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VS黒羽真白 その2

 ――空気が、壊れた。


「――凍剣乱舞アイスフレア・ラプソディ


 黒羽の武装刀が、完全に共鳴した。


 氷が、泣き叫んだ。

 闘技場全体が一瞬で凍りつき、床・壁・空気そのものが悲鳴を上げる。

 無数の氷刃が、螺旋を描きながら出現する。

 それは斬撃であり、暴風であり、破壊そのものだった。


「なっ……!? 貴様、まさか――」


 五十嵐が理解する。


 ――基本的に共鳴技は一日に一度しか使えない大技。

 ――無理に使えば、使用者の身体すら壊す奥義。


 それを、黒羽は躊躇なく撃った。

 その理由は、ひとつしかない。


「瑠衣くんに、指一本でも触れるなら――」


 黒羽の声が、氷の嵐に溶ける。


「――お前は、ここで死ぬ」


 氷刃の螺旋が、五十嵐を飲み込んだ。


「ぐあああああああっ!!」


 五十嵐は武装刀を前に構え、全力で防御する。

 だが、防ぎきれない。

 氷の斬撃が、防御の隙間を裂き、腕を、脚を、胴を切り刻む。

 皮膚が裂け、血が凍りつき、衝撃が骨にまで響く。


 それでも――倒れない。


「……くっ……!」


 五十嵐は膝をつきながらも、強引に立ち上がった。


 ――防御していなければ、即死だった。


 息を荒くしながら、五十嵐は黒羽を見る。

 黒羽は、立っていた。

 だが、その身体は限界を超えていた。

 共鳴の反動で、氷が彼女自身を蝕み始めている。

 指先が震え、呼吸は乱れ、視界も揺れている。


 それでも――


「瑠衣くんはね……」


 黒羽は、微笑んだ。

 だがそれは、いつもの無邪気な笑顔ではない。


「私が、ようやく見つけた――ご主人様なの」


 五十嵐の目が見開かれる。


「それを殺すというなら……」


 黒羽は、一瞬で距離を詰めた。

 踏み込みは、これまでで最速。

 理性も制御も捨てた、純粋な執着の一撃。


「――絶対に、許さない」


 振り下ろされる武装刀。


 その瞬間――


 ヒュンッ、と乾いた音。

 黒羽の背中に、衝撃が走った。


「あ……?」


 次の瞬間、灼けるような痛み。

 背中に突き立ったのは――矢。


「っ……あ、ああああ……!!」


 悲鳴が上がる。

 南野の放った援護射撃だった。

 矢には、明らかに毒が塗られている。


 これまでの疲労。

 奥義の反動。

 そして、この一撃。


 黒羽は、躱すことができなかった。

 視界が歪み、平衡感覚が崩れる。


「五十嵐上官! 今です!!」


 南野の声。

 五十嵐は即座に態勢を立て直し、拳を振り抜いた。


 ――重い。


 骨まで響く、全力の右フック。


「がっ――」


 黒羽の身体が宙を舞い、石ころのように地面へと転がる。

 ごろごろと転がり、壁にぶつかり、止まる。


「う……あ……」


 起き上がれない。

 瑠衣との戦いで、すでに限界だった。

 そこへ奥義。

 さらに毒矢。

 身体は、完全に悲鳴を上げていた。

 それでも――

 その瞳は、まだ死んでいなかった。

 冷たい石床に、顔を伏せたまま。

 背中に突き立った矢が、動くたびに肉を抉る。

 呼吸をするだけで、肺が軋む。


 五十嵐は、そんな黒羽を見下ろしていた。

 勝者の余裕すらない、ただ冷え切った視線。


「……まさか、まだ共鳴できるとは思わなかったが」


 淡々とした声。


「だが、それもここまでだ」


 黒羽の身体が、びくりと震えた。

 五十嵐は、ゆっくりと足を進める。

 そして――黒羽の背中に突き刺さった矢を、靴底で踏みつけた。


「いっ――!? い、あああああっ!!」


 悲鳴が闘技場に響く。

 反射的に身を捩ろうとするが、力が入らない。

 矢が、さらに深く食い込む。


 五十嵐は表情ひとつ変えない。

 まるで、壊れた道具を試すかのように、何度も、何度も踏みつける。


「五十嵐上官……それ以上は……」


 南野が、声を上げた。

 だが、五十嵐は止まらない。


「まだだ」


 低く、抑えた声。


「こんなものでは足りない」


 さらに強く、踏みつける。


「っ……ああああああっ!!」


 黒羽の喉から、もはや声とも呼べない音が漏れる。

 指が床を掻くが、爪が剥がれるだけだった。


「こいつは何度も規則を破った()()()


