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井ノ崎という男

 食事も終わりに差し掛かったところで、星風がこう言った。


「……で、義影さんはこれからどうするつもりなんですか?」


「どうするも何も──」


 彼は静かに、懐から一枚の金属プレートを取り出した。薄く、しなやかに湾曲したその板の表面には、銀色の文字と刻印が浮かんでいる。


「俺は、“治安特殊精鋭部隊《SEU》”に入隊しに来たんだよ。だからこの地に来た」


「えっ……!?」


 それは紛れもなく、SEU隊員証だった。しかも、現行発行の正規品。偽造では絶対に不可能な特殊加工が施されている。

 その隊員証には、間違いなく《義影 瑠衣》の名前が記されていた。


「ほ、ほんとに……!? 義影さんもSEUだったんですか!」


「ああ。数日前からSEUとしての入隊許可を受けている。これが俺の素紋そもんだ」


 そう言って瑠衣は手の甲に意識を集中させる。

 すると、光輝く紋様が現れた。

 紛れもなく、新人類である事の証だ。


「す、すごいです……! そんな……義影さんみたいな方が、味方だなんて……!」


 15歳になると、()()()()()()が受けられ、この試験に受かると素紋手術を受けられるようになり、手の甲に素紋を発現させることで晴れて新人類となる。

 試験は半年に1回行われ、最大40歳まで受けられる。

 素紋を発現することで黒影石を取り込めるようになる。

 黒影石とは新人類が戦うために必要なエネルギーが詰まった石の事だ。素紋のある人が触れるだけで体内に吸収され、異次元の力を使えるようになる特徴を持つ。そしてそれを1個以上吸収できると、新人類と呼ばれる。

黒影石を取り込むたびに、素紋に刻まれた数字が上昇し、取り込める最大値になると素紋の色が黒から赤へと変化する。もしもその限界を越えて黒影石を取り込んだ場合、暴走新人類ジャンクになる可能性が高まる。

 万が一そうなってしまった場合、自我を喪失し手あたり次第に暴れまわるので手の施しようがなく、息の根を止める以外に暴走を抑える方法はない。 そして何故そうなるかの原因は未だによくわかっていない。


