訓練
二人が向かった先は、要塞内の《特別訓練区画》。
そこは一般の新人が入れない特別区で、扉の前には厳重なセキュリティが敷かれていた。だが、星風がなにやら事前申請を通していたようで、ゲートはあっさりと開く。
目の前に現れたのは、巨大なドーム型訓練場。
あまりに広く、天井は遥か上方にあり、まるで競技場のようだった。
観客席のような場所に立ち、瑠衣はその中心を見る。
訓練場──そこは、選ばれし者たちの戦いが繰り広げられる、巨大な闘技空間だった。吹き抜けになった天井からは自然光が差し込み、磨き抜かれた床が鈍く輝いている。
その中心に、二つの影が向かい合っていた。
ひとりは、長身の青年。蒼髪を後ろでまとめ、黒い手袋と黒マスクで素顔を隠している。目元からは隠しきれない知性と冷徹さがにじみ出ていた。
もうひとりは、まるで異界から現れたかのような雰囲気を持つ一見儚げな少女。髪色は左右で黒と白に分かれ、西洋人形のように整った顔立ちはまるで儚げで美しい。しかしその身にまとっているのは、軍服ではなく──メイド服。
彼らは、ただそこに立っているだけで、場の空気を異様に引き締めていた。
「今、対峙してるのは……あの人たちです」
訓練場を見下ろす観覧席から、星風がそっと瑠衣に解説を始めた。
「あの蒼髪の男性は、SEU序列第七位、冷国 怜上官です。生まれつき素紋がないのに黒影石を取り込める、すごく珍しい体質なんです。それに、今まで一度も任務を失敗したことがなくて……」
「ほう」
瑠衣は感心したように唸り、目を細めて戦場を見つめた。
「冷国上官はとにかく真面目で、無駄口を一切叩かない主義なんですけど……顔も整ってるから、女性隊員にすっごく人気があるんです」
「確かにあれはモテそうだな。星風もそのクチか?」
「えっ!? そ、そんなわけないじゃないですかっ!」
星風の声が裏返った。顔を赤くして、手をぶんぶん振る。
「た、たしかに冷国さんはかっこいいですけど! でも私は別に……というか、その……」
言いながら、ちらりと瑠衣の横顔を見た──ほんの一瞬だけ。
「い、いえ! なんでもないです! とにかく、私は冷国さんのことは何とも思ってませんからっ! ほんとに!」
顔を真っ赤にして早口でまくしたてるその姿に、瑠衣は少しだけ首を傾げた。
「……なんでそんなに慌ててんだ?」
「う、うるさいですっ!」
ぺちんと小突かれ、瑠衣は微かに苦笑した。
「……それで、隣のメイドは?」
「あっ、あの人は黒羽真白上官。序列は、なんと第3位です」
「……第3位? あれが?」
さすがの瑠衣も、目を細める。
「はい。謎の多い人で……私も詳しいことは知らないんです。ただ、噂によると『理想のご主人様』を探してるとかで、誰かに仕える形で任務に就くんですけど……不思議なことに、その人たち、《《みんな謎の死を遂げてる》》って噂が……」
「……なんだそれ。危なすぎだろ」
あまりに物騒な情報に、思わず呆れ声が漏れる。
そのとき──。
訓練場に、乾いた破裂音のような衝撃が響いた。
空気が弾ける。床がきしむ。
次の瞬間、舞い上がる砂塵の中を二つの影が駆け抜けた。
目にも留まらぬ速さで──いや、目を凝らしても尚、一般の人は残像しか掴めない。
蒼髪の長身――冷国の刀が、冷徹な間合いで黒羽に迫る。
その鋭さはまさに氷刃。無駄な動きなど一切ない。合理と死角の塊。
だが、それを前にする少女の動きは――まるで蝶だった。
「きゃはっ☆ 危な~いっ♪ でも当たらなきゃ意味な~いっ!」
真白な肌。黒白で分けられたツートンの髪。
そして軍服でもなく、戦闘装備でもなく、あろうことか“メイド服”。
片目を覆う眼帯が、彼女の正気を疑わせる。
黒羽真白――その存在そのものが、戦場の常識を裏切っていた。
細身の体が、舞うように跳ねる。
冷国の剣閃を、まるで寸前まで読んでいたかのように、紙一重でかわしていく。
「……ちっ」
沈黙の男・冷国の眉が、わずかに動いた。
それは、“想定外”への反応だった。
「ありゃ? もしかしてイラっときちゃいましたぁ? 冷国さんったら怖い顔~っ♪」
黒羽は空中で身体をひねると、くるりと回転して軽やかに着地する。
「ねえねえ、もうちょっと“本気”で来てもらえませんかぁ? でなきゃ……私、退屈で退屈で死んじゃうんですけど?」
語尾に残る、奇妙な“甘さ”。
その声色に、どこか狂気じみた色が混じる。
「……だったら、これはどうですか?」
冷国が短く告げた。
その刹那、床板が割れた。
雷鳴のごとき踏み込みと共に、黒羽へと疾駆する。
それはもはや訓練ではなかった。殺意すら滲む本気の一撃――
――が。
「きゃる~んっ☆」
それを、黒羽は笑いながらかわした。
つま先で床を蹴り、ふわりと宙を舞う。
すれ違いざまに、小さなナイフを一閃。
冷国は瞬時に身をかわしたが、右肩をかすめ、黒い生地を裂いた。
布がひらりと舞い、場に静寂が訪れる。
「……あれ、あれあれぇ~~? 冷国さぁん、この程度ですかぁ?だとしたら残念ですぅ。冷国さん、顔は合格だけど私のご主人様にはふさわしくないですねっ」
「……僕も、貴方みたいな方はタイプではないので」
