9.貴方を想う、この気持ちに
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穂香が稀莉の家にお泊りしてから数日がたった。
その数日の間ずっと、穂香は穂積山を訪れて文月丸や他の妖たちとも交流を続けていた。
交流、といっても他愛のない話をしているだけ。そんな中で白猫を見たという妖がいたので、チャンスとばかりにそのことを話題に挙げてできる限りのことを聞き出そうとしていた。
とはいえ、姿を見ただけで面と向かってちゃんとした会話をしたことがある者がいるというわけではなく、その猫がゆきちゃんであるかどうかは分かっていない。
「またあの白猫のことか…」
「文月丸様は話したことありませんか?」
「……姿だけなら…」
「あぁ、まぁ、そうですよね」
少しバツが悪そうに、そっぽ向きながら文月丸はそう言った。
ゆきちゃん(仮)は穂積山で度々姿を見られているようだが、神出鬼没で何をやっているのかまでは知られていないらしい。
悪いことをしているわけではないようなので、文月丸もたいして気にしていなかったようだ。
でも文月丸が気にしていなかった要因は、実はもう1つある。
「確かに遠目で見ただけだったが、あの猫から知っている霊力を感じられたのじゃ」
「知っている…?」
「悪いことはしないと分かってはいるが、その者自体を知っているわけではないからな。詳しくは分からん」
人間よりも長い時を生きるのが妖。その長い時のどこかで、知る機会があっても何らおかしくない。
申し訳なさそうにしている文月丸の手に穂香はそっと触れる。気にする必要はないと伝えるためだ。
穂香は文月丸にそんな顔はしてほしくなかった。申し訳なさそうな顔や、悲しそうな顔を見ると胸が締め付けられる気がしていた。
穂実の記憶の中の文月丸はとても優しい笑みを浮かべていた。穂香が一度も見たことのない表情だ。
いつか、いつかでいいから… 穂香は文月丸の笑った顔を見てみたかった。会うたびにその思いは強くなっていく。
その感情は本物だ。自分のものだと言い聞かせる。
あの記憶を、夢を。それらを見るたびに穂実の感情、想いが流れ込んでくるのが分かる。
分かれば分かるほど、穂香は逆に不安になっていく。今抱いている感情は本当に自分のものなのかと。
「………」
「…!」
文月丸が穂香の手をそっと握る。その表情はどこか切なく、どこか悲しい。
どうしたらいいか分からないまま、穂香はその手を受け入れていた。
文月丸の目に映っているのは自分じゃないと分かっていても、ただ単純に嬉しかった。
穂香が文月丸に抱いた感情は一目惚れに近い。けれど穂香にその自覚はあまりなかった。
恋愛経験がほとんどなかったのに加え、記憶や感情が穂実のものと混ざりかけているのが原因である。
「ホノカー! これ、ホノカにあげるのー!」
「それ、白猫さんに貰ったのー! でもボクたちには使えなーい」
「だからホノカにあげるのー!」
妖たちが穂香に渡してきたのは色や形が様々な結晶石。
穂香はそれが何なのか知っていた。先日稀莉の家で見た資料に載っていたのを覚えている。
霊力を溜め込んでおくのに適したもので、大きな術を使用する時や、お守り作成などにも使われることが多いものだった。
その白猫は、何故これを妖たちを介して渡してきたのだろうかと思った。静流が亡くなった今、ゆきちゃんはフリーの存在。その白猫がゆきちゃんであるならの話だが。
「綺麗だけど… 私に使えるかな…」
「どういう物かは知っておるようじゃな」
「まぁ、知識だけは」
とは言うが、穂香にとってこちらの世界のことはほぼほぼ素人だ。つい最近守護の術を覚えたばかり。
次に覚えようとしているのは霊力操作による気温調節のやり方。あれは日常的にかなり便利だから早く覚えたかった。
「黒羽から聞いたが、何か色々と学ぼうとしているらしいな」
「う… すみません……」
「何故謝る」
「なんとなく?」
「別によい。お前の自由だからな。じゃが… そうだな…」
少しだけ考えた後、文月丸は穂香の手から結晶石を1つだけ手に取った。
直径4センチほどある綺麗な球体の結晶石。文月丸の大きな手で包み込まれる。
何をするのかと、穂香はその様子をじっと見る。さっき言っていた、霊力を溜め込むというやつだろうか。
文月丸の手の中のそれが発光し、そして…
「……ほれ」
「えっ… もうできたんですか!?」
こんなに早いと思っていなかった穂香は、分かりやすく驚いた。
差し出された手の中にあった結晶石は、霊力を溜め込んだことでその証拠となる色がついた。見事な深緑だった。