 五十嵐は言い聞かせるように、続ける。


「悪党には、苦しみをわからせなければならない」


 踏みつける。

 蹴り飛ばす。

 また踏みつける。


「このまま、楽に死なせてやるなど……意味がないだろう?」


 その光景を見ていたのは、南野だけではなかった。

 かつて黒羽に恐怖し、恨みを抱いていた隊員たちですら、息を呑んでいた。


 ――これは、処刑ではない。

 ――拷問だ。


 それが、一時間以上続いた。

 黒羽は、もはや抵抗できなかった。

 悲鳴も、呻きも、次第に小さくなっていく。


「……う……ぁ……」


 視界は白く霞み、音も遠い。

 身体のどこが痛いのかすら、もう分からない。

 五十嵐は、ようやく足を止めた。


「……本当は、もっと痛めつけてから殺すつもりだったが」


 武装刀を構えながら、淡々と告げる。


「これから予定がある。このまま止めを刺すぞ」


 その瞬間だった。


 ――ズ……ン……。


 低く、腹の底に沈み込むような振動が、闘技場の床を揺らした。


「……?」


 五十嵐が、僅かに眉をひそめる。


 次の瞬間。


 ――ズドン。

 ――ズドン。


 今度ははっきりとした、重い衝撃音。

 地面の奥から、何か巨大なものが歩いてくるような、嫌な規則性を伴った振動だった。

 瓦礫が、かすかに跳ねる。

 床に広がった血だまりが、小さく波打つ。

 闘技場の空気が、一変した。


「……なんだ?」


 五十嵐が低く呟く。


 次の瞬間、入口方向から、切り裂くような絶叫が響いた。


「幻影だ!! 幻影の集団だ!!」


 その声は、明らかに恐慌に染まっていた。


「なんだとっ!?」


 五十嵐が声を荒げる。


「数は!? 勢力はどうした!」


「そ、その数……優に百は越えています!!」


 門番の声が裏返る。


「中級だけでなく……上級幻影も、複数確認!!」


 一瞬、闘技場が静まり返った。


 誰もが理解する。

 ――これは“偶発的な遭遇”ではない。


「《幻影クラスター》か……」


 五十嵐が、舌打ちする。


「……ちっ」


 その判断は、早かった。


「撤退だ」


 迷いのない声。


「この数は想定外だ。一度引く。隊を組み直してから、再度殲滅する」


「五十嵐上官……!」


 南野が、思わず声を上げる。


「では……黒羽真白は……?」


 五十嵐は、その問いにすぐには答えなかった。

 ただ一瞬だけ、視線を落とす。

 床に伏した黒羽真白。

 血と泥と涙に塗れ、かつて“序列第3位”と恐れられた面影は、もうどこにもない。

 呼吸は浅く、指先すら動かせない。

 《《壊れた人形のような姿》》。


「……このまま放置だ」


 冷え切った声が、闘技場に落ちる。


「どうせ動けない。このまま幻影の餌食になるのがお似合いだ」


 その言葉に、何の感情もなかった。

 五十嵐は背を向ける。


「……皆、帰るぞ」


 次々と足音が遠ざかっていく。

 誰一人、振り返らない。

 闘技場に残されたのは――黒羽真白、ただ一人だった。


「……に……げ……なきゃ……」


 掠れた声。

 黒羽は、必死に指先を伸ばす。

 床を掻くように、前へ進もうとする。


 だが――


 身体が、まったく言うことを聞かなかった。


 腕に力を入れようとした瞬間、背中の矢が肉を抉り、視界が白く弾ける。

 呼吸をするだけで、肺が悲鳴を上げる。


「……あ……」


 動けない。

 逃げられない。

 その事実が、じわじわと現実味を帯びてくる。


 地響きは、さらに大きくなっていた。


 ――ズドン。

 ――ズドン。


 近い。

 確実に、近づいている。

 闘技場の影が、不自然に揺らいだ。


 黒い靄。

 歪んだ輪郭。

 異様に長い腕と、爪。


 幻影たちが、闘技場へと侵入してくる。


