講義
――次の日。
淡い光が差し込む朝の教室。
瑠衣が扉を開けると、すでに何人かの隊員たちが席に着いていた。
そしてその中に、見覚えのあるふわふわ頭が――。
「……で、なんでお前がいるんだ?」
瑠衣が座る席の隣に、星風がいた。
彼女は確か、この講義はとっくに履修済みだったはずだが……。
「あ、え、えっと……復習!そう、復習ですっ。前に受けたとき、ちょっと寝ちゃった回があって~」
頬をかきながら、わざとらしく笑う星風。
「……そうなのか? 勉強熱心だな」
星風が慌てている様子に疑問を感じつつも、特に瑠衣は気に留めなかった。
「よーし、では――始めるぞ」
重厚な声とともに、教室の扉が開いた。
入ってきたのは、眼鏡をかけた初老の講師。
しかし、彼もまた軍服を着ており、SEU隊員である事が推察される。
「今日の講義は、“幻影の成り立ちと現代史”。……この国に生きる者なら、知っておかねばならんことだ。寝るなよ」
そう言って、講師は淡々と話し始めた。
◇ ◇ ◇
「――時は、新西暦2200年。今から約100年ほど前だな。
人類は“それ”に出会った。黒き霧の中から現れた、災厄の化物だ」
静まり返った教室に、講師の重々しい声が響く。
壁に設置されたホログラム投影装置が作動し、黒い霧に包まれた都市の映像が浮かび上がる。
「後に“幻影”と呼ばれるようになる奴らは、銃弾も爆弾もまるで効かなかった。
物理法則を無視し、あらゆる兵器を無効化する“邪悪な存在”。
当初は天災や異星生命体、更には、地球が自らの生態系を守るために人類を排除しようとしているのではという憶測も飛び交ったが、真相はいまだ不明のままだ」
映像には、都市機能が次々と崩壊し、人々が叫び、逃げ惑う様子が映し出される。
逃げ場を失った者たちが、黒霧に包まれた瞬間に肉塊となり、周囲に血の海ができる。
最後に残るのは、濃密な黒の靄と、腐食し崩れゆく建造物のみ。
「幻影が現れると、周囲には黒い霧が発生する。
それに触れた土地や建物は急速に腐食し、跡形もなく消えていった。
世界中が、徐々に、だが確実に“終わって”いったのだ」
映像が一瞬止まり、静寂が落ちる。
講義を受けている人達は誰も言葉を発しない。
映し出された地獄の光景は、座学とは思えないほど現実的だった。
「各国は軍を動かし、最新鋭の兵器をもってして幻影に挑んだ。
しかし結果は――惨敗だった。核兵器ですら、ほとんど効果を示さなかった。ただ、無意味に土地を汚染しただけだった」
講師が一呼吸置き、眼鏡を押し上げる。
「人類は深く絶望した。このまま滅びゆくのではないかと誰もが思った。
だが、その中で――ようやく1体の幻影が撃破される。
核兵器も効かない化け物相手にどうやって倒したのか、記録も断片的で詳細は不明だ。
だが、その死骸の中に“あるもの”が発見された」
映像が切り替わる。幻影の胸部から掘り出された、黒く硬質な結晶。
「黒影石――幻影の“核”にして、唯一の弱点。
頭部と心臓にある核を同時に破壊すれば幻影を消滅させられると判明したが……問題はその硬度だった」
様々な兵器による破壊実験の映像が映る。いずれも効果なし。
「黒影石は、常識を超えた硬度を持っていた。既存の兵器では、傷一つ付けられなかった。ダイヤモンドですら比にならない程の硬度だ。
そこで登場するのが――旧ソ連、後のウェルトス帝国の科学者たちだ」
画面に、白衣を着た研究者と、実験装置の映像が映し出される。
「彼らは黒影石を人体に埋め込み、適合させることで“異能”を発現させる技術を確立した。
これが素紋技術であり――人類初の対幻影戦力、新人類の誕生である」
画面に切り替わる映像では、ひとりの新人類が自身の2倍ほどもある巨大な幻影を素手で押し返していた。
その姿は、人間の限界を明らかに超えていた。
「新人類は圧倒的な力で幻影を討伐し、世界に希望をもたらした。
ウェルトス帝国は英雄視され、“人類の救世主国家”として世界の中心に君臨するようになる」
しかし――そこから空気が変わる。
「だがその力は、やがて“支配”の道具へと転化された」
講師の声が低く、冷たくなる。
「ウェルトス帝国は、黒影石と素紋技術を独占し、それを“商品”として他国に提供し始めた。
