その2
氷と狂気が、闘技場を支配し始めていた。
瑠衣は《夜叉髑髏》の黒鎧を纏い、漆黒の剣を握って立つ。
対するは、メイド服姿の狂戦士――黒羽 真白。
共鳴した彼女の武装刀からは、凍てつく気配が漏れ出していた。
その戦場には、すでに常人の入り込む余地などなかった。
「ふふっ……っははっ、あはっ、きゃははははっ!!!」
黒羽の笑い声が空に響く。
華奢な身体が宙を舞い、舞踏のように空間を駆ける。
無数の氷塊と透明の短剣が、瑠衣に向かって次々と放たれてくる。
「さあ、踊ろっかぁ♡ 命のリズムでぇっ☆」
舞う氷の刃。踏み鳴らされる殺意。
だが――
「遅い」
夜叉髑髏を握った瑠衣の動きは、まさに風のようだった。
透明な短剣を見切り、切り裂き、突き進む。
足元から這い寄る凍気を踏み割り、黒羽の間合いへと踏み込む。
ゴッ!!
「っが……!?」
今度は黒羽の身体が吹き飛んだ。
彼女は宙で一回転しながら、地面を滑って止まった。
呼吸が乱れ、頬には傷が走っている。
だが、その目には……恐れではなく、陶酔。
「はぁ、はぁっ……やだぁ、今の、最高だった……♡」
口の端から血が垂れているというのに、その瞳は星のように輝いていた。
「ねぇねぇ、もっと見せてよ? ねぇっ、どこまでやれるの!? その本気、全部、私にぶつけて!!」
(……この女、どこまでいっても“本物”だ)
瑠衣は静かに、再び剣を構え直す。
黒羽 真白――
序列第3位の名は伊達ではなかった。
彼女は確かに、異常で、危険で、だが――底知れぬ。
それが、義影瑠衣という“かつて最凶の敵”だった者に、戦闘の中で湧き上がる、明確な感情だった。
(もっと見てみたい。この女が、どこまで“本気”で俺に牙を剥いてくるのかを――)
「なら、望み通り相手をしてやるよ」
その言葉に、黒羽がまた笑う。
「いいねぇ♡ じゃあぁ……こっちも、ちょーっとだけ、本気出しちゃおっかな♡」
そう言った次の瞬間、黒羽の気配が跳ね上がる。
風が鳴った。
闘技場の温度が、一気に下がる。
「共鳴・第二段階。いっくよぉ~~っ!!」
黒羽が跳び、空中で回転しながら武装刀を掲げる。
そしてその刀から、無数の氷の矢が放たれた。
「氷華乱舞!!」
無数の氷矢が、雨のように瑠衣を襲う。
しかし――
瑠衣の全身を包む夜叉の鎧が、全ての攻撃を弾く。
氷も、冷気も、短剣も、全てを。
「ははっ……っははっ……いいね……ほんっと、いいね……♡」
黒羽は喜々として笑い、足を地に付けぬまま滑空するように近づいてくる。
「じゃあ、これならどうっ!?」
彼女の体がぶれる。
瞬間、瑠衣の背後へと回り込んでいた。
「速い……!」
目にも留まらぬ移動。神速の突き。
が――
瑠衣は反射的に振り向き、夜叉髑髏で打ち払う。
ガッ!!