「……あ……は……」


 黒羽の口から、力のない笑いが漏れた。

 ああ、そうか。

 自分は――このまま、死ぬのか。


「自業……自得……って、わけね……」


 思えば、やりたい放題の人生だった。


 人を弄び、壊し、殺して。

 恐怖され、憎まれ、嫌われて。


 それでいいと思っていた。

 それが楽しかった。

 この世に、未練なんて――なかった。

 だから、死ぬことも怖くなかった。


 ……はずだった。


 ――なのに。


 ――ふと、脳裏に浮かんだ顔があった。


 義影瑠衣。


 不器用で、無愛想で、でも底知れない光を纏った男。


 たった一度。

 ほんの短い時間だった。

 けれど黒羽真白は、戦いの中で確かに感じ取ってしまったのだ。


 ――ああ、この人だ。

 ずっと、ずっと探していた“理想のご主人様”だ、と。


 黒羽には、かつて夢見ていた“主従の形”があった。

 強くて、気高くて、そして――誰よりも優しい人。


 力だけでもダメだった。

 偉さだけでもダメだった。

 優しさだけでも、もちろんダメだった。


 すべてを兼ね備えた存在。

 自分の全てを差し出してもいいと、自然と思えるような――。


 それは、幼い頃に一瞬だけ夢見た“誰か”の影であり、

 誰にも言わず、誰にも求めず、心の奥に閉じ込めてきた願いだった。

 自分はきっと、そんな存在には一生巡り会えない。

 だから、壊して、殺して、笑っていればいい。

 そう思っていた。


 ――なのに。


 義影瑠衣は、黒羽を本気で殺しに来た。

 迷いなく、怒りも冷たさも抱えたまま、彼女の刃を正面から受け止め、叩き伏せた。

 なのに――最後の最後に、命を奪わなかった。


 なぜか。


 そこには、確かに“優しさ”があったからだ。


 強く、気高く、優しい。

 まるで、自分の理想像をそのまま具現化したような存在だった。

 狂気の中でしか愛を知らなかった黒羽真白が、

 初めて、“この人なら、全てを預けられる”と思えた。


 ――だから、惹かれた。


 たとえ名前もろくに知らず、言葉を交わさずとも、

 黒羽の心は、もう奪われていたのだ。


「……るい……くん……」


 その名を呟いた瞬間、胸が締め付けられる。


 苦しい。

 息が、詰まる。


 ようやく見つけた、ご主人様。

 ようやく、心を預けたいと思えた人。


 ――未練が、できてしまった。


 黒羽は、初めて気づいた。


 死にたくない。


 死んだら、瑠衣に会えなくなる。

 もう二度と、声を聞くこともできない。

 話すことも、笑うことも。


 それに――


 五十嵐は、瑠衣も殺すと言っていた。

 そんな未来、絶対に許せない。

 なのに。

 身体は、動かない。

 幻影は、すぐそこまで来ている。


「……あは……あはは……」


 笑っているつもりだった。

 でも。

 頬を、何かが伝う。


 ――温かい。


 気づいた時には、大粒の涙が、床にぽたぽたと落ちていた。


 ――泣くなんて、いつぶりだろう。


 もう二度と泣かないと思っていた。

 感情なんて、必要ないと思っていた。

 なのに。


「……やだ……」


 声が、震える。


「……死にたく……ない……」


 もっと、瑠衣くんと話したい。

 もっと、一緒にいたい。

 もっと、遊びたい。

 そんな、年頃の少女のような願いが、胸を締め付ける。

 叶わないと分かっているからこそ、苦しい。


「……あ……」


 目の前に、幻影が立っていた。

 巨大な影が、覆いかぶさる。

 鋭い爪が、ゆっくりと振り上げられる。


 その瞬間――


 黒羽真白の脳裏に、これまでの人生が、走馬灯のように流れた。


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