その対価は――国家予算百年分。支払えなければ、領土を差し出すよう要求した」
映像には、震える手で契約書にサインする各国首脳たちの姿。
隣に立つウェルトスの使者は、笑っていた。
「当然、世界中から非難が噴出した。だが、どの国もこの条件を飲むしかなかった。
拒めば幻影に国を喰われ滅ぶ。それが現実だったのだ」
全員の顔が緊張に強張る。
この事実が“歴史”ではなく、“続いている現実”であることを、皆が理解していた。
「だが――その支配体制も、長くは続かなかった」
カチリ、と映像が切り替わる。
薄暗い空。静止したような時間の中に、異様な“影”が立っていた。
人型に近い輪郭。黒い外套のような体組織。
そして、ぼやけていた輪郭は明確となり、長髪の男へと変わった。
そして――その目が、こちらを覗き込むように、確かに“意志”を帯びている。
その瞬間。
(――ッ)
瑠衣の中に、突如として湧き上がる激しい感情。
心臓の鼓動がひとつ、乱打のように跳ねた。
その存在を目にしただけで、喉奥から何か熱いものがこみ上げてくる。
拳が、無意識に震える。
怒りでも、恐怖でもない。
もっと深く、もっと暗い――“殺意”だった。
目の奥に、あの声が焼きついていた。
あの手が。あの命令が。あの不快な笑みが。
過去の記憶の底から、黒い鎖が這い出すように、胸を締めつける。
「……っ」
思わず肩を揺らしたその時。
隣に座る星風が、そっと顔を向けた。
「……義影さん? どうかしたんですか?」
彼女の声は小さく、まるで誰にも聞こえないように投げかけられた。
その目は心配と困惑が混じったような色をしていた。
「……いや、なんでもない」
だが瑠衣は、何も言わずにただ首を横に振った。
殺気が自分から漏れ出ていたことに気づき、深く息を吐いて沈める。
ここは教室。
幻影皇帝はただの映像。
それを理解していても、身体が勝手に反応してしまう。
心の奥底に染み付いた“記憶”は、消えたわけではない。
自分が何をされ、何を失ったか――そして、何を“誓った”のか。
瑠衣は再び、正面のスクリーンを見据えた。
黒き皇帝の姿。その背後に立つ、幻影軍。
「ある日、ウェルトス帝国内に“人語を操る幻影”が現れる。
後に《幻影皇帝》と呼ばれるその存在は、幻影の中でも異質な力を持っていた。
他の幻影を“喰らい”、黒影石を吸収して自己を強化し、さらには“権能”と呼ばれる特殊な力を振るう存在」
映像が切り替わる。街が一瞬で沈黙し、空間が歪むように消失する。
「幻影皇帝は、圧倒的な力でウェルトス帝国を壊滅させた。そして――更なる恐怖が生み出される」
次に映るのは、人間の姿をした幻影たち。
その瞳は、赤く輝いており、その中には先日遭遇したあのピエロもいた。
「幻影皇帝は、新人類を拉致し、黒影石と幻影の血を注入することで、新たな配下を生み出した。
それが《混血新人類》――人と幻影の狭間に堕ちた者たちだ」
その映像には、街を破壊する彼らの姿が映る。
これまでの幻影とは比にならないほど凶悪で残虐非道な者達。
かつては自分もそこにいた。
「彼らは、これまでの幻影とは桁違いの脅威だった。
人間の知恵と幻影の力を併せ持ち、冷酷かつ残虐に世界を侵食していった」
静まり返った教室には、講師の声だけが響いていた。
「そして――その脅威は、いまなお続いている」
講師の声が、ぐっと重くなる。
映像が切り替わり、世界地図が現れる。
各地に点在する赤い警告灯が、不規則に点滅していた。
「世界中の前線では、今この瞬間も――
幻影との、命を懸けた戦いが続いている。
昨日まで“国”だった場所が、今日には“黒”に呑まれているのだ」
地図上の複数の都市名が、ひとつ、またひとつと黒く染まっていく。
まるで、それが明日の自国を暗示しているかのように。
「我々は、滅びの淵に立たされている。
この国、大和皇国も例外ではないのだ。
そしてその運命を変えられるのは――この講義を受けている、君たちだ」
講義が一区切りついたところで、講師が少し間を置いた。
その隙を縫うように、教室の後方で手が上がる。
「質問、いいですか」
声を発したのは、ややがっしりとした体格の青年隊員だった。
明らかに緊張しているのが見て取れるが、その目は真剣そのものだ。
「幻影って、具体的にどのくらい強いんですか?
