配属、そして別れ
――その後。
模擬幻影を討伐した瑠衣は、残る座学を終えるべく、異常な集中力で学習に取り組んだ。
本来なら1ヶ月はかかるカリキュラムだが、昼は講義、夜は星風の補習という過密スケジュールでこなし、わずか1週間で合格。
不眠に近い状態でも一切の弱音を吐かず、星風はその血気迫る姿に圧倒され、同時にどこか心配も感じていた。
こうした努力の甲斐もあり、瑠衣は、入隊後1週間にして正式なSEU隊員として登録された。
登録と同時に配布されるのは、SEUの軍服、そして任務用の小型端末。
それは同時に、「これから本物の戦場に立たされる」という覚悟の象徴でもあった。
SEUは全国に拠点を持ち、本拠地は天之都の浮遊要塞にある。
更に本拠地内の中央司令室からの一元管理によって、幻影出現の報告が入り次第、即時対応する。
出現位置に最も近い拠点へと通達が届き、更にそこから該当区域にいる隊員の端末へ任務が発令される仕組みだ。
任務は拒否できない。
正当な理由なき拒否・放棄は即、ペナルティ対象となり、重度であれば懲戒処分や降格、強制退役もあり得る。
「厳格だが、合理的」──それがSEUという組織の現実。
現在、瑠衣は“正式隊員”ではあるが、序列は未登録のランク外。
戦力としての価値を証明し、序列入りするには、地道に任務をこなして実績を積むしかない。
◇
最初の任務通知は、意外な場所から届いた。
そしてその配属先は──“スラム”
それは天之都と大商丁の中間に位置する、かつては商業と交流の中心地の1つだった都市。
しかし、数年前の幻影襲撃によって街は壊滅。SEUによって殆ど討伐はしたものの幻影による土地の腐食により復興もうまく進まず、皇国政府も手を引いた。
今や犯罪者・密輸屋・幻影残党までが集まる、無法地帯として皇国民からは恐れられている。
通常、SEUでもこの地域への配属は最低でもトリプルナンバー以上の者が複数名で派遣されるレベルの危険区域。
新人が赴任するなど、前代未聞だった。
瑠衣の通達を確認した星風は、目を疑う。
「こ、これ……間違いじゃないですか? 義影さん、ここは……!」
しかし、瑠衣は淡々と端末を見つめたまま、驚いた様子も見せなかった。
──任務通達:義影 瑠衣
任務種別:定点調査および異常兆候監視
配属先:スラム
備考:通達時刻より24時間以内に指定拠点へ移動し、伝令を待つように。
※任務拒否不可。違反時は懲戒対象。
「……これは、どう考えてもおかしいです!」
星風は苦悶の声を漏らした。彼女の端末でも念のため確認したが、間違いなく“義影瑠衣”の名前が記されている。
「新人を、しかもたった一人で、こんな危険区域に……っ! 上層部は何を考えているんですか!」
だが、瑠衣は星風の憤りを受け止めるように一度だけ彼女の方を見やると、小さく笑った。
「星風、大丈夫だ。上層部にはきっと何か、思惑があるんだろう」
「……っ、そんな、軽く言わないでくださいよ!」
星風の声が震えていた。怒りよりも、不安と恐怖が混じった震えだった。
瑠衣がどれほど強いかは、彼女が一番知っている。だがそれでも、スラムは別格だ。隊員の死亡率も全国で最も高い。
しかし瑠衣はそんな事を気にする素振りすら見せずに、軍服の袖をまくり上げ、武装刀の留め具を確認する。
「ま、心配するな。というかその前に、お前こそ自分の心配をした方がいいんじゃないか?」
「えっ?」
「この前みたいなピエロがまた来たら、腰抜かすどころじゃ済まないだろ」
「やややめてくださいよぉ! あんなの、ほんとにトラウマなんですからっ!」
星風がバタバタと手を振って全力で否定する姿に、瑠衣は小さく吹き出す。
「冗談だよ。……というか、そもそもなんでお前はここに入ったんだ? 戦闘は苦手なんだろ?」
「それは……」
星風は、口をつぐんだ。
──いつも明るく、どこか天然で、ふわふわとした雰囲気をまとった少女。