それ以上は何も言わず、冷国は体勢を立て直す。
だが明らかに、さきほどより呼吸が乱れていた。
「きゃはっ 怒っちゃいましたぁ~? ごめんなさいねぇ~」
黒羽は、くるくるとナイフを指で回しながら、嬉しそうに笑った。
「ねぇ、もっと遊びましょっ? 私、飽きるまでやめる気ないんですからぁ」
星風が怯えるように震えながら小さく呟く。
「……あ、あれ、訓練……ですよね?」
「さっき星風がそう言ってたじゃないか。……ただ、今のは、殺す気にしか見えなかったが」
隣で見ていた瑠衣が、眉をひそめた。
黒羽が放ったナイフ。冷国が驚異的な反射神経で避けたためよかったものの、そのまま当たれば頭部に直撃しており、致命傷となっていただろう。
少なくとも黒羽は本気で殺しにいっている。
もはやこれは訓練ではない。
狂気と秩序。
そのギリギリの狭間で、二人の強者は尚も戦い続ける。
訓練場を覆う結界の揺らぎだけが、彼らの動きを辛うじて映し出している。
常人には2人の動いている姿は残像にしか見えないだろう。
だが、瑠衣の目は、その高速の攻防をすべて捉えていた。
(なるほど……序列3位と7位。伊達じゃないな)
腕を組みながら、瑠衣は冷静に彼らの動きを分析した。
冷国は、精密機械のような正確な動きで攻め立てる。だが黒羽は、それを見切ったかのような不気味な微笑を浮かべながら、わずかな動きで回避していた。
(どちらも、混血新人類と渡り合える可能性がある。味方にするには申し分ない)
特に──黒羽というメイド。
その余裕の笑みと、まったく乱れない動き。
底知れない“何か”を秘めている。
味方に付ければ頼もしいだろうが――。
「きゃはっ☆ 冷国さぁん、もう終わり? 私まだ遊び足りないんですけど? ぷんぷんっ!」
(あれを味方につけるなんてできるのか?)
その後も2人の戦いは続いた。
だが――。
訓練場を覆う空気が、徐々に変わっていく。
近いと言えど、序列3位と7位では圧倒的に戦闘能力に差がある。それを目の当たりにしていた。
「……はぁ、はぁ……くっ」
冷国の呼吸は明らかに荒くなり、額にはうっすらと汗が滲んでいた。動きも徐々に鈍ってきている。
反して、黒羽真白は――あくまで軽やかだった。
「冷国さぁん、もう疲れちゃったのぉ? 私、まだまだ元気いっぱいですよぉ♪」
「うる……さいですね!」
黒羽は無邪気な声を上げながら跳ねるように踏み込み、連続でナイフを投げつける。冷国は弾き返すが、その隙を縫うように距離を詰め――。
「きゃはっ☆」
片足を大きく上げ、スカートがふわりと浮き上がる。
ドオオオンッッ!!
次の瞬間、黒羽が強烈な踵落としを叩き込んだ。
「ぐっ……!」
冷国の肩に凄まじい衝撃が乗り、地面にクレーターができる。
その一撃を受け、冷国がよろめいた。
一般の隊員ならば即死級の威力だが、よろめくだけで済んでいるのは流石というべきか。
しかし、その一瞬の隙を、黒羽は見逃さない。
「はい、おしまいっ♡ きゃる~んっ☆」
彼女の指先で光が瞬いた。
そこには、見たこともない異形の刃──黒い鉤爪のような形をしたナイフが構えられていた。
それは、先ほどまでの投擲用のものとは明らかに“質”が違っていた。
殺傷を目的とした、血塗られた意志のこもった刃だ。
「……まずいぞ」
瑠衣が低く呟く。
黒羽は、完全に殺しに入っていた。
「おいおい、流石に止めないとヤバいんじゃないか……?」
冷国は体勢を立て直せていない。それに対して黒羽の踏み込みは早い。
このままでは本当に――
「む、無理ですよっ……!」
隣の星風が声を震わせながら制した。
「相手はシングルナンバー同士なんですよ!? そんな二人の戦いに割って入ったら……自分が殺されちゃいます……っ!」
周囲で見学している人達も、この異常な状況に徐々に気付き始めたようだが、誰も動けずにいた。
確かに星風の言う通りだろう。なにせ序列第7位と第3位の戦いなのだ。
止めに入れる人など限られる。
そして、周囲にそんな人は見当たらない。
「……仕方ないか」
あまり目立つような真似は避けたかったが、ここで冷国のような実力者が命を落とすのは、損害が大きすぎる。
瑠衣は、静かに振り向くと――
「星風」
「は、はい」
「少しだけ、荷物を預かってくれ」
「えっ……? 義影さん、まさか――」
言いかけた星風の手に、瑠衣は自身の上着をそっと預け、腰に差した武装刀に手を掛けた。
その瞳に、冷たい決意が宿る。
「これは──止めなきゃならない」
そう言った次の瞬間。
黒羽のナイフが放たれた。
地を裂き、空を裂き、殺意を乗せて冷国の首を正確に狙う一閃。
当たれば、致命打となる一撃。
ナイフはまるで吸い込まれるように、冷国の首へと向かっていき――
ガキィィンッ!!
突如、鋭い金属音が、空間を震わせた。
何かが、ナイフの軌道上に現れた。
まるで瞬間移動したかのように出現した一振りの刃だった。
──いや、違う。
それは神速の動きで飛び込んできた瑠衣の刀。
腰から抜いた一本の武装刀、その鍔元から赤黒い光が揺れている。
その一振りが、殺意の刃を打ち砕いたのだ。




