穏なことがあれば、それらを感じ取るのも容易かった。
それに今回は上手いというか、たちが悪いというか。
ようは厄介な相手。
先手を許してしまう形にはなるが、なんとか対処するしかない状況だった。
「…穂香ちゃんもこっちに向かっているみたいですし、鉢合わせしなきゃいいんですけど」
「厄介ごとに巻き込まれるのがあの娘だろう」
「まぁ、確かに。早いとこ彼女と合流しましょう。1人でいたら喰ってくれと言っているようなもんでしょ」
「………簡単に合流させてくれると思えんな」
文月丸はすっと黒羽の後方のしげみを見据える。
ゆらりと景色が揺れ、その存在が姿を2人の前にあらわにした。
一応、人のなりをしてはいるが明らかに異形。2人はただならぬ様子に警戒を強くした。
「兄貴っ!」
一瞬にして文月丸との距離を詰めてきたその妖。その顔には不気味な笑顔が張り付いている。
相手の初手をすんでのところで避ける。黒羽の声が無ければ少し危なかったかもしれない。
文月丸が反撃すれば、その妖は飛びのき距離をとった。
普通の妖でないことを察知した文月丸は、周りに集まりつつある小物たちを遠ざける。
その行動を見て、その妖の不気味な笑みはますます深くなった。
「やはり変わったな。弱りつつあるのに小物どもを逃がすとは」
「お前はどこの者じゃ? 我を狙う意味を分かっておるのだろうな?」
「もちろん、分かっておるとも。あの烏天山の生き残りがいるのは予想外だが、俺たちの計画に支障はない。お前を殺して力を奪い、この土地も奪う」
「(…俺、たち?)」
その妖が言ったことに、文月丸は引っかかりを感じた。
目の前の妖に仲間がいる可能性は、当然考えていた。
ならば二手に分かれた理由は。
自分たちが足止めをされなくてはいけない理由は。
答えは、簡単だった。
「……穂香…」
「っ!!」
「だから行かせないって」
文月丸が、穂香の名前をボソリと呟いた意味を、すぐに理解した黒羽が行こうとするが阻まれてしまう。
この妖の目的はあくまでも足止め。
自分の相棒がもう1つの目的を達成するまでの。
「さぁて、もうしばらく俺と遊んでてもらわないと」
~*~
「何… この空気…」
疑いようのない空気のおかしさに穂香は一瞬立ち竦んだ。
文月丸や穂積山の状態悪化とは別の何かが、今ここで起こっているのかもしれない。
だとするのなら、自分が行くことでかえって大事になるのではないか。
その可能性も考えられたが、ここまで来て足を止める理由が穂香にはなかった。
1分1秒でも早く会いたい。そう思ってここに来た。
ねっとりした空気が、山に入った瞬間にまとわりついてくる。気持ち悪くて吐き気を催すくらいだった。
周囲を警戒しながらも穂香は暗い山道を進んでいった。
灯りなど持ってきていないし、あったとしてもつけられない。けれど真っ暗で舗装されていない山道など、まともに歩けたものではない。
だから穂香は穂実のように、試してみることにした。
「本当にできるとは思わなかったなぁ… 暗視効果付与」
「……」
「ネロには見えてるのかな… ていうか目、どこ?」
霊力操作で自身の目に暗視効果を施した。これで暗闇でも昼間のように動くことができているのだ。
穂香は真っ直ぐにお社を目指す。
「ネロ? どうしたの? …っ!」
突然、ネロの様子がおかしくなった。
忙しなく動くその様子はどこか挙動不審にも見える。
そして穂香は目の前の木に貼られているお札に気がついた。
そのお札は、雪宮家で見た結界のお札に酷似している。
何故、こんな所に。
穂香は周囲を見渡すが、自分とネロ以外に誰もいない。
「見つけた」
酷く低い、ゾッとさせるような声。
背後から聞こえたので、穂香は振り返って声の主の姿を確認しようとした。
けれどそこには誰もいない。不穏な空気に当てられて草木たちがざわざわしているだけだった。
地上にいないのならばと穂香は上を見る。
「探知したか。やはり特殊なようだな」
目の前に存在する妖が何をしに来たかなんて嫌でも理解させられる。
臨戦態勢にあるネロの影に隠れるようにして、穂香は周囲を改めて確認した。
先程見つけたお札が結界のお札だと仮定して。その範囲はどれくらいだろうと考える。時間の余裕はあまりなさそうだったので、イチかバチかにかけなければいけない可能性も視野に入れる。
「さて、我と共に来ていただきたいのだが」
「…素直に応じると思うの?」
「逃げられると思っているのか?」
「さぁ…ね!」
「!!?」
突然穂香は走り出し、お札が貼ってある木の横を通り抜けていく。
結界という、見えない壁に阻まれるだけだろうと思っていた妖は、面食らった顔をしていた。
結界の術に不具合があったわけではない。ただ単純に、穂香の解呪のスピードがものすごく速かっただけ。
穂香は全力で走った。途中、火の玉のような攻撃が飛んできたが、それらはネロが全て落としていた。
走り行く先々に、いくつものの結界のお札があることに穂香は気づいた。
