13.やつあたり
思えば、いつからだったか分からない。
文月丸が穂香と初めて会った時、穂香を助けたのは単なる気まぐれだった。
穂香と穂実の声が重なって聞こえた時、何の冗談だと穂香を怒った。
似ていると思った彼女から、自分の愛した人の声が聞こえたのだから。
そして、初めてまともに穂香の姿をその目で捉えた時。
文月丸は確信した。穂香の中に、穂実がいると。
彼女は穂実だと。そう、思っていたのに。
関われば関わるほど違うことを思い知らされる。でも一緒にいるほど苦しみが消え、心が癒されていった。
穂実以外の人間を愛したことがない文月丸にとって、穂香に向ける感情が穂実の時とどう違うのか、どう彼女と向き合ったらいいのか悩みの種となっていた。
そんな時に、穂香から予想していなかった言葉をぶつけられた。
「穂実が貴方に何も言わなかったのは、きっと貴方が好きだったから、愛していたから! 貴方の隣が居心地良すぎたから! 自分の運命を受け入れてこの場所にいたのに、生きたいと思ってしまった。ずっとずっと、穂実は悩んで、迷って、そして最期を迎えた」
「…ちょっと待て、知っておるのか? どうやって知ったのじゃ!?」
「…文月丸様も、分かっているでしょう? 私と穂実のこと。私の中に、穂実の意思があるのかどうかは分からない。でも、心はある。私の中に入ってくる、侵してくる」
「何を……」
「それが穂実自身の仕業なのか、他の誰かなのかは分かりません。勢いに乗せてでも言わなければ、自分の気持ちを言える自信もないのです」
穂香がどういうつもりなのか、その言葉がどういう意味を持つのかさっぱり分からなかった。
でもちゃんと理解しようと、穂香の言葉を1つずつ頭の中に浮かべていく。
そして1つの単語と可能性に辿り着く。あり得てはいけない可能性。
融合。
「切り刻まれる感覚、痛み、恐怖。分かりますか? 一晩にも満たない僅かな時間で経験させられた。もう私、怖いです。私自身が。私の中にいる穂実がっ!!」
何を言ったらいいのか、言うべきなのか。文月丸には何一つ思いつかなかった。
自分はあの日、奪われた苦しみから怒りで周りは何も見えていなかったと文月丸は思い出す。
そしてあの時、一番傷ついていたはずの穂実のことすら気にかけてやらなかったことを後悔した。
けれどもその後悔の感情が、目の前の光景をどうすべきかという考えを生んだ。
このままでは、穂香は穂実の二の舞になってしまうかもしれない。文月丸はそう考えた。
今の穂香は明らかに普通ではなかった。
ゆきちゃんのかけた「融合の進行度を遅らせる術」は確かに効いている。だからこれは進行度に沿った症状の現れだった。
今の段階で止められて、これである。
「そもそも周りが求めているのは、狙っているのは穂実でしょう!? 私は穂実じゃない! 穂香だよ!?」
そんなこと言うつもりは穂香にはなかった。もっと別のことを言うつもりだったのに、感情が高ぶってくるとどうしても止められなかったのだ。
今のは単なるやつあたりだと、穂香自身も自覚している。
文月丸に対して、穂実に対して。
穂香は、ふと気になって… 文月丸の顔を見ようと顔を上げた。
そこにあったのは、傷ついたのを隠すような悲し気な顔。穂香は喉の奥がひゅっとなるのを感じた。
自分はまた、やらかしてしまったのだろうか。
そう思ったら怖くなり、文月丸の顔が見れなかった。
「………ご、ごめんなさい…」
消え入りそうな、なんとか絞り出した声。
ふらふらとした足取りで、穂香はその場を離れようと歩き出す。
文月丸も、なんて声をかけるべきか分からず、引き止めることはしなかった。
そこを離れようと動く足は止まらない。その歩みはだんだんと早くなり、ついに穂香は走り出す。
そんなつもりではなかった。それでも穂香の中の自己嫌悪感は溢れて止まらない。
すでに進んでしまった融合による感情の乱れ。
山の麓まで走ってきたことろで穂香は立ち止まり、気持ちを落ち着かせようと深呼吸を繰り返す。
「穂実の感情が、混ざってた…?」
少し落ち着いた時に、ふと穂香はそう思った。
気持ちが高ぶって出た言葉の中に混ざっていた穂実の本心。
千年たって、ようやく出てきた本心。
「遅いんじゃないの? もうっ……」
木にもたれかかり、そのままずるずると座り込む。
穂香は穂実のことを憎んではいない。憎む気にはなれなかった。
可哀想、とかの憐れみの感情もない。
今あるのは、呆れ。
ただ呆れているのかといえばそうでもなく、例えるなら、恋愛相談をしてきた友人に「しょうがないなぁ」と言う時のような感情。
何をやっているんだお前は、とでも言うみたいに。
「本当に… 会ってみたいよ」
できもしないことを呟きながら、穂香は空を見上げる。
文月丸が追ってくる様子はなかったし、まだ明るかったので穂香はしばらくその場を動かなかった。
「ホノカー?」
とある小物妖に名を呼ばれた。
その小物妖の見た目はミニウサギ。たとえその姿を見られたとしても話しださなければ大丈夫だろう。だってまんまミニウサギ。
穂香を心配して、普通なら絶対に下山しないのに下りてきた。
夏だけどそのふわりとした毛並みは心地良く、穂香は下りてきてくれたことに感謝しながら優しく撫でる。