だがその笑顔の裏に、何かを押し殺すような影があることに、瑠衣は薄々気づいていた。
「……妹の為なんです」
ぽつりと漏らされた言葉に、瑠衣の表情がわずかに動く。
「妹がいたのか」
「はい。私より三つ下で……。小さいころから、体がすごく弱くて。
歩くのも、ずっと苦労してました。外になんて、出たこともなかったんです」
星風の声には、過去を思い出す痛みが滲んでいた。
それでも彼女は、ゆっくりと語り始める。
「その病気は、難治性の膠原病でまともな治療法もなくて……対症療法で様子を見るしかありませんでした。
でも、数年前にようやく新しい治療薬が開発されて、妹はその薬を使うようになったんです。
効果は出ました。少しずつ体も元気になって……今では、なんとか歩けるまでに回復したんです」
「……それは、よかったな」
「はい、でも……その薬が、すごく高いんです。びっくりするぐらい」
星風は俯き、ぎゅっと両手を握りしめた。
「一生、飲み続ける必要があるって言われました。
当時の私は、飲食店でアルバイトをしていたけど……貯金なんてすぐ底をつきました。
親もいないし、頼る人もいない。妹の治療費のために、働かなきゃいけないのに、どうしても足りなくて」
「……その親は?」
「私たちがまだ小さいときに、いなくなりました。理由も分からないまま……。
それからは、妹と一緒に孤児院で育ちました」
その声は、どこか無理に明るさを保とうとする響きがあった。
だが、目元には――かつて乗り越えてきた苦しみの色が、確かに宿っていた。
しばしの沈黙のあと、星風がぽつりと口を開いた。
「……夜の仕事も、考えたことがありました」
「……そうか」
「でもそんな時、アルバイト先に、薬師寺上官が現れたんです」
「薬師寺? あの序列2位の?」
星風はこくりと頷く。
「ええ。両隣に女性を連れてて、たぶん、飲み歩いてたんだと思います。
すごく酔ってて……初対面の私に、いきなりナンパしてきたんですよ。隣に女の人が二人もいるのに」
「想像できるな、あいつなら」
瑠衣は思わず苦笑する。あの軽薄そうな男の言動には心底納得がいった。
「私は、もちろん断りました。でも、上官は何度も話しかけてきて……しつこいくらいに」
「うん……だろうな」
「でも、何度目かの会話で……ふと、言ったんです。『SEUに入れば、食うには困らんのやで』って」
「それで、入隊を?」
星風は、目を伏せながら頷いた。
「……まさか、と思いました。でも、藁にもすがる思いだったんです。
どうしてもお金が必要でした。妹を、守るために。だから私……SEUに入る事を目標にしました」
言葉の端々に、必死の想いが滲んでいた。
彼女のあの明るさは、ただの天性ではなく──
“苦しみの中で、それでも笑おうとする強さ”だったのだ。
そして次に、星風はその手の甲を見せた。
「そのあと素紋適格試験に合格して、新人類になりました」
そこには、小さな紋章が刻まれていた。
それは、SEUに所属する者としての資格であり、同時に──妹の未来を守るために背負った決意の証でもあった。
彼女の事だ、計り知れないほどの努力と苦労を重ねたのだろう。
(──何かを守るために戦う者は、強い)
瑠衣は、胸の奥で静かにそう呟いた。
星風の中には、確かに“戦う理由”があった。
以前、瑠衣は星風に対し、戦力としては不十分という評価を下した。
勿論、今の星風にはとてもじゃないか混血新人類と渡り合える力はない。
だが――
(戦力としてはまだまだ未熟だが――折れない理由を持つ者は、いずれ必ず強くなる)
「妹には言ったのか?」
すると、星風は首を横に振った。
「言っていません。SEUに私が入ってるって言ったらきっとあの子心配しますから。それに治療費の事も、難病だから特別に補助が出るといって無料と伝えてあります。もし、治療費が高額だって知ったらきっと治療を拒否しますから」