武装刀がぶつかり、黒羽が弾かれる。
「ちょっとぉ~!? さっきより速くなってんじゃないのぉ!?」
「当然だ。鎧は、単なる防御だけじゃない」
黒羽はくるくると回りながら、片手をひらひらと振った。
「んもぉ~……じゃあぁ、そろそろ最っ高の一手、見せてあげるしかないねっ♡」
ぴたりと動きを止めた黒羽が、静かに後退する。
その顔から、ふざけた色が消える。
真顔。
本物の“殺し”の顔。
「――これから出す技は、一日一回の大技。外したら私の負け」
そう呟きながら、彼女は武装刀を大きく掲げる。
刀身に冷気が集中し、空間が歪んでいく。
地面が凍り、空気が震える。
それはまるで、氷の女神が舞い降りたかのような神秘的な殺意だった。
――準備が、始まった。
そして、瑠衣はそれを――“正面から迎え撃つ”ことを決めた。
(ここで受けきって叩き潰す……それで、戦意を完全に折る)
鎧の下で、瑠衣の目が鋭く光った。
冷気が、天を穿った。
黒羽の周囲を中心に、凍てついた空気が唸りを上げるように収束していく。
闘技場の地面は音を立てて凍りつき、石造りの床には氷の花弁が咲き乱れる。
黒羽の武装刀が、淡く蒼白く輝いていた。
その姿は、もはや“人間”ではない。
――氷と殺意の権化。
「……いっくよぉ……!」
黒羽の声が、静かに空気を震わせた。
その瞬間――。
彼女が掲げた武装刀から、凄まじい冷気と魔力が解放される。
「凍剣乱舞――ッッ!!」
大気が唸り、地鳴りが起きる。
刹那、解き放たれたのは、氷の“斬撃波”――否、“氷塊の大爆発”だった。
半月状の蒼い斬撃が何重にも重なり、無数の氷の刃を巻き込んで螺旋状に迫る。
その規模はもはや一人の技とは思えぬ大質量。
氷壁が轟きながら広がり、闘技場全体を“葬る”ような気迫。
「受けてごらんなさぁいっ♡♡♡」
狂ったような声とともに、それは瑠衣へと一直線に迫った。
しかし、瑠衣は微動だにせず、その場に立っていた。
全身を漆黒の鎧《夜叉髑髏》が覆っている。
その瞳に宿るは、静かな闘志――そして、滾る興味。
(これが……黒羽 真白の“全力”か)
その破壊力、その狂気、その美しさ。
そして何より――“本気の命のぶつけ合い”という、久しぶりの実感。
(──ならば、こっちも応えねばなるまい)
瑠衣の背後に、黒い重圧が渦巻いた。
「共鳴――解放」
凍気と真逆の、重く濁った黒のオーラが爆ぜる。
瑠衣の足元から大地が割れ、濃密な重力が空間を歪ませた。
その右手が、夜叉髑髏を天へ掲げる。
氷と、黒雷と、重圧。
二つの対極が、ぶつかり合った。
――ドオォォォォンンッ!!!
爆音と共に、視界が真っ白に染まった。
閃光。
爆風。
砕け散る氷と弾け飛ぶ重力波。
観客席の結界が軋み、上空に張られた保護フィールドが赤く点滅する。
その中心にいたはずの二人の姿が、見えない。
鴉羽は叫びそうになりながら、拳を握る。
「……やったのか……!? どっちが……!?」
煙が晴れていく。
まず見えたのは、砕けた氷の残骸。
その上に倒れている――いや、崩れ落ちそうになっている影が一つ。
黒羽だった。
彼女の両足は氷に縫い付けられていたが、それはすでに砕けている。
彼女の膝ががくんと折れた。
武装刀は手から滑り落ち、カランと音を立てた。
「な、なに……が……」
うわ言のように呟いた直後――
首筋に、黒い刃がそっと触れた。
「……!」
視線を上げると、そこには黒い鎧を纏った瑠衣がいた。
表情は無い。
だが、その静かな眼差しが全てを物語っていた。
――完全勝利。
黒羽の身体が、びくりと震えた。
「そんな……わたしが……負けた……?」
しばらく、ただ呆然と立ち尽くしていた彼女は、何かに気づいたように、視線を落とした。
自分の首元に突きつけられた夜叉髑髏。
そこには“殺意”はない。
ただ、“勝者”としての意思だけがあった。
やがて、静かに、ふらりと膝をつく。
その瞬間――
「黒羽 真白、戦意喪失によりギブアップと判断。よって、勝者――義影 瑠衣」
南野の冷静な声が、闘技場に響いた。
観客席からどよめきは起こらない。
あまりにも超常的すぎる戦闘。
息を呑み、沈黙することしかできなかった。
その場にいた誰もが、ただひとつのことを理解していた。
――義影 瑠衣は、“本物”だった。
氷は砕け、静寂が闘技場を包む。
黒羽 は、何も言わずに膝をついたまま動かない。
さっきまであれほど狂ったように笑い、殺意と興奮に満ちていた彼女からは、音も気配も消えていた。
その瞳は、どこか“空っぽ”だった。
目の前の現実を受け止めきれずにいる――そんな顔。
「……そんな……まさか、私が……負ける、なんて……」
瑠衣は静かに夜叉髑髏を下ろし、背を向けた。
そして、ぽつりと――
「油断していれば、俺が負けていた可能性もあっただろう」