SEUの新人でも倒せるものなんでしょうか?」
講師は一度頷き、少しだけ口元を緩めた。
「……いい質問だ。では、少し詳しく説明しよう」
壁のスクリーンが切り替わり、幻影のシルエットと共に、四段階のランク表が表示される。
「幻影には、我々が便宜上定めた“階級”がある。
それが、下級・中級・上級、そして最上級――の四つだ」
映像が順に切り替わる。
下級幻影の姿形は、先日鷹野達を襲ったタイプと同じものだ。
「下級幻影は、最も個体数が多く、故に1種類しかいない。SEUの訓練を受けた者であれば基本的に撃破可能だ。
だがそれでも油断すれば命を落とす。現に、新人隊員が初陣で死亡した例は山ほどある」
沈黙が広がる。
講師はあえて言葉を重くした。
「しかし中級幻影ともなると、事情は変わる。
もはやSEUの“新人”には手に負えん。倒すには最低でも“トリプルナンバー”――序列入りを果たした隊員でなければ厳しい。
そして上級幻影になると序列入りした隊員でも苦戦を強いられる。ダブルナンバー、つまり序列99位以内の者でようやく撃破可能なレベルだ。
更に、現状把握している時点で中級幻影は5種類、上級幻影は4種類に分かれており、それぞれが特殊な力を持っている。例えば鎧で武装するタイプ、飛行できるタイプ、自爆するタイプなどだ。更に、人間と同じような知能を持つ幻影もおり、どれも凶悪だ」
そして、スクリーンに最後の階級が浮かび上がる。
黒い、数字の無いシルエット――“最上級”の文字が刻まれていた。
「そして……最上級幻影――これは即ち混血新人類だ」
その言葉に、教室内の空気が変わった。
誰もが息をのんだまま、スクリーンを見つめる。
「混血新人類は現在、確認されているだけで9体。それぞれが、国家を滅ぼす力を持つ。
もはやこの国で彼らと真っ向から戦えるのは、SEUの中でもシングルナンバーのみだろう」
その場にいた全員が固唾を飲んでいた。
だが、講師はさらに一言、重く言い放つ。
「――その最上級幻影である混血新人類を、“単独で撃破”した者がただ一人存在する」
ざわっ、と教室内が揺れる。
前列の隊員たちが目を見開き、互いに顔を見合わせた。
まるで神話の話でも聞かされたかのような、そんな反応だった。
「その男の名は――神凪双馬」
教室の緊張が爆発するように、一気にざわめき立つ。
「マジかよ、神凪閣下が……」
「やっぱり伝説って本当だったのか……」
「混血を、一人で……?」
小声で交わされる驚愕と賞賛の声。
まさに“英雄”の名が持つ重みだった。
だが――その名前を聞いても、瑠衣の中には何も浮かんでこなかった。
(神凪双馬……?)