 瑠衣は17歳にして素紋適格試験に合格し、新人類となった。


 ──そして、あの日の朝。


 正史では、瑠衣がこの隊員証を手に、SEU本部へ向かう日。

 だが、そこに待っていたのは、戦火と殺戮の始まりだった。

 今度はそんな未来に絶対にさせてはならない。


「じゃ、じゃあ!!このあとSEUに行かれるんですよね?よかったら……あの、私が案内させてくださいっ!」


 そう言った星風は、どこか勢い任せな調子で、笑顔を取り繕うように胸を張った。


「案内?」


 不思議そうに瑠衣が眉をひそめると、星風は慌てて言葉を継ぐ。


「え、えっと……やっぱりSEUの建物って初めての人にはちょっと複雑というか、入り組んでて迷いやすいというか、だから!」


 言い訳がましく手を振りながら、どんどん口調が早口になっていく。


「それに……ほら、義影さんみたいなすごい人が来てくれるって知ったら、隊の人たちもきっと喜ぶと思いますし!だったら最初にお連れするのは、私じゃなきゃって!」


 早口の勢いそのままに、頬を赤らめながら、最後はやや視線を逸らした。


「……って、べ、別に、深い意味はないですからね!案内です、案内!他意はゼロです!」


 完全に自滅気味な自己フォロー。

 だがその一生懸命な態度からは、「なんとかして繋がりを保ちたい」という彼女の想いが、痛いほどに伝わっていた。


「いいのか?俺は飯を奢ってくれただけで十分だと思っていたが」


「い、いいんですっ!」


 星風は力強くうなずいた。

 その勢いに少しだけ目を丸くする瑠衣。


「……別に、暇だっただけですから。義影さんを放っておいたらまたどこかにふらっと行っちゃいそうで……目が離せないっていうか……」


「……ほう」


「な、なんですかその顔!」


「いや? 他意はゼロなんだろ?」


「うっ……そ、それは……!」


 星風の顔が見る間に真っ赤になり、今にも湯気が立ちそうなほどだった。

 そんな様子に、瑠衣は小さく息を吐く。


「そうだな。じゃあ星風がそこまで言うなら頼むよ。案内役」


「……っ! はいっ!」


 ぱっと顔を上げ、満開の笑顔を咲かせる星風。

 その顔を、瑠衣はほんの少しだけ眩しそうに見ていた。


「じゃあその時に――」


 と、瑠衣が言葉を続けようとした次の瞬間。


 カラン、とドアベルが鳴る。


 木製のドアを控え目に開けて入ってきたのは、清潔な軍装に身を包んだ男だった。

 肩口にある刺繍──《SEU》の紋章は、星風と同じもの。すなわち、この男もSEUの隊員であることが見て取れる。


 男は店内をざっと見渡し、すぐに星風の姿を認めると、口元に柔らかな笑みを浮かべて近づいてきた。


「やあやあ、ここにいたのか。探したよ、星風さん」


 その声音は一見穏やかで、人懐こくすらあった。

 だが、次の瞬間──。


「……うわっ」


 星風が、ほとんど無意識に漏らした小さな声。

 うんざりとしたような視線。

 顔を見た瞬間に浮かんだ“拒絶”の表情。

 隣でそれに気づいた瑠衣は、すぐに男へと視線を向けた。


「知り合いか?」


 星風は苦笑いを浮かべながら、小声で返す。


「井ノ崎上官……です。私、ちょっと苦手なんですよね……」


 そう言う声には、苦手という言葉では済まない、嫌悪がにじんでいた。

 井ノ崎と呼ばれたその男は、星風の隣に立つ瑠衣にも目を留めた。

 そして、にこやかな笑みのまま言う。


「聞いたよ。列車の件──大変だったらしいじゃないか。君や森園さん、鷹野くんまであんな目にあったとね……。心配してたんだ」


「……お気遣い、ありがとうございます」


 星風は頭を下げた。

 だが、その態度は明らかに“うわべだけ”のものだった。

 口角だけが動く、乾いた笑み。

 井ノ崎は、それに構わず続ける。


「それで、こちらの男性は……?」


 そう言って、瑠衣に視線を向ける。

 が、彼の目は笑っていなかった。

 全身を、上から下まで一瞥いちべつするように値踏みし──すぐに興味を失ったように星風へと向き直った。


「こちらは義影さんです。列車で……私を助けてくださった命の恩人なんです」


 星風がそう紹介すると、井ノ崎は面白く無さげに「ふうん」と気のない声を漏らし、またも瑠衣を値踏みするように見た。

 だが、それ以上言葉はかけず──再び星風だけに意識を集中させる。


「──で、星風さん。この間の件、どうだい? 考え直してくれたかな?」


 その声には、微笑を含みながらも明らかな“圧”があった。

 星風は、ぐっと表情を引き締める。


「……お気持ちは本当にありがたいのですが、私なんかが井ノ崎上官の隊に入るなんて、とても……分不相応ですし、きっと足を引っ張ってしまいますから……」


 控えめながらも、はっきりと断る口調。

 だが、瑠衣にはわかる。

 これは、実力の問題じゃない。

 “人間として、この男が無理”――そんな拒絶の匂いが、星風の全身から滲んでいた。


「……へえ」


 井ノ崎の目が細まった。

 柔らかな微笑のまま、声のトーンが一段低くなる。


「僕がこんなに言ってるのに……それでも、ダメなんだ?」


 その言葉に、星風は目を伏せた。


「で、ですから……私なんかじゃ皆さんの足を引っ張るだけですし――」


「大丈夫さ」


 井ノ崎は、言葉をかぶせるように笑う。


「君のことは、僕が守ってみせる。だから君は何もしなくていい。ただ、僕の隊にいてくれるだけでいいんだよ」


 その言葉とともに、彼は星風の手へとゆっくり伸ばした。

 白く整った指先が、彼女の手をそっと包み込もうとした――


「っ……」


 星風は、反射的に手を引いた。

 そして、そのまま強く振り払う。


「……やめてください」


 その言葉は、明らかな拒絶だった。

 星風が手を振り払った瞬間、井ノ崎の瞼がぴくりと動いた。

 だが、表情は崩れない。口元の笑みはそのまま、むしろゆっくりとした調子で言葉を紡ぐ。


「……はは。やれやれ、君は本当に、警戒心が強いんだな。冗談のひとつも通じないなんて……悲しいよ、僕は」


 柔らかい声だった。

 だがその目は、笑っていない。

 声の裏にある苛立ちと、底知れぬ粘着質なものが、空気をじわりと重くしていく。

 星風は何も言えず、ただ俯いた。


「さて、星風さん。もう一度聞く。()()()()()