どうやら相手も用意周到な妖で、確実に捕らえるために何重にも結界を貼っていたのだ。
穂香は走りながら解呪を繰り返す。
もういくつ解呪したか分からなくなってきたその時だった。
「ちょこまかと動きやがって…」
「はいそうですかって捕まりたくないだけだよ!」
「けれど、まぁ…」
穂香は、霊力が大量に放出されたのを感じ取った。
攻撃される。穂香は直感的にそう思った。
本格的な防御の術なんてまだ覚えていない。それでも何かしなければと穂香は考えを巡らせる。
放たれた攻撃に当たると思い、無意識に身体に力を込めた。
それと同時にポケットの中に入れていた結晶石が光りだす。
文月丸が力を込めた、あの結晶石だ。
攻撃には当たらなかったけれど、突然のことに反応しきれず、反動で体勢を崩し倒れこむ。
倒れた穂香の目の前に、ネロが力なく落ちてきた。
片方の羽を、もがれた姿で。
「ネロ…!?」
今にもこと切れそうな、弱々しく反応をしている。
穂香はネロをそっと手で掬いあげる。攻撃が止んでいる今、少しでも離れないとと思い、怪我した足を引きずって移動する。
穂香を攻撃した妖も、カウンターを受け地に伏していた。
ネロを手にしながら移動する穂香の手と肩はガタガタと震えている。
緊張なのか、足の痛みなのか、恐怖なのか。
それでも進まなければと、必死に足を動かした。
文月丸や黒羽の霊力は感じられるので、進むべき方向は分かっている。
「ネロ… ごめんね… 大丈夫、大丈夫だから… お願い… 死なないで…」
懇願するようにネロに声をかけ続ける。
どうすることが最善なのか全く分からなくなってきていた。
予想外の事態と体験したことのない心の乱れ。
帰ることができるだろうか。帰れたとしても弟にまた怒られるだろう。
「危ないことはするな」と。
孝平のその言葉が頭に浮かんだ時、穂香の心はスッと落ち着きを取り戻した。
これ以上、危なくならないために。
逆に、捕まることを前提に考えてみたらどうだろう。
「しぶとい娘だ。ようやく観念したか」
動けるようになったのか、その妖が追いついてきた。
穂香は、ネロだけはとかばいながら、黙って相手を見る。なんとなくだったが、この妖には仲間がいるような気がしていた。
だから捕まったとしても、すぐにどうなることはないと思った。
穂香はもう、足の怪我で走るどころか立っているのもやっとな状態。どうせなら自分が行くのではなく、連れていってもらおうと考えた。
観念したのではない。反撃するために捕まるのだ。
「っ!」
「護衛の幻魔蝶も潰した。お前にもう手はないのだから諦めろ」
そう言ってその妖は、乱暴に穂香の胸倉を掴み持ち上げた。
宙に浮いた穂香の身体は何も抵抗できなかった。あえて、しなかった。
今ここで暴れて抵抗したとしてもどうにもできないし、捕まることでできることはあったからだ。
最小限の抵抗をしているフリはした。あとちょっと普通に苦しかった。
「……そんなに、力が欲しいの?」
「力があれば何でもできるからな」
「そんな手に入れ方しても… 独りになるだけだと思う」
「知った口を…」
ほんの少し、眉が動いたのを穂香は見逃さなかった。
この妖を何とかしたいと思ったわけではないけれど、何故そんなことを聞いたのか自分にも分からないし、分かりたくもない。
穂香にとって、この妖は敵。それは絶対に揺るがない事実。
敵だけれど、少し、気になったのだ。
ここまでする理由は何なのかと。
「遅かったな」
「思ったよりもこの娘が抵抗してな」
「活きが良いのは結構なことだ」
「貴様… 何の話をしておるのじゃ」
「くくっ… 俺の相棒と、姫様のご到着だ」
穂香の耳に届いた、穂香のよく知る声。
月明りで照らされるそこに出た時、穂香が目にしたのは荒れた空間とその中心に佇む、文月丸と黒羽の姿。
文月丸と黒羽も、ボロボロになって捕らえられている穂香を見て、動揺を隠すことができなかった。
5人が集まるそこに沈黙が流れる。それを最初に破ったのは、怒りを隠していない文月丸の声だった。
「その娘を… どうするつもりじゃ」
「安心しろ、殺しはしない。死んでもらうのはお前だけだ。この山の仮主よ」
「アンタ… だから文の兄貴を!?」
その会話の意味を知らない穂香は黙って聞いているしかなかった。
聞いたら教えてくれるだろうかとか、その前に今の状況を脱しなければとか、穂香が考えることはたくさんある。
ネロの処置も、早くしないと手遅れになったら困る。
確かに護衛だったのかもしれないが、穂香にとってネロは『友達』なのだ。
穂香がふと下を見ると、ガラス玉のような何かが音もなく転がってきた。
だからそれに気づいたのは穂香だけ。
「(あれは… たしか……)」
穂香にはそれの見覚えがあった。
どういうものなのかも思い出した。気づいた。誰が穂香の足元に転がしたのかも。
ものすごい勢いで、頭の中で術を構築する。その時にわずかだが霊力も漏れ出した。