ここまで綺麗な緑色は見たことがないと言っても過言ではなかった。それを見ていた穂香から自然と笑みがこぼれる。
その笑みを見た文月丸の手が無意識に穂香へと伸びる。もう少しで頭に触れそうという所でピタリと止まった。
文月丸は穂香に知られる前に手を引っ込める。何をしようとしたのか、自分でも分からない行動にただ戸惑うだけ。
「お前はやらぬのか?」
「霊力を送るだけでいいんですか?」
「そういえばその辺は初心者だったな」
穂香は文月丸の真似をして結晶石を1つ、空いている方の手で包み込む。
解呪の術の時と同じようにやってみたが、何故かしっくりこなかった。例えるならコップにお茶を注いでいて、止めたいのに止まらない感じだった。
術によって勝手が違うのかと穂香はあれこれ考える。すると文月丸にこつんと小突かれた。
「集中じゃ。余計なことは考えるな」
言うとおり、穂香は一旦リセットすることにした。
考えるのは石に霊力を送り、留めることだけ。雑念を掃い、手の中の石に集中する。
ちゃんとこぼさずに、定量のお茶(=霊力)を注がねば。イメージもつけたら分かりやすかった。
集中していた穂香の思考の一点に、文月丸のことが浮かんだ。
もうこれ以上、苦しまないでほしい。穂実がいた頃と同じように、とはいわないが、また幸せを感じてほしい。
――――――守りたい。
「っ…! …でき、た…」
失敗を前提としていた穂香だったが、なんとか成功できたことにホッとして大きく息を吐いた。
いつのまにか強く握っていた手のひらをそっと開く。そこにはとても綺麗な藤色の結晶石。
一点の曇りもない、清らかな存在感があった。
周りの妖たちも思わず見入っていた。この世に、こんな美しいものがあるのかと言っているかのような眼差し。
「見事な藤色じゃ。…お前の魂も霊力も澄み切っている証拠じゃ。……狙われるわけじゃな」
「なんですか?」
「…なんでもない」
最後にボソリと呟いた言葉は穂香には聞こえなかった。
もちろん、聞こえるように言ったつもりは文月丸にはない。思わぬところで文月丸は何かの確信を得たようだった。
「じゃあこれは文月丸様に差し上げます!」
「何故そうなる」
「私が文月丸様に持っていてほしいからです」
さっき自分が貰ったからお返しの意味もある。
穂香は自身の中にある不安を悟らせないように、懸命に笑顔を作っていた。でなければ文月丸が受け取ってくれるか分からなかったからだ。
文月丸の為に何かがしたかった。けれど霊力が高いだけの自分に、一体何ができるだろうと思っているのもまた事実。
けれど、穂香がそう考えたのも一瞬のことだった。文月丸が穂香の手から結晶石を取ったことで、穂香の思考はすぐ現実に引き戻された。
文月丸がどういうつもりかは穂香には分からなかったが、泣き出したくなるほどに目尻が熱くなり嬉しさが込み上げてくる。
穂香の顔に笑みが浮かぶ。その笑みは不安を隠すための作られた笑みではなく、心の底からの嬉しさと幸福からきた柔らかい笑みだった。
それらとほぼ同時に周りの空気が震えだし、森の木々や草花たちもざわざわし始めた。
穂香の感情の高揚によって霊力が漏れ出し、その影響が周りにも出ていた。
幸せを感じれば周りにも幸福を。恐怖や悲しみは不幸を。
「わーい。森が喜んでるよー」
「ホノカの霊力気持ちいいのー」
「…どういう、意味でしょうか?」
「気にしなくてよい。悪いことではないからな」
「???」
疑問に思って聞いたがやんわりと受け流される。穂香の頭の中には余計に疑問符が浮かんだ。
分からないままだったけれど、不思議と嫌な感じはしない。
周りの妖たちの嬉しそうな顔や、文月丸の変わらない様子が穂香にそう思わせた。こんな穏やかな気持ちを感じるのは、穂香にとっては初めてだった。
「(今、ここにいるのは私だ。この景色も、音も。見て、聞いているのは私なんだ)」
彼に向けるその気持ちにも、嘘偽りなく自分の意志はきちんとあると、穂香は信じることにした。
まだ、自分の周りで起きている異変や、突きつけられた可能性に対する不安もある。けれどそれは時間をかけてでも向き合わなければいけない感情だった。
「(一番手っ取り早いのは穂実自身に聞くこと。でもすでに故人である彼女に会うだとか聞くだとかそんなこと…)」
「おい、一体何を考えておる」
「…いえ、別に……」
文月丸や黒羽のように、当時のことを知る妖が他にもいないものかと穂香は考える。
もし可能ならいろんな方面から話を聞いてみたいと思った。
そこでふと、穂香はあることを思い出した。
雪宮家で見た資料の中にあった、とある特殊な能力を持つ高位の妖のことを。
その妖は、色々と条件はあるが、故人との縁を結び直す能力を持つ妖だった。