その言葉に、黒羽の肩がわずかに震える。
「黒羽。確かに、お前は強い。だが……その慢心こそがお前の弱点だ」
それだけを言い残し、瑠衣は一歩一歩、出口に向かって歩き始める。
その背中に、黒羽はなにも言わなかった。
いや――言葉が、出なかった。
魂を置き去りにされたように、彼女はただ、膝をついたまま動かない。
そんな瑠衣のもとへ、走り寄る影があった。
「義影っ! お前、マジですげえよ!!」
鴉羽だった。
興奮気味に両腕をバタバタさせ、満面の笑みを浮かべている。
「よりにもよって、あの黒羽上官に勝っちまうなんて……! SEU中がひっくり返るぞ!」
「……大袈裟だよ」
瑠衣は淡々とした口調で返した。
だが、その視線は一度だけ黒羽のほうへと戻る。
彼女は、まだ動かない。
「……あれはしばらく動けそうもないな」
そう言って苦笑する瑠衣に、鴉羽も肩をすくめる。
「ま、戦闘狂ってのは、勝ってる間だけ輝いてるようなもんだ。負けた時は……そりゃあ虚無にもなるさ」
と、そこへ――南野が音もなく近づいてきた。
「お疲れ様でした。お二人とも」
眼鏡を直しながら、変わらぬ無表情。
「まさか、黒羽上官を倒してしまうとは……私も予想していませんでした。このおかげで、この後の処理が楽にな――いえ、なんでもありません」
「ん?」
瑠衣が僅かに眉をひそめる。
南野はすぐに目線を逸らし、首を横に振った。
「黒羽上官のケアはこちらで対応いたします。お二人はどうぞお帰りください」
どこか急かすような声だった。
「……了解した」
それ以上は追及せず、瑠衣と鴉羽は闘技場を後にする。
◇ ◇ ◇
冷えた空気が消え、夜風が心地よく肌を撫でる。
闘技場を出た二人は、人気のない中庭を通りながら、さきほどの死闘を振り返っていた。
「……なあ、南野上官の様子、なんか妙じゃなかったか?」
鴉羽が、口元に手を当てて小声で言う。
「ああ、何かを隠してる雰囲気だったな」
「だろ!? あの人、ああ見えて昔から冷静で頭切れるんだ。でも今日のは――明らかに焦ってた」
「……考えすぎかもしれないが」
瑠衣は足を止め、少しだけ眉をひそめる。
「……いや、まさかとは思うが……」
その時だった。
コツ、コツ、コツ……。
乾いた足音が、夜風の中に溶け込みながら、遠くから近づいてくる。
「ん? なんだ……人影?」
鴉羽が視線を向けたその瞬間、その表情が凍り付いた。
「……あ、あああ……」
「どうした?」
「な、ななななんでこんなところに……五十嵐上官が……!?」
その名を聞いた途端、空気が張り詰める。
夜の中庭を悠然と歩いてくる、鬼面の少女。
SEU序列第4位、《規律番》――五十嵐 桃。
その圧だけで、場の温度が数度下がった気がした。
「まずい、逃げるぞ!」
鴉羽が瑠衣の首根っこを掴んで物陰へ引きずり込む。
五十嵐はまっすぐ闘技場の方へと向かっており、こちらには気づいていない。
だが、その背筋から発せられる“気配”は尋常ではなかった。
圧倒的な力の存在。
そして、なにより――“怒り”。
「……なんで、あの人が……?」
鴉羽の声が震えていた。
「忘れ物って顔じゃなかったな」
瑠衣もまた、五十嵐の姿を見つめながら呟く。
その時、不意に思い出される言葉があった。
薬師寺の、あの何気ない会話。
『──桃ちゃんなんて、もうブチ切れ寸前やで?』
『真白ちゃんって隊でも相当手ぇ焼いとんねん。やることえぐいし、噂も真っ黒や。特に……《《桃ちゃん》》なんて、もう限界来とるらしいわ』
『SEUの規律番や。序列第4位の鬼教官って呼ばれとる。あの子の前でヘマしたら、ホンマに処されるからな……』
そして、最後に――
『……せやから、オレは思うねん』
『──近いうちに、なんか嫌なことが起きる気ぃしてしゃあないんや』
(……まさかな)
ふと、そんな言葉が脳裏をよぎる。
黒羽の敗北が、規律を重んじる誰かにとって“引き金”になるようなことは――あるのだろうか?
(……いや、考えすぎか)
確かに南野は少し焦っていた。
五十嵐が来たのも偶然ではないかもしれない。
だが、だからといって結びつけるほどの材料があるわけでもない。
予感というには薄く、憶測というには早すぎる。
それでも――胸の奥に、小さな違和感の種だけは、確かに残っていた。
その種が根を張るかどうかは、まだ分からない。
きっと今は、風が吹いたような、ただの気のせい。
瑠衣は静かに視線を落とし、呼吸を整えた。
「……行こう。今日のことは、今日のことだ」
「そ、そうだな! とりあえず今日はパーティだなっ! ほら、祝勝会、祝勝会!」
無理やり元気を出す鴉羽に、瑠衣は小さく笑いをこぼした。
気のせいだろう――と、自分に言い聞かせるように。
闇が深くなる中、二人はゆっくりとスラムの拠点へと戻っていった。