瑠衣は目を伏せる。
過去の記憶をたぐるように、心の奥に問いかけるが、何の反応もない。
(思い出せない……名前すら……)
その様子を見た星風が、わずかに身を乗り出し、小声で囁いた。
「……知らないんですか? 義影さん。神凪上官は、《《この国の英雄ですよ》》」
瑠衣が視線を向けると、星風は頷いた。
「2年前――大商丁を襲った混血新人類を、たった一人で討伐したんです。
あの事件で、一気に名を轟かせました。
どんな苦境に立たされても、絶望的な状況でも、必ず生きて帰ってくる――
だから、彼についた異名は《不死身の双馬》」
その言葉には、どこか誇らしげな響きがあった。
「ファンも多くて、部隊内では皆“神凪閣下”って呼んでるんですよ。
自他共に厳しい人ですが、必ず成果を出して帰ってくるので、SEU内では尊敬と憧れの的です」
瑠衣は、それを聞いて静かに頷いた。
「なるほど……」
――混血新人類を単独撃破できる存在。
実力は、疑いようがない。
味方にそのような男がいるという事実に、わずかに胸の奥が安堵する。
しかし、同時に、胸の奥に鈍い引っかかりが残った。
“彼ですら正史では敗れた”という事実。
彼がどこで命を落としたのか――まだ瑠衣は思い出せていない。
だがそれを止めねば、貴重な戦力を――希望をまた失うことになるだろう。
ざわつく教室を一瞥しながら、講師は語気をやや強めて続けた。
「──そう。神凪双馬は、混血新人類を“単独で”倒した、唯一の新人類だ」
スクリーンには、長身の神凪が幻影を蹴散らしながら進んでいく後ろ姿が映されていた。
顔までは見えない。だが、背に背負った二振りの武装刀と、足にまで届きそうなほど長く黒いマント。そして堂々たる歩みが印象的だった。
「2年前の大商丁襲撃事件。
あの混血新人類が現れた時、現場にいた全戦力が壊滅状態に追い込まれた。
だが彼は、たった一人で最前線に立ち、討伐を成し遂げた。
その戦果により、彼はSEU序列第1位に昇格。現在、全隊員の頂点に立っている」
再び教室がざわめいた。
憧れと畏怖と、信じがたい話を聞いたような感嘆が入り混じる。
「“不死身の双馬”――そう呼ばれる所以は、戦果だけではない。
どんな任務でも必ず生きて帰還し、部下を極力死なせない。
その冷静な指揮力と判断力は、まさに現代における怪物だ。彼が味方にいるというだけで、安心感がある」
講師は、視線を全体に巡らせた。
その目に、今ここにいるすべての新人たちの顔が映っている。
「……以上が、幻影と混血新人類の現状だ。
今、君たちが置かれている立場を理解してくれたはずだ」
やや間を置き、言葉を続ける。
「この先、配属される任務では幻影との遭遇が前提になる。
戦闘経験が浅い君たちには厳しい現実になるだろう。
もしも中級幻影や上級幻影に遭遇した場合、その場での判断が生死を分ける。
最上級……つまり混血新人類に遭遇した場合、基本的に“逃げろ”。お前らじゃ犬死するだけだ」
一部の隊員が息を呑む。
講師はあくまで冷静だった。
「無謀に挑んで死ぬことに価値はない。
生きて情報を持ち帰ることこそが、最も重要だ。
生きていれば、いずれ“力”を持てる。だが死んだ者は、もう何も選べない」
静寂。
その言葉が、胸に深く突き刺さる。
全員がただ黙って、講師の言葉を受け止めていた。
やがて、講師は再び眼鏡を持ち上げて言った。
「講義は以上だ。では午後から“擬似幻影との模擬戦闘”に入る。
教科書の知識では命は救えない。現場では、一瞬の判断がすべてだ。
各自、心しておけ」
ピッという音と共に、ホログラムの映像が消える。
次の瞬間、空気がふっと緩み、誰かが小さく息をついた。
講師が教室を出ていくと、隊員たちの間にようやく会話の気配が戻ってくる。
だが多くは黙ったままだった。
それだけ、この講義は衝撃的だった。