 井ノ崎は片手を胸に当て、丁寧な口調を装いながら言った。


「僕の隊に来てくれないかな? 君がいれば、きっと隊の雰囲気も柔らかくなるし、士気も上がる。みんなも喜ぶと思うよ?」


 さっきとまったく同じ微笑み。けれどその言葉には、断れば“空気を壊す存在になる”と暗に匂わせるような圧力が含まれていた。


 星風が返事に詰まった、そのときだった。


「へえ……士気アップ要員、か。すごいな。SEUってのはアイドルでも雇う部隊だったのか?」


 ぼそりと、横から投げられた一言。

 目を細めて言ったのは、他でもない瑠衣だった。

 井ノ崎がぴたりと動きを止め、ようやく彼の存在を“正面から”認識した。


「……ん?何か言ったかな」


「いや悪いな、聞くつもりはなかったんだが。あまりにも気持ち悪くて、耳にこびりついてしまった」


 瑠衣は涼しい顔のまま、続ける。


「“僕が守る”とか、“何もしなくていい”とか……。星風は愛玩動物じゃないぞ?それに、お前が言ってること、全部一方的じゃないか。相手がどう思ってるか、顔も見ずに口先だけで守れると思うな」


「……」


「それとも何か? そのうち“僕が君のために強くなる”とか言い出すのか?」


 肩をすくめながら、明らかに小馬鹿にした調子で言い放つ瑠衣。

 井ノ崎の頬がぴくりと引きつった。


「君、誰に向かってそんな口をきいてるのかな?」


 声色は冷静だった。

 だが、張り付いた笑顔の下で、明らかな苛立ちが火花のように揺らいでいる。

 瑠衣は、わざとらしく首をかしげた。


「さあ。知らない人だから、ついフランクに話してしまった。……で、あんた誰だ?」


 沈黙が落ちる。


 店内の空気がぴんと張り詰めたその瞬間――。

 思わず笑いを噛み殺したような咳が、どこからか聞こえた。

 星風が、肩を小さく震わせながらも、口元を両手で押さえていた。


「……っ、す、すみません……」


 必死に笑いを堪えている様子が、逆に場の緊張を解いた。

 井ノ崎は一瞬、義影の方を向いたがすぐに視線を戻す。


「……なるほど。今日は、ずいぶんと賑やかな同行者がいるようだ。義影……と言ったね。よく覚えておくよ」


 そう言いながら、今度は一切の笑みも作らず、表情の温度を落としたまま踵を返す。


「また連絡するよ、星風さん。……返事は、そのとき聞かせてもらおう」


 扉が開き、井ノ崎が去ると、空気が一気に軽くなる。


「……悪いな、出しゃばったか?」


 そう言って席に戻る瑠衣に、星風がぽつりと呟いた。


「いえいえ! むしろありがとうございます。スッキリしました」


 その声には、どこか弾むような明るさがあった。

 張りつめていた心が解けるように、星風はふっと息を吐き、肩の力を抜く。

 そして、そっと瑠衣の方を見つめながら、小さく笑った。


「……なんか、助けてもらってばっかりですね、私」


 その笑顔には、救われた安心感と、言葉にしきれない嬉しさが滲んでいた。

 さっきまで曇っていた瞳が、まるで空が晴れたあとのように、少しだけ輝いて見える。

 心なしか、頬もほんのり赤く染まっていた。


 そんな星風の表情に、瑠衣はちらりと目をやると、気だるげに返した。


「気にすんな。俺も腹が立ったからな。勝手にやっただけだ」


 けれどその横顔は、どこか穏やかだった。





















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