「……そうか」
星風の声は、どこか寂しげだった。
それでもその横顔には、揺るがぬ覚悟のようなものが滲んでいた。
「妹には……ずっと嘘をついてますけど、後悔はしてません。
もし、私がここでちゃんと戦えて、稼げたら……あの子は、普通の人生を歩めるかもしれないから」
瑠衣はしばらく黙っていたが、ふと何かを確かめるように言葉を投げかけた。
「……お前は、怖くないのか。死ぬかもしれないってことに」
「……怖いです」
即答だった。
「怖いに決まってます。幻影なんて、本当は見たくもないし、戦いたくもないです。
この間だって……怖くて、身体が動かなかった。恥ずかしいくらいに」
ふと、視線が瑠衣の方に向けられる。
迷いのない、まっすぐな目だった。
「でも……あのとき、義影さんが来てくれたじゃないですか。
森園さんが殺されて、鷹野さんも倒されて、私が殺されそうになった時……義影さんが、助けてくれた。
あの瞬間、ああ……私も、誰かを守れる人間になりたいって、思ったんです」
そして、ゆっくりと頭を下げた。
「だから、あの時は本当に……ありがとうございました」
「あれは俺の都合だ」
「都合?」
「お前を助けたのは、別にお前のためじゃない。俺が勝手にやったことだ。だから感謝は不要だ」
つっけんどんに、そう返されても、星風の表情は崩れなかった。
「ふふっ……でも、私は感謝してます。あの時の義影さんの背中、すっごくかっこよかったですから」
「……そうか」
瑠衣はそう言って、そっぽを向く。
(かっこよかった、ね……。だが俺は、お前らが知らないほど……既に汚れてる)
心の奥で呟いたが、口には出さなかった。
しばらくの沈黙のあと、星風がふわっとした笑顔を浮かべる。
「でもやっぱり……不思議ですね。義影さんって、冷たそうに見えて、優しいです」
「優しくなんてないぞ。冷たくて、ひねくれてて、人に感謝されるのが一番苦手だ」
「そういうところが、優しいんですって」
悪戯っぽく笑う彼女に、瑠衣は頭を抱えそうになった。
「……お前、ほんと面倒な奴だな」
「えへへ」
その屈託ない笑みを見て、ふと、瑠衣の中に小さな感情が芽生えた。
(守るべき存在、か)
自分は、ずっと誰のためにも戦ってこなかった。
主君の命令に従い、ただ破壊と殺戮を繰り返してきた。
それが“正義”だと信じ込まされていた──。
けれど今、星風という存在を前にして、瑠衣の中の何かが、静かに揺れていた。
◇
空は白み始めていた。
浮遊要塞の発着デッキには、冷たい風が吹き抜けている。
その場所に、ふたりの姿があった。
瑠衣は、いつもと変わらぬ表情で、輸送機の昇降口前に立っていた。
腰には武装刀、端末は胸元のホルダーに収められている。
軍服の黒が、薄明かりの中で静かに揺れていた。
一方で、星風は、どこか落ち着かない様子でその傍に立っていた。
肩からかけた荷物を握る手に力がこもっている。
「ほんとに、行っちゃうんですね。スラムなんて……あんな危ない場所に」
星風の声は、少しだけ掠れていた。
心配しているのは“任務”ではない。
“瑠衣が、ここからいなくなってしまう”という事実が、彼女の胸を締めつけていた。
「まぁ命令だからな。断る理由もない」
瑠衣は短くそう答えると、星風の方へ視線を向けた。
「……別に、特別なことじゃない。お前だって今日からまた天之都での任務だろ?」
「そうですけど……」
星風は言葉を詰まらせた。
口を開けば、余計なことまで言ってしまいそうだった。
──もっと、話したいことはある。
行かないでほしいなんて言えるはずもないけれど、せめて何か、伝えたい。
けれど、瑠衣はその沈黙を咎めることもなく、代わりに問いかける。
「……不安か?」
「えっ?」
「任務の事だ」
「あ……はい、まあ。少しだけ」
星風は苦笑しながら頷いた。
けれど本当は、任務よりもこの“別れの時間”の方がずっと不安だった。