ゆきちゃんに負けず劣らずの白い毛並み。いつまでも撫でていられる気がした。
「白雪…」
「んー?」
「ううん、キミに名を付けるとしたら白雪がいいなーって思って」
何か、別のことを考えていたい。
何でもいい。さっきのことに関連しない別の何かであるのなら。
だから穂香に、そんなつもりは全くなかった。
「ボク、白雪ー? わーい!」
「ん?」
穂香の右手首、小物妖の右前脚が、それぞれぽっと小さく光る。
またやってしまったと穂香は思った。ネロの時だって黒羽にさんざん言われたのに、と。
穂香ほどの高霊力の持ち主だと、本人の意志とは無関係にそれは行われてしまうのだ。
「もしかして… また、契約しちゃった…?」
嫌だったわけではないけど、そんなことしている場合ではないだろうとうなだれる。
妖ウサギ、もとい白雪の右前脚には、契約をした証の印が浮き出ていた。
まぁ、仕方ないかと自身に対して呆れ笑いをしながら、穂香は白雪の頭を撫でる。
心が安らぎ、だいぶ落ち着きを取り戻した。
「……もふもふ最高だね」
暑さはなく、心地良さしか感じないもふもふは最高だと、穂香は白雪をぎゅっと抱きしめる。
また何か言われるかもしれないが、これもまた偶然ではない気がした。
今思えばネロの時も、何かきっかけがあったように思う。
「…きっかけ、は……」
ネロの時、白雪の時。…本当に、偶然だろうか。
違う所と同じ所。それぞれを探した。
~*~
夜。
帰ってきてから穂香はなるべく普通にすごした。
夕ご飯を食べて、家族で話をして、お風呂に入って。白雪のことだけ、知り合いに貰ったと言って紹介した。孝平が気づいたようだったけど気にしないことにした。
今は家族みんな寝て、とても静かだった。
穂香は白雪を膝の上に乗せて、撫でながらゆきちゃんを待っている。
不思議と目は冴えていて眠くはなかった。
ちりん、と部屋の中に響いた鈴の音。
来たのだと、直感した。
「こんばんは」
「…教えて、くれるの?」
「もちろん」
ゆきちゃんは穂香の顔を見て話し始めた。
融合を何とかする方法。
それは夢を利用するということだった。
幻魔蝶の能力で作り出す夢を媒介にして、穂実に会うというのだ。
ただの生まれかわりならば、そんなことはできない。
これは同じ魂で、異なる霊力を持つ穂香と穂実だから可能なことらしかった。
「口では簡単に言えるけれど、とても難しい術なの。穂香ちゃんの精神にも、ネロにも、ものすごく負担がかかるし、場合によっては何かしらの症状が残る可能性もある。オススメはしないけれど、これしかないと思ってる」
「また、ネロに頑張らせちゃうんだねー」
つい、昨日のことだ。ネロが弱ってしまったのは。
ひらりとネロが穂香に近づいた。
せっかく元気になったのに、また弱らせてしまうかと思うと気は重かった。穂香の中ではネロも既に「家族」なのだ。
手を出すとたまに指にとまってくれる。そんな何気ない1つの動作が、穂香には嬉しかった。
「もう一度、力を貸してください」
伝わったのか、ネロは元気よく飛びまわった。疲れちゃうんじゃないかと穂香は思ったが、どうやら今すぐやるわけではないようだった。
理由は大きく分けて2つ。
1つは一晩待って、ネロの全回復を待つため。
「場所、雪宮家にしない?」
「え、どうしてですか?」
「別に、ここでもできるんだけど、もし万が一の時、ご家族に見られてしまう可能性を考えてのことよ」
なるほど、と穂香は思った。
もし、術の影響で穂香の意識が朝になっても戻らなかったとしよう。
そんなことになれば母親はもちろん、孝平にもバレるのは確実で、穂香にとっても不味いことだった。
稀莉を関わらせることにも若干の抵抗があった穂香だが、どちらに知られることが不味いかを天秤にかけて、雪宮家で実行することを選んだ。
泊まるということにして、昼間に行って、次の日には必ず帰れるようにすると、ゆきちゃんは穂香に約束をした。
穂香はすぐに稀莉に連絡をした。まだ起きている確信があったので電話で。
穂香から事情説明を受けた稀莉は、驚きはしたが穂香の声色から真剣であることを察知し、了承した。
『本当に、大丈夫ですか? 無理してませんか?』
「これ以上、無理したくないからやるんだよ。どのみちこのままじゃ駄目だしね」
『………分かりました! 私も出来る限りの準備をして明日、待ってますね』
「一応、家に着く前にメールするね」
あらかたの準備は整った。後は明日どうなるかのみであった。
術の発動は昼間に行う。また家族への説明を考えなくては、と思った。
一方、ゆきちゃんは別のところで驚いていた。
穂香の強かさ、稀莉の理解力。
自分の知る彼女たちはこんなにてきぱきとしていただろうか。
2人のことは、4年前を最後にどうなったか分からないから心配していたのだ。
けれど今回はどうだったか。2人の成長が見られてゆきちゃんはとても嬉しかった。
「ゆきちゃん、明日、よろしくお願いします」
「えぇ、頑張りましょう」
そう言ってゆきちゃんは、穂香の部屋を出ていった。
不安はやっぱりある。怒りもちょっっっぴりある。
でも、穂香は明日、ようやく穂実に会うことが出来ると。
会ったら何を話そうか。とか、いっそのこと1発殴ってやろうかとも考えていた。