瑠衣と過ごした時間は、あまりに濃かった。
幻影に襲われ、絶望を知り、それでも救われて。
あの夜の列車で、星風の中にあった何かは確かに変わったのだ。
「……えっと、その……」
言葉がうまく出ない。
けれど、何か言わなきゃ、きっと後悔する。
「……気をつけてくださいね」
「何をだ?」
「全部、です。スラムだって、何があるか分かりませんし……」
「無茶はしてないさ。やるべきことをやってるだけだ」
瑠衣はさらりと答える。
その静けさが、逆に胸に染みた。
「……そうですけど、でも……」
そこで、星風はふっと目を伏せて、小さく吐息を漏らした。
「……やっぱり、寂しいです」
「寂しい?」
「はい。だって……まだ、ちゃんとお礼もできていませんし。
私、もっとちゃんとお話ししたかったし……。それに……」
彼女はほんの少しだけ、瑠衣の服の袖をつまんだ。
「……義影さんと一緒にいると、不思議と怖くなくなるんです」
それは、星風の本音だった。
どれだけ幻影が怖くても、あの人が隣にいたら、きっと大丈夫だと思える。
そんな存在だった。
だが、瑠衣は優しく、その袖から彼女の手をそっと離した。
「……星風」
「はい?」
瑠衣は一瞬だけ、何かを迷うように視線を落とした。
だがすぐに、懐へと手を入れる。
取り出したのは――小さな紐で結ばれた、掌に収まるほどの簡素なお守りだった。
「……これ、持ってろ」
「え……?」
差し出されたそれを、星風は戸惑いながら受け取る。
布に包まれたそれは、どこか不思議な温もりを帯びていた。
「ただのお守りだ。……まあ、少しだけ細工はしてある」
瑠衣は淡々とした口調で言う。
「もし、本当にどうしようもなくなったら――それを握って、強く念じろ」
「念じる……?」
「ああ」
短く頷く。
「お前の“生きたい”って意思が乗れば……俺に届く」
その言葉に、星風の呼吸が止まる。
「……届くって……」
「距離は関係ない。どこにいようがな」
あまりにも当然のように言い切る瑠衣。
それが、どれほど異常で――どれほど心強いことなのか。
星風は理解するまでに、数秒を要した。
「……でも、それって……」
言いかけて、言葉が続かない。
こんなものを渡すということは――彼が、それだけ自分を気にかけてくれている証だから。
「勘違いするな」
瑠衣は視線を逸らしたまま、ぶっきらぼうに言う。
「ただの保険だ。お前が死なれると、後味が悪いからな」
いつもの調子。
けれど、その声音にはわずかな優しさが滲んでいた。
「……はい」
星風は、ぎゅっとお守りを握りしめる。
小さなそれが、やけに重く感じた。
――でも。
それは決して、負担の重さじゃない。
繋がっているという、確かな証の重みだった。
瑠衣はそれ以上何も言わず、再び歩き出す。
そして、振り返らずに――
「《《死ぬなよ》》」
その言葉を残した。
星風は思わず、目を見開く。
「……っ、はいっ!」
喉が詰まりそうになるのを堪えて、力強く頷く。
そして――胸元に、そのお守りを大切にしまい込んだ。
まるで壊れ物を扱うように、そっと。
「義影さんも……、必ず生きて帰ってきてください。私待ってますから……」
もう彼は振り向かない。
ただ黙って、輸送機のタラップを昇っていく。
その背中を、星風はずっと、ずっと見つめていた。
やがて輸送機はゆっくりと浮上し、朝焼けの空へと飛び立っていった。
風が吹く。
あたたかくも、どこか切ない朝の風だった。
星風はその場に立ち尽くしたまま、胸に手を当てる。
そこには、確かに“繋がり”があった。
「……死ぬなよ、って……」
ぽつりと呟いたその声は、誰にも届かない。
けれど――
彼女の胸の奥で、小さなお守りが、かすかに温もりを宿していた。
――――第1章 完。
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